動画 Villafranca del Bierzo ~Vega de Varcarce

7時起床。気持ちの良い朝。8時からホテルの食堂で朝食ビュッフェ。ケーキ類が充実している。人参ケーキ、ビスコッチョ、アップルパイ他。クロワッサンも。生ハム、ヨークハム、チーズ、メンブリージョ、ヨーグルト。それにCafé con leche、Té con leche、Zumo de Naranja。食事の間に8人の団体がスーツケースを預けて出て行った。昨日もスーツケースが先に届いていたので、荷物は運搬業者に任せての歩きなのだろう。

9時20分チェックアウト。配偶者はホテルの女主人に10年前に世話になったことを話して礼を言っていた。通じたようで主人も喜び、また休暇には是非来てくれると嬉しいと言っていた。

ホテルを出ると横を通って橋へ。朝の橋も気持ちが良い。今朝はそんなに寒くないのでダウンなしで出かけたが、ちょっと冷んやりするものの、ダウンを欲しくなるほどではない。

橋の上で写真を撮っている女性Peregrinoがいたが、橋を渡り終えると彼女は山の方の道に入って行った。私たちは川沿いの道に進む。

しばらく進むと国道に出て、車道との間を区切るコンクリート製の高さ1mほどの壁が記憶の通りに続いている。今日は晴れていて問題ないが、10年前は雨で、通り過ぎる車の飛沫が壁で防がれてありがたかった。

国道はずっとVarcarce川沿いを走る。10年前は一人で歩いた区間を、今日で二人で歩き、当時のことを思い出話として語り合う。

やがてCaminoは右に逸れてしばらく国道を離れる。とは言っても村の中を通るだけですぐに国道に戻るのだが。このような村がいくつかあるが、最初のは本当に寒村で何もない。そんな中で私たちの前を歩いていた男女が路地に入って休んでいる。また東洋人の二人がやはり道端で休んでいる。やはりCamino Francésは歩く人が多い。

国道に戻ってしばらく進むと休憩所が設置されている。国道脇のちょっとした広場に幾つかのテーブルとベンチが置かれている。片隅には川辺に下りる道があり、川の水に触れることができる。綺麗な水でマスでもいるのではと見てみるが、大量のあめんぼうが水面を走っているだけ。ベンチで休んでいると先ほどの村で見かけた二組がやってきて休憩。さらに何人かのサイクリストも一休み。

しばらく進むとまた国道から逸れて、今度は少し大きな村。Barがあるので休憩。ここではTéとAgua Con gasにTortilla。ここでもPeregrinoが何組か休憩。その中の一組は韓国人夫婦で、日本にも何度か行ったことがあるとのこと。韓国にもぜひ来てくださいと言っていた。13時半ごろに大きなホテル・レストランに到着。

ここは10年前に大雨の中で着いて、入口でポンチョを脱いで店内に入り、カウンターでBocadilloを買ってテーブルに持って行って食べたところ。私も体調が悪く、Bocadillo con Salada Mixtaのようなものならあっさりしていて食べられるだろうと思って注文したら、意外に大きくて食べるのに苦労したように記憶している。正面出入口の横にはミニスーパーがあり、その横には農産物直売所があるのも当時のまま。Bar部分で休もうかとも思ったが、時間が時間なので昼食を取ることにしてComedorに入る。

Menú del díaで飲み物はAgua Con gasとVino tintoを注文するが、Vinoではなく水を持ってくる。指摘してVinoに変えてもらう。一皿目はCALDO GALLEGOとPASTA A LA BOLOÑESAを注文するが、CALLOS CON GARBANZOSを持ってくる。スプーンを浸けてしまったので諦めてそのまま食べる。二皿目はPASTA A LA BOLOÑESAとTRUCHAS CON JAMONにするが、まだ一皿目を半分しか食べていない時に持って来たので、早すぎるからと引っこめてもらう。二皿目を食べ終えてからデザートの注文をとりに来るまで今度はずいぶん待たされる。デザートはHELADOとCREPS CASEROSにする。味は悪くないんだが、特に最初に担当したCamareraは注文を取り違え、サービスのタイミングを間違えと基本ができていない。中年だったが。

