舞阪~新居~白須賀~二川

前夜は舞阪の脇本陣での落語会のIMGP2639後、弁天島駅から電車に乗って2つ目の鷲津駅に行って泊ったので、今朝はまた電車で戻り、舞阪の渡船場跡から街道を歩きはじめる。

近くでは牡蠣の養殖の準備をする漁民の姿も見られ、浜名湖が鰻だけではないことを思い出させてくれる。

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弁天島から新居宿の方に渡る橋は、国道1号(東海道)と東海道本線、新幹線が並行してあり、遠く離れて遠州灘側に国道のバイパスが走っている。在来線よりもはるかに頻繁に新幹線が走り過ぎて行く。

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新居宿には関所が残っていて、資料館として公開されている。展示内容は箱根の関所と大差ない。

 

 

 

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関所に隣接して、渡船場が復元されている。使われていた船は展示されていなかったが、船着き場の規模から大きくはなかったことが想像される。

 

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宿場内の旅籠「紀伊国屋」も内部が公開されている。

 

 

 

 

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新居宿から白須賀宿の間は、国道と並行した通行量の少ない松並木の道になっているところが多い。

 

 

 

 

 

 

白須賀宿の手前でお婆さんに呼び止められた。「いいものを見せてあげるから、うちにおいで」と道に面した小さな古い家に招き入れる。しきりに「怪しいもんではないから」と強調する。見せてくれたのはNHKで放送した東海道歩き旅での岩本輝雄と一緒の写真やいくつかの新聞の記事。東海道の名物お婆ちゃんのようだ。数日前に通ったはずのロボット「エボルタ君」のことを尋ねると、エボルタ君たち一行から送られてきた手紙と写真を見せてくれる。94歳だそうだが、通りがかりの人たちに声をかけては写真などを見せて楽しんでいるようだ。別れ際にIMGP2719IMGP2720お婆ちゃん手作りの「布わらじ」をプレゼントしてくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

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白須賀宿には古い町並みが残っているが、人通りもなくひっそりしている。

 

 

 

 

 

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こんなに静かな集落の学校にも、立ち入り禁止の看板にはポルトガル語とスペイン語が併記されている。浜松などの都市部だけではなく、このあたりにも南米からの「出稼ぎ」の人たちが住んでいるのだろうか。

 

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11時半に新居宿を出、白須賀宿本陣跡に着いたのは14時ごろ。さらに30分ほど歩いてようやく昼食にありつけた。この間、約10km、1軒の食事処もコンビニも、とにかく商店が全くなかった。国道に合流してやっと見つけた食堂で遅い昼食をとったのだが、その後も2~3kmの間、食事処はなかった。

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二川宿の入口は例によって桝形になっている。

 

 

 

 

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ここでは街道沿いの建物が、民家も含めて宿場風に建て替えられているのが多く見られる。ガス屋さんもこの通り。

 

 

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本陣は復元されて公開されている。

 

 

 

 

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着物やカツラ、旅の道具類が用意してあり、自由に身につけてみることができるようになっている。

本陣から1kmほど進んだところにある二川駅で今日の街道歩きは打ち切り。東海道線で隣の豊橋に移動して泊る。

舞阪宿から二川駅まで19.85km。32,900歩。

この日の総歩数34,765。

por Andres

Andres y Amelia東海道中舞阪~新居~白須賀~二川 前夜は舞阪の脇本陣での落語会の後、弁天島駅から電車に乗って2つ目の鷲津駅に行って泊ったので、今朝はまた電車で戻り、舞阪の渡船場跡から街道を歩きはじめる。 近くでは牡蠣の養殖の準備をする漁民の姿も見られ、浜名湖が鰻だけではないことを思い出させてくれる。         弁天島から新居宿の方に渡る橋は、国道1号(東海道)と東海道本線、新幹線が並行してあり、遠く離れて遠州灘側に国道のバイパスが走っている。在来線よりもはるかに頻繁に新幹線が走り過ぎて行く。 新居宿には関所が残っていて、資料館として公開されている。展示内容は箱根の関所と大差ない。       関所に隣接して、渡船場が復元されている。使われていた船は展示されていなかったが、船着き場の規模から大きくはなかったことが想像される。   宿場内の旅籠「紀伊国屋」も内部が公開されている。         ...退職者夫婦の旅と日常(スペイン・旅・留学・巡礼・映画・思索・本・・・)