Sexta Peregrinación 15(4/3/2025)
動画 Villafranca de los Barros〜Almendralejo
7時に目覚ましは鳴ったが、少し寝坊をしてしまい、起きたのは7時半ごろ。8時45分にホテルのレストランに降りて朝食。クロワッサンはないので、いつも通りTostadaに配偶者はTé con leche、私はCafé con leche、さらにZumo de naranja。Tostadaのパンもいつも通り。
すっかり出発が遅くなってしまい、ホテルを出たのは10時前。久しぶりに朝から晴れていて、最初からダウンは無しで十分。ホテルの裏を回って町の中心に向かう。市街地に入ったところでCaminoに合流。泊まったホテルは町外れで様子が全くわからなかったが、活気もあってなかなか良さそうな街。Zafraよりも栄えていそうな感じ。
街の中では若干の上りがあったが、街を抜けるとCaminoは畑の中の道になる。舗装はすぐに終わるが、砂利混じりで固まった道が続き、ほとんど平坦なので歩きやすい。広い畑の中を、途中からは一直線に伸びる道になる。畑は、ほとんどがブドウで、古くなったので植え替えるのだろう根こそぎ掘り出してあるところ、現役なのだろう枝の剪定してあるところ、まだ植えたばかりで若木がパイプの中にあるものなど。見渡す限りブドウの木が一直線に遥か彼方まで続いている。ブドウ以外はオリーブ。こちらは若木は見られず、大きく成長したものばかり。
オリーブの収穫は機械化が進んでいると思うが、ブドウの収穫はどうなのだろうか。昔は季節労働者が酷使されて、それがアンダルシアの労働運動を成長させたものだが。
道の所々に排水のためだろうか左右の畑を結ぶ凹みが作られており、その一つが水とぬかるみで通れなくなっていたため畑の中に迂回することになった。その一回だけで靴底は泥だらけになり、重くなる。歩きながら地面でこそぎ落とそうとしたり、道路脇にたまにあるコンクリートの角で落とそうとしたり、水溜りで洗い落とそうとしたりするが、ネッチョリとこびりついてなかなか取れない。特に配偶者の靴は靴底が白いので泥の赤茶色が目立つ。
一休みする場所もなく歩き続けることになる。歩きながらチョコレートやバナナを食べてしのぐ。何ヶ所か井戸があるが、座れる場所はない。ようやく道端にコンクリートの小さな構造物で座れるものがあったので、休憩。少し元気になった。
長い畑の中の道で、歩く人も自転車の人もいない。畑でブドウの木の手入れをする姿が数人見られただけ。その中のひと組は、6人だったが、ブドウの剪定作業をしながら一人が見事なカンテを歌っていた。流石にアンダルシアと思わせられた。
今日の宿はCaminoから少し離れたところにある街なので、途中でCaminoを外れて向かうことにしていた。ところがGoogleマップで示された道は畑の中に入り込む、道とは思えないもので、そんなところに踏み込むと靴の底は数センチの泥で底上げされかねない。それまで歩いてきた車も通る道をそのまま進んで、遠回りになるが歩きやすい道を選ぶ。
街に着いたのは15時過ぎ。とにかく何か食べようと、ホテルに向かいながら店を探すが、開いているのはマクドナルドだけ。ホテルの手前でホテルと同名のBarがあったので入る。食べ物はカウンターに並んだ数種類の小料理だけだが、店を探し歩くのは嫌なので、それで我慢する。7up、コーラ。サラダとトルティーリャとパン。いずれも小皿に少々。このBarのCamarero、稀に見る無愛想。
早々に食べ終えてすぐそばの予約済みのホテルへ。部屋はそんなに悪くない。荷物を片付け、配偶者は靴の清掃。古歯ブラシで泥を取ってくれる。その後シャワー、配偶者は洗濯、私は日記。
19時過ぎに近所のスーパーLidlに買物に。バナナ、水、チョコレート、栄養補助食品。ホテルに戻って買って来たものを置き、すぐに夕食に出かける。日暮れていても分かるぐらいに空が真っ黒に。夕立になりそう。レストランでは20時半からしか食事はできないとのことなので、30分ほど飲みながら待つことにする。空腹なのでワインはやめておいてAgua con gasだけにする。オリーブとポテトチップスがついてくる。間もなく雷鳴と稲光、そして激しい雨。さらに停電。一旦通電するがすぐに停電。店内は非常灯が点いて薄暗い状態が保たれる。客たちは騒ぐでもなくおしゃべりを続ける。停電は、何度か短時間通電するが、すぐにまた停電。やがて電池切れなのか非常灯も二つのうち一つは消えてしまう。
1時間以上経っても停電は続き、先は見通せないので、現状でも作れる料理はないかと聞いてみる。planchaはできるというので、lomo、pechuga、huevosを頼む。ようやく食事にありつけたような感じ。暗いテーブルをスマートフォンのライトで照らしてくれる。
食事を終えてホテルに戻ったのは22時40分だった。
今日は17km程度の予想だったが、遠回りしたせいもあって19kmの歩行になってしまった。しかし天気も良く、ほぼ平坦な歩きやすい道だったので、配偶者も問題なく歩き通せた。平和な一日になると思ったら、夜の停電事件で波乱含みとなってしまった。
