佐久平駅〜岩村田〜塩名田宿〜八幡宿〜望DSC03794月宿〜茂田井間の宿〜芦田宿

9時10分にホテルをチェックアウト。昨夕、中山道を外れた地点へ戻って街道歩きを再開。すぐに相生の松に。皇女和宮が野点をしたところだそうだ。DSC03807

佐久平ショッピングセンターに通じる大通りを渡ると田園の中の道になる。稲刈りの終わった田んぼや赤IMGP0829いリンゴが鈴なりになった果樹園が続く。このあたりのリンゴは低木。中山道だけが緩やかなカーブを描いており、他の道は碁盤の目状の直線。

DSC03810塩名田宿の手前で駒形神社を見学。本殿が重要文化財。

 

 

 

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塩名田宿。なぜか大砲を売っている骨董屋が開いている。宿場時代のDSC03823屋号の看板をかけたりして雰囲気を出しているが、やはり町は寂れていて、営業中は他に電気屋とお菓子屋だけ。DSC03841

 

千曲川に向かって下ったところには、三階建ての住居がある。中には橋が架け替えられて国道が崖の上を通るようになったので、出入りの便のために四階建てに増築した家もある。竹廼屋でハヤの天丼を食べようかとも思ったが、11時20ではまだ早いのか、開いていない。準備中との札も出ていないし、そもそも今日は開くのかもわからないので、あきらめる。DSC03853

ここで千曲川を渡る。川の中に舟つなぎ石が見える。

川を渡って御馬寄でドライブイン食堂があったので昼食にする。何ということもないメニュー。野菜炒め定食と味噌カツ定食。特に美味しくもないが、この先に食事をとれる店がDSC03858あるか怪しいので、よしとする。実際、先には何もなかった。

店のすぐ上に江戸中期の作の大日如来像が畑の中に何の表示もなく座っている。

 

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八幡宿で見るべきものは八幡神社。神社前のバス停の待合所には古い広告が並んでいる。今でも営業を続けているのはいくつあるのだろう。

 

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神社は随神門や本殿が素晴らしい。DSC03924

ちょっときつい瓜生坂を過ぎると望月宿。小雨が降り始める。歴史民俗資料館を見学。1階は考古学的資料、2階が中山道関係と民俗資料。見終えて外に出ると、雨は続いている。このあたりでは大きな町で、見るべきものは幾つかあるようだが、雨で冷え込んでもきたので先に進むことにする。DSC03942

茂田井間の宿は大澤酒造の町、といった感じ。大澤酒造の白壁の塀が長く続き、他を圧倒している。大澤酒造の中に美術館と資料館があるので見学。美術館は先々代DSC03945あたりの当主が造ったもの。自らも絵を描き、海外留学もしたそうだ。どうもドラ息子だったようだ。資料館は酒に関するものだが、森、小泉、安倍、麻生、鳩山、安倍IMGP0918と最近の歴代首相の「國酒」と書いた色紙が並べられている。管と野田は見当たらなかった。大澤家は江戸時代の名主で、それ以来現在に至るまで茂田井の中心であり続けているようだ。悪趣味。

夕暮れて芦田宿に到着。本陣・問屋場跡DSC03989のすぐ先にある金丸土屋旅館が今夜の宿。旅籠だったところで、一部は200年の建物だそうだが、古くはあっても風情を感じられるようなものではない。トイレや風呂はごく最近増築したもののようで真新しいが、部屋は廊下や隣室と襖や障子で仕切られているだけ。隣室は改装中で畳が取り外されている。同宿は76歳の男性一人。夕食時に少しおしゃべり。街道を歩いているが、良さそうな場所だけを選んでいるそうだ。食事は豚肉のソテー、塩鮭、マグロ刺身、里芋などの煮物、味噌汁といった民宿並のもの。

明日の宿について旅館の主人に尋ねてみると、予定していた和田宿の本亭旅館はもうやっていないとのこと。調べていた限りでは残る選択肢は「民宿みや」のみ、ということになった。食後すぐに電話して予約。街道歩きの途中で電話すれば車で迎えに来てくれるそうだ。明日は、明後日の和田峠越えを少しでも楽にするために出来るだけ先に進んでから民宿みやに電話することにしよう。

