各地のゲバラ
モロ要塞(Habana)
革命後に兵学校として使用され、この窓からゲバラが訓示した時の写真が掲示されている。
旧市街から運河(湾口)を隔てた対岸にある。自動車専用の海底トンネルを通って行くので、タクシーを利用することになる。
カバーニャ要塞(Habana)
ゲバラの執務室
隣室にはゲバラの使用した品々や写真などが展示されている。
モロ要塞から数百メートルのところにある。
ゲバラ記念館(Santa Clara)
裏側から入る博物館の中にゲバラの墓があり、他の博物館よりチェックが厳しい。
街からは少し離れており、周囲には貧しい農家が点在している。サンタ・クララは革命戦争中にゲバラが最も活躍した都市で、「ゲバラ・シティ」などとも呼ばれる。そのためボリビアで発掘された遺骨もこの街に葬られることになった。
列車襲撃記念公園(Santa Clara)
ゲバラたちが兵員輸送列車を転覆させ、革命の勝利を決定的にした。
町中にある。線路脇にあり、ここが襲撃現場なのだろうが、当時の列車ではないと思われる。
ゲバラ像(Santa Clara)
子供を抱いたゲバラ像(等身大?)
共産党県委員会?の建物の前にある。
内務省(旧工業省)の建物(Habana)
ゲバラが工業大臣を務めていたため、外壁に巨大なゲバラの顔が描かれている。
ハバナ新市街にある。前に広がっているのは「革命広場」で、革命記念日などにはここで大集会が開かれ、カストロが長大な演説をしたものだった。これはホセ・マルティ記念館の塔の上から撮ったもので、記念館前には演壇がある。
ゲバラ研究所(Habana)
2007年開館予定とのことだったが、まだ工事中だった。建物自体は完成していたので、来年には開館するのではないか。
新市街、ヌエボ・ベダード地区、Tulipan通りにある。
ゲバラの家(Habana)
最近までゲバラの娘が住んでいたが、現在は誰も住んでいない。入口の机には制服を着た軍人らしき人がい、人の出入りはある。ゲバラ研究所の開館に合わせて
公開されるかもしれない。
ゲバラ研究所の向かいにある。
皮肉な見方をすれば、生きて権力の座にあり続けたカストロは手を汚さざるを得なかったのに対し、ゲバラは権力を捨てて死んだがゆえに革命の美しい英雄として人々の記憶に残ることができたと言える。それに加えてあの絵になる容姿、それをさらに印象付けたポートレート。
一方、もしもゲバラが今の世界で活動していれば、マスコミはアメリカ合衆国の尻馬に乗って彼を「国際テロリスト」と呼ぶのだろう。
por Andres
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