Sexta Peregrinación 49(7/4/2025)
7時起床。宿では朝食は提供していないし、近くのBarは定休日。部屋で持参のバナナなどを食べ、服薬。
9時過ぎに出発。鍵はレセプションのテーブルの上に。
少し歩くと10年前にも開いていた小さな礼拝堂が今日も開いているので、入ってクレデンシャルにスタンプを押す。
1kmほどのところにBarが開いているので、入って朝食。Café con leche、Té con leche、Zumo de naranja、Tostada、Tortilla、クロワッサン。Tortillaが思いの外大きいが、Tostadaが思いの外小さいのでちょうど良かった。大きな犬を飼っていて、店内をうろうろしている。客が来ると値踏みする様に見、特に女性客には近づいて匂いを嗅ぐ。私たち意外にPeregrinoは来ない。
Caminoを進むと間もなく細く高い橋脚の上を走る高速道路をくぐる。するとその先に10年前に泊まった宿を発見。向かいには記憶の通りのパン屋さんが営業している。昨日見たのは間違いだったのだ。その先で村に入るが、宿がいくつもあり、スーパーも2軒に増え、Camino産業ですっかり発展したようだ。
村を抜け、1kmほども進むとまた次の村。さらにまた1kmほどで村。今度のは入口に小さなローマ橋があり、清流が美しい。
馬を飼ってO Cebreiroへ乗馬で上る営業をしていた村だったと思うが、今は馬ではなく牛を飼っている。
村を過ぎていよいよ山の中に入って行くが、道は新しいアスファルト舗装。しばらく進んでようやく記憶にある分かれ道に。右は自転車が進む舗装路、左は歩行者が進む土の道。10年前は何人ものPeregrinoが雨の中でどちらに行こうか迷っていて、私たちは距離の短さと途中に村のあることで左を選んだ。今日は晴れて土の道でもまっったく問題ないので、迷うこともなく左へ。
40分ほどで村に到着。入口に飲める水が流れ出ているので、残り少ない水を補給しようと水筒に詰める。
少し先のCaminoから数m外れたところにBarがあるので、入って休憩。店内に入って10年前にも入ったBarだと気づく。小さなBarだが暖炉があり、10年前の雨で寒いなかを歩いてきた身には暖炉の火がありがたかった。今日は暑いのでAgua Con gasとLimonada。
いよいよ急な上りが始まる。山の頂を覆う赤紫の植物が印象的だが、何なのかわからない。Caminoの左下は牧草地の斜面が続き、牛たちが草を食んでいる。
1時間ほど歩いて村に着く。Barがあるので休憩するが、もう14時で、O Cebreiro まではそう遠くないが、急な上りで1時間はかかりそうなので、ここで昼食にする。今日の宿は、昨夜の予約時に14時ごろ到着予定と告げ、遅れるようなら電話するようにと言われていたので電話をかけるが、話し中で繋がらない。何度かけても話し中。スペイン人の長話しだと思い、先ず食事の注文。Menú del díaで一皿目はCALDO GALLEGOとMELÓN CON JAMÓN。この時期にメロンがあるとは珍しく、先日も断られたのに、この店ではあった。しかしやはり季節外れで甘くない。野菜だと思えば食べられなくはない。二皿目はCOSTILLA GUISADAとLOMO DE CERDO。二皿目の料理では付け合わせを選べるので、フライドポテトと野菜サラダにする。デザートはQUESO DEL CEBREIRO CON MEMBRILLOとmolocctón en almobar。暑いのでパラソルで日陰になっているテラス席にする。そよ風が心地良い。食事の最中にすぐ横を十数頭の牛が通り過ぎる。またここにも大きな犬がいて周囲をうろうろ。危害はもちろん加えてこないが、肉を食べている横にいて、時々涎を垂らすものだから落ち着かない。このBarは宿も兼業していて、食事中にも何人かのPeregrinoがやって来て宿泊しに入っていた。また食事をしている人の中にも宿泊客がいて、食事を終えてもテーブルを離れずに本を読んだりしている。
宿への電話をその後も何度か試みたが全く通じない。電話をかけた記録は残るので、かけるのは諦める。
食後、また急坂を上って行く。息が切れるので何度か立ち止まる。地面には馬の蹄鉄の跡がある。廃業したのかと思った乗馬での上りはまだ続いているようだ。
左は遠くまで見渡せ、下方には小さな村がいくつか、遠くには山並み。
ガリシアに入ったことを示す標石があって、O Cebreiroが近いことが分かる。
