旧東海道 16日目
見附〜浜松〜舞坂
見附宿は現在の磐田市。今日は歩く距離が長いので、いつもより早めに8時45分の出発。風が冷たく前から吹いてくるので少々歩きづらい。帽子を押さえながら歩く。
天竜川は江戸時代は船で渡っていたのだが、現在は橋がいくつも架けられ、東海道に続く場所には3つもコンクリート橋がある。人や自転車が通れる橋は真ん中の橋。土手からどうやって天竜川橋の入口に入るのか分からず、車がびゅんびゅん駆け抜ける道路をうろうろ。ようやく見つけて車が途切れたところで駆けて横断した。橋を渡っている人はわずか数人。車なら難なく渡れるのに歩く者には冷たい造り。恐かった。
天竜川橋を渡ると中野町。江戸と京都からそれぞれ六十里、ちょうど真ん中だからついた地名とのこと。町のパンフレットを井戸端会議中の女性が追っかけて来て手渡してくれた。しばらくすると植林と治水事業に私財を投入した金原明善の生家と記念館。
国道1号浜松バイパスを過ぎると松並木がちらほら。昼食場所がみつからず、適当なうどん屋さんに入る。
その後、トイレを利用しようとショッピングセンターに寄ったときカメラのSDカードが故障したのに気付き、ベスト電気で新しいのを購入。女性トイレのドアには日本語、ポルトガル語、スペイン語で書かれた表示があった。奥にはブラジルコンビニもある。浜松には中南米から出稼ぎに来ている人が多いのだろう。
夕方になると松並木も薄暗くなり松の木の間に置かれた十二支の置物もはっきり見えなくなった。これは「馬」。
頑張って舞坂まで歩く。舞坂宿の脇本陣に着いた頃はすっかり夜。
おいしい鰻を食べようとガイドブックで紹介されていた「魚あら」の店へ。「定休日」の看板…そんなぁ、今日は月曜日じゃないのに。
鰻はあきらめて地元の人に誘われ、復元された脇本陣で開かれた「落語会」に参加。
演者は「三遊亭栄楽」。何と今朝同じホテルから白装束で出立した人、巡礼かと思っていたのだが、伊勢参りのためにわらじで東海道を歩きつつ落語会を設けているとのこと。白装束はいつ死んでもいいように、わらじは一日に2足は履きつぶすものだなど、疑問点がいくつかはっきりした。
鰻とは縁がなかったが、笑いで終わったいい日だった。
磐田駅前から舞阪宿まで27.62km。43,100歩
この日の総歩数45,121。
por Amelia
https://dosperegrinos.net/2010/11/09/%e6%97%a7%e6%9d%b1%e6%b5%b7%e9%81%93-16%e6%97%a5%e7%9b%ae/東海道中見附〜浜松〜舞坂 見附宿は現在の磐田市。今日は歩く距離が長いので、いつもより早めに8時45分の出発。風が冷たく前から吹いてくるので少々歩きづらい。帽子を押さえながら歩く。 天竜川は江戸時代は船で渡っていたのだが、現在は橋がいくつも架けられ、東海道に続く場所には3つもコンクリート橋がある。人や自転車が通れる橋は真ん中の橋。土手からどうやって天竜川橋の入口に入るのか分からず、車がびゅんびゅん駆け抜ける道路をうろうろ。ようやく見つけて車が途切れたところで駆けて横断した。橋を渡っている人はわずか数人。車なら難なく渡れるのに歩く者には冷たい造り。恐かった。 天竜川橋を渡ると中野町。江戸と京都からそれぞれ六十里、ちょうど真ん中だからついた地名とのこと。町のパンフレットを井戸端会議中の女性が追っかけて来て手渡してくれた。しばらくすると植林と治水事業に私財を投入した金原明善の生家と記念館。 国道1号浜松バイパスを過ぎると松並木がちらほら。昼食場所がみつからず、適当なうどん屋さんに入る。 その後、トイレを利用しようとショッピングセンターに寄ったときカメラのSDカードが故障したのに気付き、ベスト電気で新しいのを購入。女性トイレのドアには日本語、ポルトガル語、スペイン語で書かれた表示があった。奥にはブラジルコンビニもある。浜松には中南米から出稼ぎに来ている人が多いのだろう。 夕方になると松並木も薄暗くなり松の木の間に置かれた十二支の置物もはっきり見えなくなった。これは「馬」。 頑張って舞坂まで歩く。舞坂宿の脇本陣に着いた頃はすっかり夜。 おいしい鰻を食べようとガイドブックで紹介されていた「魚あら」の店へ。「定休日」の看板…そんなぁ、今日は月曜日じゃないのに。 ...Andres y Amelia SubscriberDos Peregrinos
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