9時にホテルを出発。DSC00172

「生繭取扱場所」の看板を掲げた家がある。もちろん現在は営業していないのだろうが、かつて韮崎がこの辺りの物資の集散地として栄えたことを思い起こさせる。

 

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「十六石」は武田信玄が釜無川の治水工事でならべた巨大な石のこと。現在の川筋からは少し離れている。

 

 

 

釜無川は水害を繰り返したことが、このあたりIMGP4737にいくつか見られる「水難供養塔」の類で実感させられる。石碑の裏には亡くなった人々の名が刻まれており、その数にさらに水害の大きさを知らされる。

 

 

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町外れにあたるような地区だが、「屋敷町」と言えるような立派な屋並が続く。新しく建てられた家も大きく風格がある。

 

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釜無川の対岸に渡ると射撃場があった。珍しいものが、と驚いて近づいたが閉鎖されている。国体開催時に造ったのだろうが利用者がそんなにいるわけもなく、地元のお荷物となってしまったのだろう。

川沿いに続く小高いDSC00178山の中腹を縫って徳島堰がある。水量豊富で、流れもけっこう速い。川があると橋やで上を越えたり暗渠で下をくぐったりして続いていた。これは日本三大堰の一つ(他は柳川と箱根)と言われ、1665年に徳島兵左エ門が工事に着手したもの。

 

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どんよりとした曇り空の一日だったが、菜の花は満開、桜は散りはじめてはいたがまだ美しい景色をつくっていた。

 

 

 

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韮崎を出てずっと食事のできるような店は一軒も見当たらず、今日は昼食抜きかと覚悟していたら、昔ながらの喫茶店がポツンと一軒あった。きっとつぶれているだろうと思いながら近づくと、中から明かりがもれ、扉を押して尋ねてみると営業中だった。助かりました。

食後少し歩いて、「牧原交差点」でこの日の街道歩きは終了にした。

ここまでの歩行距離 14.05km 22,115歩

そこから小高い山を超えて日野春駅まで歩き、中央本線で帰宅。

日野春駅までのこの日の総歩行距離 16.72km 26,199歩

por Andrés

Andres y Amelia甲州道中9時にホテルを出発。 「生繭取扱場所」の看板を掲げた家がある。もちろん現在は営業していないのだろうが、かつて韮崎がこの辺りの物資の集散地として栄えたことを思い起こさせる。   「十六石」は武田信玄が釜無川の治水工事でならべた巨大な石のこと。現在の川筋からは少し離れている。       釜無川は水害を繰り返したことが、このあたりにいくつか見られる「水難供養塔」の類で実感させられる。石碑の裏には亡くなった人々の名が刻まれており、その数にさらに水害の大きさを知らされる。     町外れにあたるような地区だが、「屋敷町」と言えるような立派な屋並が続く。新しく建てられた家も大きく風格がある。   釜無川の対岸に渡ると射撃場があった。珍しいものが、と驚いて近づいたが閉鎖されている。国体開催時に造ったのだろうが利用者がそんなにいるわけもなく、地元のお荷物となってしまったのだろう。 川沿いに続く小高い山の中腹を縫って徳島堰がある。水量豊富で、流れもけっこう速い。川があると橋やで上を越えたり暗渠で下をくぐったりして続いていた。これは日本三大堰の一つ(他は柳川と箱根)と言われ、1665年に徳島兵左エ門が工事に着手したもの。   ...退職者夫婦の旅と日常(スペイン・旅・留学・巡礼・映画・思索・本・・・)