31,400歩 21.0km

por Andrés

Andres y Amelia中山道中佐久平駅〜岩村田〜塩名田宿〜八幡宿〜望月宿〜茂田井間の宿〜芦田宿 9時10分にホテルをチェックアウト。昨夕、中山道を外れた地点へ戻って街道歩きを再開。すぐに相生の松に。皇女和宮が野点をしたところだそうだ。 佐久平ショッピングセンターに通じる大通りを渡ると田園の中の道になる。稲刈りの終わった田んぼや赤いリンゴが鈴なりになった果樹園が続く。このあたりのリンゴは低木。中山道だけが緩やかなカーブを描いており、他の道は碁盤の目状の直線。 塩名田宿の手前で駒形神社を見学。本殿が重要文化財。       塩名田宿。なぜか大砲を売っている骨董屋が開いている。宿場時代の屋号の看板をかけたりして雰囲気を出しているが、やはり町は寂れていて、営業中は他に電気屋とお菓子屋だけ。   千曲川に向かって下ったところには、三階建ての住居がある。中には橋が架け替えられて国道が崖の上を通るようになったので、出入りの便のために四階建てに増築した家もある。竹廼屋でハヤの天丼を食べようかとも思ったが、11時20ではまだ早いのか、開いていない。準備中との札も出ていないし、そもそも今日は開くのかもわからないので、あきらめる。 ここで千曲川を渡る。川の中に舟つなぎ石が見える。 川を渡って御馬寄でドライブイン食堂があったので昼食にする。何ということもないメニュー。野菜炒め定食と味噌カツ定食。特に美味しくもないが、この先に食事をとれる店があるか怪しいので、よしとする。実際、先には何もなかった。 店のすぐ上に江戸中期の作の大日如来像が畑の中に何の表示もなく座っている。   八幡宿で見るべきものは八幡神社。神社前のバス停の待合所には古い広告が並んでいる。今でも営業を続けているのはいくつあるのだろう。   神社は随神門や本殿が素晴らしい。 ちょっときつい瓜生坂を過ぎると望月宿。小雨が降り始める。歴史民俗資料館を見学。1階は考古学的資料、2階が中山道関係と民俗資料。見終えて外に出ると、雨は続いている。このあたりでは大きな町で、見るべきものは幾つかあるようだが、雨で冷え込んでもきたので先に進むことにする。 茂田井間の宿は大澤酒造の町、といった感じ。大澤酒造の白壁の塀が長く続き、他を圧倒している。大澤酒造の中に美術館と資料館があるので見学。美術館は先々代あたりの当主が造ったもの。自らも絵を描き、海外留学もしたそうだ。どうもドラ息子だったようだ。資料館は酒に関するものだが、森、小泉、安倍、麻生、鳩山、安倍と最近の歴代首相の「國酒」と書いた色紙が並べられている。管と野田は見当たらなかった。大澤家は江戸時代の名主で、それ以来現在に至るまで茂田井の中心であり続けているようだ。悪趣味。 夕暮れて芦田宿に到着。本陣・問屋場跡のすぐ先にある金丸土屋旅館が今夜の宿。旅籠だったところで、一部は200年の建物だそうだが、古くはあっても風情を感じられるようなものではない。トイレや風呂はごく最近増築したもののようで真新しいが、部屋は廊下や隣室と襖や障子で仕切られているだけ。隣室は改装中で畳が取り外されている。同宿は76歳の男性一人。夕食時に少しおしゃべり。街道を歩いているが、良さそうな場所だけを選んでいるそうだ。食事は豚肉のソテー、塩鮭、マグロ刺身、里芋などの煮物、味噌汁といった民宿並のもの。 明日の宿について旅館の主人に尋ねてみると、予定していた和田宿の本亭旅館はもうやっていないとのこと。調べていた限りでは残る選択肢は「民宿みや」のみ、ということになった。食後すぐに電話して予約。街道歩きの途中で電話すれば車で迎えに来てくれるそうだ。明日は、明後日の和田峠越えを少しでも楽にするために出来るだけ先に進んでから民宿みやに電話することにしよう。...退職者夫婦の旅と日常(スペイン・旅・留学・巡礼・映画・思索・本・・・)