瀬田駅(JR東海道線)~大津宿~京都三条大橋

大津のホテルを9時ちょうどにIMGP3250出て、大津駅から電車で瀬田へ移動。9時30分に瀬田駅前から歩きはじめる。

5分とかからずに東海道に出る。そこにあった道標には、「江戸日本橋まで百二十里余り」「三条大橋まで五里余り」と記されている。全行程の96%を歩き終え、今日は残り4%を行くことになるのだと、改めて感慨に浸る。

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「瀬田の唐橋」は今は欄干も鉄製。数隻のボートが橋の下を通り抜けて訓練に励んでいた。

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大津宿の手前に「義仲寺」がある。小さな寺だが、境内には木曽義仲と松尾芭蕉の墓、巴御前の塚があり、また芭蕉をはじめ多くの句碑もある。

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片隅には文芸評論家の保田與重郎の墓もある。

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大津宿に入っていわゆる大津事件の現場である「露国皇太子遭難之地」の碑。

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大津宿本陣跡には木の立札があるだけ。着いたのは12時35分。

この辺りも宿場の雰囲気を残したものは全くない。

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大津宿を過ぎて長い坂を登りきると、「逢坂の関址」。実際の場所は定かではないそうだが。

IMGP3282ここは国道1号線で、交通量が多く、坂道をスピードを上げてトラックなどが驀進して行くので空気も悪い。

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今日は昼食を13時過ぎにとることができた。それも明治5年創業の「かねよ」で。

「鰻まむし」と「きんし丼」の、それぞれ「上」を食べた。

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きんし玉子は味も良かったが、とにかくその巨大さに圧倒された。玉子を少なくとも3個は使っているものだろう。満腹になってしまった。

「かねよ」に入ったころから雨が降りはじめる。IMGP3286

食事をする個室からながめられる庭には、色あせたモミジが見られる。2~3週間前の紅葉の頃はさぞかし美しかっただろうと想像できる。

食事を終えて「かねよ」を出てみると、まだ細かい霧雨が降っていた。

国道1号をしばらく行き、山科の手前で国道から離れて市街路を通り、東海道本線をくぐってから更に細い道に入ると、最後の峠越えにかかる。急な登りが続くが、この辺りは新しい住宅や小さなアパートと、廃屋や空き地、スクラップ置き場などが混在し、長い旧東海道の道筋の中でも最も荒れているように思える。

五条通りに出て、いよいよゴールが近づく。4時半過ぎには暗くなるので、何とか明るいうちに着こうとペースを上げる。IMGP3300

三条大橋まで1kmを切ったあたりにある龍馬とお龍の「結婚式場」跡では、男女の二人連れが写真を撮り合っていた。

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わずかに明るさの残る16時45分、三条大橋に到着。

9月29日に日本橋を出発してから2ヶ月半、汗を拭きながら日に4本も500mlペットボトルを飲みほしていたころから、ダウンジャケットを着て手袋をはめても寒いような日まで。歩いた日数は29日。半ばを過ぎるあたりまでは長く感じていたものも、最後の数日は非常に短く思えた。

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三条大橋は擬宝珠だけが「らしさ」を表しているが、周囲も含めて街道の面影は全くない。橋のたもと、先斗町側には弥次さん喜多さんの像がある。私たち二人の弥次喜多道中は一旦ここで終わる。次は・・・・・。

瀬田駅から三条大橋まで21.44km。34,000歩。

この日の総歩数38,760。

por Andres

Andres y Amelia東海道中瀬田駅(JR東海道線)~大津宿~京都三条大橋 大津のホテルを9時ちょうどに出て、大津駅から電車で瀬田へ移動。9時30分に瀬田駅前から歩きはじめる。 5分とかからずに東海道に出る。そこにあった道標には、「江戸日本橋まで百二十里余り」「三条大橋まで五里余り」と記されている。全行程の96%を歩き終え、今日は残り4%を行くことになるのだと、改めて感慨に浸る。 「瀬田の唐橋」は今は欄干も鉄製。数隻のボートが橋の下を通り抜けて訓練に励んでいた。 大津宿の手前に「義仲寺」がある。小さな寺だが、境内には木曽義仲と松尾芭蕉の墓、巴御前の塚があり、また芭蕉をはじめ多くの句碑もある。 片隅には文芸評論家の保田與重郎の墓もある。 大津宿に入っていわゆる大津事件の現場である「露国皇太子遭難之地」の碑。 大津宿本陣跡には木の立札があるだけ。着いたのは12時35分。 この辺りも宿場の雰囲気を残したものは全くない。 大津宿を過ぎて長い坂を登りきると、「逢坂の関址」。実際の場所は定かではないそうだが。 ここは国道1号線で、交通量が多く、坂道をスピードを上げてトラックなどが驀進して行くので空気も悪い。 今日は昼食を13時過ぎにとることができた。それも明治5年創業の「かねよ」で。 「鰻まむし」と「きんし丼」の、それぞれ「上」を食べた。 きんし玉子は味も良かったが、とにかくその巨大さに圧倒された。玉子を少なくとも3個は使っているものだろう。満腹になってしまった。 「かねよ」に入ったころから雨が降りはじめる。 食事をする個室からながめられる庭には、色あせたモミジが見られる。2~3週間前の紅葉の頃はさぞかし美しかっただろうと想像できる。 食事を終えて「かねよ」を出てみると、まだ細かい霧雨が降っていた。 国道1号をしばらく行き、山科の手前で国道から離れて市街路を通り、東海道本線をくぐってから更に細い道に入ると、最後の峠越えにかかる。急な登りが続くが、この辺りは新しい住宅や小さなアパートと、廃屋や空き地、スクラップ置き場などが混在し、長い旧東海道の道筋の中でも最も荒れているように思える。 五条通りに出て、いよいよゴールが近づく。4時半過ぎには暗くなるので、何とか明るいうちに着こうとペースを上げる。 三条大橋まで1kmを切ったあたりにある龍馬とお龍の「結婚式場」跡では、男女の二人連れが写真を撮り合っていた。 わずかに明るさの残る16時45分、三条大橋に到着。 9月29日に日本橋を出発してから2ヶ月半、汗を拭きながら日に4本も500mlペットボトルを飲みほしていたころから、ダウンジャケットを着て手袋をはめても寒いような日まで。歩いた日数は29日。半ばを過ぎるあたりまでは長く感じていたものも、最後の数日は非常に短く思えた。 ...退職者夫婦の旅と日常(スペイン・旅・留学・巡礼・映画・思索・本・・・)