https://dosperegrinos.net/2025/03/05/sexta-peregrinacion-154-3-2025/銀の道 Camino de la PlataCamino,Camino de la Plata,Santiago,サンティアゴ,巡礼動画 Villafranca de los Barros〜Almendralejo 7時に目覚ましは鳴ったが、少し寝坊をしてしまい、起きたのは7時半ごろ。8時45分にホテルのレストランに降りて朝食。クロワッサンはないので、いつも通りTostadaに配偶者はTé con leche、私はCafé con leche、さらにZumo de naranja。Tostadaのパンもいつも通り。 すっかり出発が遅くなってしまい、ホテルを出たのは10時前。久しぶりに朝から晴れていて、最初からダウンは無しで十分。ホテルの裏を回って町の中心に向かう。市街地に入ったところでCaminoに合流。泊まったホテルは町外れで様子が全くわからなかったが、活気もあってなかなか良さそうな街。Zafraよりも栄えていそうな感じ。 街の中では若干の上りがあったが、街を抜けるとCaminoは畑の中の道になる。舗装はすぐに終わるが、砂利混じりで固まった道が続き、ほとんど平坦なので歩きやすい。広い畑の中を、途中からは一直線に伸びる道になる。畑は、ほとんどがブドウで、古くなったので植え替えるのだろう根こそぎ掘り出してあるところ、現役なのだろう枝の剪定してあるところ、まだ植えたばかりで若木がパイプの中にあるものなど。見渡す限りブドウの木が一直線に遥か彼方まで続いている。ブドウ以外はオリーブ。こちらは若木は見られず、大きく成長したものばかり。 オリーブの収穫は機械化が進んでいると思うが、ブドウの収穫はどうなのだろうか。昔は季節労働者が酷使されて、それがアンダルシアの労働運動を成長させたものだが。 道の所々に排水のためだろうか左右の畑を結ぶ凹みが作られており、その一つが水とぬかるみで通れなくなっていたため畑の中に迂回することになった。その一回だけで靴底は泥だらけになり、重くなる。歩きながら地面でこそぎ落とそうとしたり、道路脇にたまにあるコンクリートの角で落とそうとしたり、水溜りで洗い落とそうとしたりするが、ネッチョリとこびりついてなかなか取れない。特に配偶者の靴は靴底が白いので泥の赤茶色が目立つ。 一休みする場所もなく歩き続けることになる。歩きながらチョコレートやバナナを食べてしのぐ。何ヶ所か井戸があるが、座れる場所はない。ようやく道端にコンクリートの小さな構造物で座れるものがあったので、休憩。少し元気になった。 長い畑の中の道で、歩く人も自転車の人もいない。畑でブドウの木の手入れをする姿が数人見られただけ。その中のひと組は、6人だったが、ブドウの剪定作業をしながら一人が見事なカンテを歌っていた。流石にアンダルシアと思わせられた。 今日の宿はCaminoから少し離れたところにある街なので、途中でCaminoを外れて向かうことにしていた。ところがGoogleマップで示された道は畑の中に入り込む、道とは思えないもので、そんなところに踏み込むと靴の底は数センチの泥で底上げされかねない。それまで歩いてきた車も通る道をそのまま進んで、遠回りになるが歩きやすい道を選ぶ。 街に着いたのは15時過ぎ。とにかく何か食べようと、ホテルに向かいながら店を探すが、開いているのはマクドナルドだけ。ホテルの手前でホテルと同名のBarがあったので入る。食べ物はカウンターに並んだ数種類の小料理だけだが、店を探し歩くのは嫌なので、それで我慢する。7up、コーラ。サラダとトルティーリャとパン。いずれも小皿に少々。このBarのCamarero、稀に見る無愛想。 早々に食べ終えてすぐそばの予約済みのホテルへ。部屋はそんなに悪くない。荷物を片付け、配偶者は靴の清掃。古歯ブラシで泥を取ってくれる。その後シャワー、配偶者は洗濯、私は日記。 19時過ぎに近所のスーパーLidlに買物に。バナナ、水、チョコレート、栄養補助食品。ホテルに戻って買って来たものを置き、すぐに夕食に出かける。日暮れていても分かるぐらいに空が真っ黒に。夕立になりそう。レストランでは20時半からしか食事はできないとのことなので、30分ほど飲みながら待つことにする。空腹なのでワインはやめておいてAgua con gasだけにする。オリーブとポテトチップスがついてくる。間もなく雷鳴と稲光、そして激しい雨。さらに停電。一旦通電するがすぐに停電。店内は非常灯が点いて薄暗い状態が保たれる。客たちは騒ぐでもなくおしゃべりを続ける。停電は、何度か短時間通電するが、すぐにまた停電。やがて電池切れなのか非常灯も二つのうち一つは消えてしまう。 1時間以上経っても停電は続き、先は見通せないので、現状でも作れる料理はないかと聞いてみる。planchaはできるというので、lomo、pechuga、huevosを頼む。ようやく食事にありつけたような感じ。暗いテーブルをスマートフォンのライトで照らしてくれる。 食事を終えてホテルに戻ったのは22時40分だった。 今日は17km程度の予想だったが、遠回りしたせいもあって19kmの歩行になってしまった。しかし天気も良く、ほぼ平坦な歩きやすい道だったので、配偶者も問題なく歩き通せた。平和な一日になると思ったら、夜の停電事件で波乱含みとなってしまった。Andrés andres@nifty.comAdministratorDos Peregrinos
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