食後に席を立つとCamareroがやってきてこれからO Cebreiro に行くのか、今夜の泊まりはどこかなどと話しかけてくる。今夜泊まる宿の名を告げると、あと1kmくらいだと教えてくれる。食事中にも前の道を何人ものPeregrinoが通り過ぎ、内何人かは店に入って来て食事していた。

国道を少し進むとCaminoは左に逸れ、10年前に泊まった宿の前を通る。建物は変わっていないが宿の様子は少し変わっている。しかも向かいにあって鍵の管理をしていたパン屋は無くなっている。10年はやはり「ひと昔」なのだと実感させられる。

少し先で村に入り、間もなく今日の宿に。ホテルという名だが、家族経営のようで、レセプションの若い男はクレジットカードでの支払い時にタッチ決済が機能しないと磁気読み取りを試み、見に来た母親らしき人がIC読み取りの仕方を教えていた。

部屋数は多い宿だが今夜の宿泊客は私たちだけのよう。部屋は悪くないが、少し狭く、天井が半分は斜めで私は頭をぶつけそう。今夜は暖かいのでおそらく暖房は入らず、洗濯物は乾かないだろう。

明日の宿を予約。昼寝。シャワー、日記、洗濯といつもの日課。夕食は、小さな村でBarは近所に1軒だけなので、外に行くのも億劫。宿のサロンで持参のバナナやりんごで済ませる。

その後また日記の続き。

明日はO Cebreiroへ上り、明後日は配偶者が10年前に歩けなかったO CebreiroからTriacastelaまでを下る。その後の日程を考えてみた結果、Oulenceに行ってCamino de la Plataのもう一つのルートをSantiagoに向かって進もうということになった。

 