やがて路面が石畳に変わってO Cebreiroに到着。Peregrinoの少女像?が出迎え。石垣が途絶えて村に入ると人の多さに驚く。この一帯では人口密度が極端に高い場所だろう。宿は土産物屋を兼ねていて、すぐにチェックインできる。到着が遅れる時は電話をというのは、どんな必要性があったのだろう。部屋は狭く天井は今日も斜めになっていて、バスルーム、特にシャワーコーナーは狭い。しかし入室時に、まだ暑いぐらいなのに暖房を入れてくれる。
すぐにシャワー。お湯の出が不安定で時々冷たい水になるが、今日は暑いぐらいなのでなんとか耐えられる。
明日の予定を検討。Triacastelaへ行くことは確定しているが、間に合えばそこからバスでSarriaへ。さらに鉄道でOurenseへ移動ということに。
昼寝で疲れをとり、20時前のまだまだ明るいうちに散歩に。5分もかからずに横切れる村。端にあるTiendaに行く。案内板がいくつも出ていて場所はわかるのだが、道路の崖下で、行ってみると閉まっている。工事中のよう。また村尾横切って教会へ。私の記憶違いなのか、世界中の言語での聖書の展示がなくなっている。教会裏の広場に行ってみると、案内板があってはるかに見渡せる風景の中にある村や山の名が分かるようになっている。
水やバナナを買おうと土産物屋を覗いてみるがないので、また村を横切って反対側のBarに行く。ちょうど大型バスが到着して小学生がたくさん降りてくる。こんな時間に何なのだろう。Barに入り夕食代わりにBiscochoと Agua Con gasと野菜ジュース、そしてバナナ2本と水1.5l。昼間汗を大量にかいたせいか喉が渇いて仕方がないので、Agua Con gasを飲んだ上に水も飲む。
宿に戻るが何軒もあるBarの前、特に私たちの宿の前には飲んでしゃべる人がたくさん屯している。話し声が大きく、村中がBarの中のよう。
部屋に戻って日記。しばらく外から喋り声が聞こえていたが、22時ごろには静かになった。Albergueの習慣が生きているのだろうか。そう考えるとここは村全体がAlbergueだと思えてくる。
今日は、10年前に体調不良をおして寒い雨の中を上ったO Cebreiroを歩いた。体調に問題がなく、晴天の中を歩いた今日でも楽な道ではなかったのに、よく10年前は上れたものだと思う。若さ?の賜物か、経験の浅さからの無謀さ故か。
https://dosperegrinos.net/2025/04/09/sexta-peregrinacion-497-4-2025/銀の道 Camino de la PlataCamino,Camino de la Plata,Santiago,サンティアゴ,巡礼動画 Ambasmestas~ O Cebreiro 7時起床。宿では朝食は提供していないし、近くのBarは定休日。部屋で持参のバナナなどを食べ、服薬。 9時過ぎに出発。鍵はレセプションのテーブルの上に。 少し歩くと10年前にも開いていた小さな礼拝堂が今日も開いているので、入ってクレデンシャルにスタンプを押す。 1kmほどのところにBarが開いているので、入って朝食。Café con leche、Té con leche、Zumo de naranja、Tostada、Tortilla、クロワッサン。Tortillaが思いの外大きいが、Tostadaが思いの外小さいのでちょうど良かった。大きな犬を飼っていて、店内をうろうろしている。客が来ると値踏みする様に見、特に女性客には近づいて匂いを嗅ぐ。私たち意外にPeregrinoは来ない。 Caminoを進むと間もなく細く高い橋脚の上を走る高速道路をくぐる。するとその先に10年前に泊まった宿を発見。向かいには記憶の通りのパン屋さんが営業している。昨日見たのは間違いだったのだ。その先で村に入るが、宿がいくつもあり、スーパーも2軒に増え、Camino産業ですっかり発展したようだ。 村を抜け、1kmほども進むとまた次の村。さらにまた1kmほどで村。今度のは入口に小さなローマ橋があり、清流が美しい。 馬を飼ってO Cebreiroへ乗馬で上る営業をしていた村だったと思うが、今は馬ではなく牛を飼っている。 村を過ぎていよいよ山の中に入って行くが、道は新しいアスファルト舗装。しばらく進んでようやく記憶にある分かれ道に。右は自転車が進む舗装路、左は歩行者が進む土の道。10年前は何人ものPeregrinoが雨の中でどちらに行こうか迷っていて、私たちは距離の短さと途中に村のあることで左を選んだ。今日は晴れて土の道でもまっったく問題ないので、迷うこともなく左へ。 40分ほどで村に到着。入口に飲める水が流れ出ているので、残り少ない水を補給しようと水筒に詰める。 少し先のCaminoから数m外れたところにBarがあるので、入って休憩。店内に入って10年前にも入ったBarだと気づく。小さなBarだが暖炉があり、10年前の雨で寒いなかを歩いてきた身には暖炉の火がありがたかった。