Andrés銀の道 Camino de la PlataCamino,Camino de la Plata,Santiago,サンティアゴ,巡礼動画 Villafranca del Bierzo ~Vega de Varcarce 7時起床。気持ちの良い朝。8時からホテルの食堂で朝食ビュッフェ。ケーキ類が充実している。人参ケーキ、ビスコッチョ、アップルパイ他。クロワッサンも。生ハム、ヨークハム、チーズ、メンブリージョ、ヨーグルト。それにCafé con leche、Té con leche、Zumo de Naranja。食事の間に8人の団体がスーツケースを預けて出て行った。昨日もスーツケースが先に届いていたので、荷物は運搬業者に任せての歩きなのだろう。 9時20分チェックアウト。配偶者はホテルの女主人に10年前に世話になったことを話して礼を言っていた。通じたようで主人も喜び、また休暇には是非来てくれると嬉しいと言っていた。 ホテルを出ると横を通って橋へ。朝の橋も気持ちが良い。今朝はそんなに寒くないのでダウンなしで出かけたが、ちょっと冷んやりするものの、ダウンを欲しくなるほどではない。 橋の上で写真を撮っている女性Peregrinoがいたが、橋を渡り終えると彼女は山の方の道に入って行った。私たちは川沿いの道に進む。 しばらく進むと国道に出て、車道との間を区切るコンクリート製の高さ1mほどの壁が記憶の通りに続いている。今日は晴れていて問題ないが、10年前は雨で、通り過ぎる車の飛沫が壁で防がれてありがたかった。 国道はずっとVarcarce川沿いを走る。10年前は一人で歩いた区間を、今日で二人で歩き、当時のことを思い出話として語り合う。 やがてCaminoは右に逸れてしばらく国道を離れる。とは言っても村の中を通るだけですぐに国道に戻るのだが。このような村がいくつかあるが、最初のは本当に寒村で何もない。そんな中で私たちの前を歩いていた男女が路地に入って休んでいる。また東洋人の二人がやはり道端で休んでいる。やはりCamino Francésは歩く人が多い。 国道に戻ってしばらく進むと休憩所が設置されている。国道脇のちょっとした広場に幾つかのテーブルとベンチが置かれている。片隅には川辺に下りる道があり、川の水に触れることができる。綺麗な水でマスでもいるのではと見てみるが、大量のあめんぼうが水面を走っているだけ。ベンチで休んでいると先ほどの村で見かけた二組がやってきて休憩。さらに何人かのサイクリストも一休み。 しばらく進むとまた国道から逸れて、今度は少し大きな村。Barがあるので休憩。ここではTéとAgua Con gasにTortilla。ここでもPeregrinoが何組か休憩。その中の一組は韓国人夫婦で、日本にも何度か行ったことがあるとのこと。韓国にもぜひ来てくださいと言っていた。13時半ごろに大きなホテル・レストランに到着。 ここは10年前に大雨の中で着いて、入口でポンチョを脱いで店内に入り、カウンターでBocadilloを買ってテーブルに持って行って食べたところ。私も体調が悪く、Bocadillo con Salada Mixtaのようなものならあっさりしていて食べられるだろうと思って注文したら、意外に大きくて食べるのに苦労したように記憶している。正面出入口の横にはミニスーパーがあり、その横には農産物直売所があるのも当時のまま。Bar部分で休もうかとも思ったが、時間が時間なので昼食を取ることにしてComedorに入る。 Menú del díaで飲み物はAgua Con gasとVino tintoを注文するが、Vinoではなく水を持ってくる。指摘してVinoに変えてもらう。一皿目はCALDO GALLEGOとPASTA A LA BOLOÑESAを注文するが、CALLOS CON GARBANZOSを持ってくる。スプーンを浸けてしまったので諦めてそのまま食べる。二皿目はPASTA A LA BOLOÑESAとTRUCHAS CON JAMONにするが、まだ一皿目を半分しか食べていない時に持って来たので、早すぎるからと引っこめてもらう。二皿目を食べ終えてからデザートの注文をとりに来るまで今度はずいぶん待たされる。デザートはHELADOとCREPS CASEROSにする。味は悪くないんだが、特に最初に担当したCamareraは注文を取り違え、サービスのタイミングを間違えと基本ができていない。中年だったが。 食後に席を立つとCamareroがやってきてこれからO Cebreiro に行くのか、今夜の泊まりはどこかなどと話しかけてくる。今夜泊まる宿の名を告げると、あと1kmくらいだと教えてくれる。食事中にも前の道を何人ものPeregrinoが通り過ぎ、内何人かは店に入って来て食事していた。 国道を少し進むとCaminoは左に逸れ、10年前に泊まった宿の前を通る。建物は変わっていないが宿の様子は少し変わっている。しかも向かいにあって鍵の管理をしていたパン屋は無くなっている。10年はやはり「ひと昔」なのだと実感させられる。 少し先で村に入り、間もなく今日の宿に。ホテルという名だが、家族経営のようで、レセプションの若い男はクレジットカードでの支払い時にタッチ決済が機能しないと磁気読み取りを試み、見に来た母親らしき人がIC読み取りの仕方を教えていた。 部屋数は多い宿だが今夜の宿泊客は私たちだけのよう。部屋は悪くないが、少し狭く、天井が半分は斜めで私は頭をぶつけそう。今夜は暖かいのでおそらく暖房は入らず、洗濯物は乾かないだろう。 明日の宿を予約。昼寝。シャワー、日記、洗濯といつもの日課。夕食は、小さな村でBarは近所に1軒だけなので、外に行くのも億劫。宿のサロンで持参のバナナやりんごで済ませる。 その後また日記の続き。 明日はO Cebreiroへ上り、明後日は配偶者が10年前に歩けなかったO CebreiroからTriacastelaまでを下る。その後の日程を考えてみた結果、Oulenceに行ってCamino de la Plataのもう一つのルートをSantiagoに向かって進もうということになった。  退職者夫婦の旅と日常(スペイン・旅・留学・巡礼・映画・思索・本・・・)