今日は暑いのでAgua Con gasとLimonada。 いよいよ急な上りが始まる。山の頂を覆う赤紫の植物が印象的だが、何なのかわからない。Caminoの左下は牧草地の斜面が続き、牛たちが草を食んでいる。 1時間ほど歩いて村に着く。Barがあるので休憩するが、もう14時で、O Cebreiro まではそう遠くないが、急な上りで1時間はかかりそうなので、ここで昼食にする。今日の宿は、昨夜の予約時に14時ごろ到着予定と告げ、遅れるようなら電話するようにと言われていたので電話をかけるが、話し中で繋がらない。何度かけても話し中。スペイン人の長話しだと思い、先ず食事の注文。Menú del díaで一皿目はCALDO GALLEGOとMELÓN CON JAMÓN。この時期にメロンがあるとは珍しく、先日も断られたのに、この店ではあった。しかしやはり季節外れで甘くない。野菜だと思えば食べられなくはない。二皿目はCOSTILLA GUISADAとLOMO DE CERDO。二皿目の料理では付け合わせを選べるので、フライドポテトと野菜サラダにする。デザートはQUESO DEL CEBREIRO CON MEMBRILLOとmolocctón en almobar。暑いのでパラソルで日陰になっているテラス席にする。そよ風が心地良い。食事の最中にすぐ横を十数頭の牛が通り過ぎる。またここにも大きな犬がいて周囲をうろうろ。危害はもちろん加えてこないが、肉を食べている横にいて、時々涎を垂らすものだから落ち着かない。このBarは宿も兼業していて、食事中にも何人かのPeregrinoがやって来て宿泊しに入っていた。また食事をしている人の中にも宿泊客がいて、食事を終えてもテーブルを離れずに本を読んだりしている。 宿への電話をその後も何度か試みたが全く通じない。電話をかけた記録は残るので、かけるのは諦める。 食後、また急坂を上って行く。息が切れるので何度か立ち止まる。地面には馬の蹄鉄の跡がある。廃業したのかと思った乗馬での上りはまだ続いているようだ。 左は遠くまで見渡せ、下方には小さな村がいくつか、遠くには山並み。 ガリシアに入ったことを示す標石があって、O Cebreiroが近いことが分かる。 やがて路面が石畳に変わってO Cebreiroに到着。Peregrinoの少女像?が出迎え。石垣が途絶えて村に入ると人の多さに驚く。この一帯では人口密度が極端に高い場所だろう。宿は土産物屋を兼ねていて、すぐにチェックインできる。到着が遅れる時は電話をというのは、どんな必要性があったのだろう。部屋は狭く天井は今日も斜めになっていて、バスルーム、特にシャワーコーナーは狭い。しかし入室時に、まだ暑いぐらいなのに暖房を入れてくれる。 すぐにシャワー。お湯の出が不安定で時々冷たい水になるが、今日は暑いぐらいなのでなんとか耐えられる。 明日の予定を検討。Triacastelaへ行くことは確定しているが、間に合えばそこからバスでSarriaへ。さらに鉄道でOurenseへ移動ということに。 昼寝で疲れをとり、20時前のまだまだ明るいうちに散歩に。5分もかからずに横切れる村。端にあるTiendaに行く。案内板がいくつも出ていて場所はわかるのだが、道路の崖下で、行ってみると閉まっている。工事中のよう。また村尾横切って教会へ。私の記憶違いなのか、世界中の言語での聖書の展示がなくなっている。教会裏の広場に行ってみると、案内板があってはるかに見渡せる風景の中にある村や山の名が分かるようになっている。 水やバナナを買おうと土産物屋を覗いてみるがないので、また村を横切って反対側のBarに行く。ちょうど大型バスが到着して小学生がたくさん降りてくる。こんな時間に何なのだろう。Barに入り夕食代わりにBiscochoと Agua Con gasと野菜ジュース、そしてバナナ2本と水1.5l。昼間汗を大量にかいたせいか喉が渇いて仕方がないので、Agua Con gasを飲んだ上に水も飲む。 宿に戻るが何軒もあるBarの前、特に私たちの宿の前には飲んでしゃべる人がたくさん屯している。話し声が大きく、村中がBarの中のよう。 部屋に戻って日記。しばらく外から喋り声が聞こえていたが、22時ごろには静かになった。Albergueの習慣が生きているのだろうか。そう考えるとここは村全体がAlbergueだと思えてくる。 今日は、10年前に体調不良をおして寒い雨の中を上ったO Cebreiroを歩いた。体調に問題がなく、晴天の中を歩いた今日でも楽な道ではなかったのに、よく10年前は上れたものだと思う。若さ?の賜物か、経験の浅さからの無謀さ故か。Andrés andres@nifty.comAdministratorDos Peregrinos
コメントを残す