旧中山道歩き旅 13日目(2013年10/31)
民宿みや…ドライブイン和田塾~和田峠~下諏訪宿
同宿のお客(8人)は全員和田峠越えを予定しており、大半が7時にはすでに出発。私達夫婦と男性1人の3人は7時半に今日の出発地「ドライブイン和田宿」まで民宿「みや」のご主人に車で送ってもらった。昨夜声をかけてくれたドライブインの親切な婦人がおやつにと菓子袋を渡してくれた。振り返るとずっと手を振っていた。
道を間違えないよう青色の標識に注意しつつ唐沢へ。ここからはだんだん山道へと変わっていく。木橋を渡り、ほぼ原形をとどめているという「唐沢の一里塚」を過ぎ、男女倉口(標高1,100m)へ。
かつて山の中腹にあった熊野権現社前の石像を集めたという「三十三体観音」から30分歩いた先で国道と合流。ここに「永大人馬施行所」がある。冬の間、難儀している人馬に食料と暖を与えた場所で、現在は再建して休憩所になっている。水場では美味しい山の水をポリタンクに汲んでいく車が次々と停まっていく。私もからのペットボトルに水を満たして再出発。
お助け小屋の辺りからしばらくは苔むした石畳の道。
ひたすら登り、東餅屋のドライブインで休憩。数日後に閉店だからと黒曜石をおみやげにと勧めるご主人。作り置きの力餅は固く冷たかったが、もう二度と味わうことはないと思うと感慨もひとしお。
旧国道を横断する小さなトンネルをくぐり、さらに登ってようやく頂上の古峠(1,605m)に到着。
御嶽山遥拝所や三途の川を模した碑などがある。雪の和田峠越えは命をかけた厳しい旅だったのだろう。
昼食にはまだ早いので西餅屋跡まで下ることにする。すべりやすい坂道だ。熊鈴の音色はよく響くので、良いのか悪いのか熊はもちろん鹿やリスなどの動物にも会えなかった。
ベンチしかない「西餅屋茶屋跡」で、民宿で作ってもらった梅干おにぎり2個と魚肉ソ-セージの昼食。ここもかつては旅人で賑わっていたのだと看板の地図を見て思う。
一里塚跡を過ぎると、頭の上を国道が走る崖道に入り、今にも石が転がってきそうな狭い道をおっかなびっくり歩く。
「水戸浪士の墓(浪人塚)」は幕末にここで討ち死にした6人の浪士を顕彰している。
ゆるやかなアスファルトの下り坂になり、現世そのものの工場やペット霊園が出現。
「樋橋茶屋跡」では古い家が公会所として利用されていた。
そろそろ下諏訪。「御柱木落とし坂」。上からのぞくと、とんでもない急坂で、これでは死者が出ない方が不思議なくらい。
「注連掛の広場」も見学して「諏訪大社下社春宮」へ。脇道から赤い橋、浮島、橋と渡って「万治の石仏」へ。天然石に阿弥陀仏の胴体を刻み、頭部をのせた姿は堂々としたもので、脇腹には万治3年(1660年)の文字。350年も鎮座している大仏の何とも言えない存在感。
しばし温泉街を歩いて「本陣岩波家」に到着。ここは甲州街道との合流地点。
今日の宿はもちろん温泉。「旅館奴」の今日の客は私達2人だけだったようだ。夕食はフルコースのフランス風和食で手が込んでいた。美味しいのはもちろんだが目にも美しく、女将さんが頃合いよくサービスしてくれたので大満足。露天風呂、内風呂と二度お湯に浸かり、固まった筋肉をほぐしてくつろぐ。入浴後、日焼けのせいか顔が赤くかゆみもでてきたのが気になるが、熊と遭遇せずに無事峠を越えることができたのは何よりだった。
38,900歩 21.2km
por Amelia
https://dosperegrinos.net/2013/10/31/%e6%97%a7%e4%b8%ad%e5%b1%b1%e9%81%93%e6%ad%a9%e3%81%8d%e6%97%85-13%e6%97%a5%e7%9b%ae2013%e5%b9%b41031/中山道中民宿みや…ドライブイン和田塾~和田峠~下諏訪宿 同宿のお客(8人)は全員和田峠越えを予定しており、大半が7時にはすでに出発。私達夫婦と男性1人の3人は7時半に今日の出発地「ドライブイン和田宿」まで民宿「みや」のご主人に車で送ってもらった。昨夜声をかけてくれたドライブインの親切な婦人がおやつにと菓子袋を渡してくれた。振り返るとずっと手を振っていた。 道を間違えないよう青色の標識に注意しつつ唐沢へ。ここからはだんだん山道へと変わっていく。木橋を渡り、ほぼ原形をとどめているという「唐沢の一里塚」を過ぎ、男女倉口(標高1,100m)へ。 山道に入るところにクマ出没の看板。念のために熊鈴を装着。 かつて山の中腹にあった熊野権現社前の石像を集めたという「三十三体観音」から30分歩いた先で国道と合流。ここに「永大人馬施行所」がある。冬の間、難儀している人馬に食料と暖を与えた場所で、現在は再建して休憩所になっている。水場では美味しい山の水をポリタンクに汲んでいく車が次々と停まっていく。私もからのペットボトルに水を満たして再出発。 お助け小屋の辺りからしばらくは苔むした石畳の道。 ひたすら登り、東餅屋のドライブインで休憩。数日後に閉店だからと黒曜石をおみやげにと勧めるご主人。作り置きの力餅は固く冷たかったが、もう二度と味わうことはないと思うと感慨もひとしお。 旧国道を横断する小さなトンネルをくぐり、さらに登ってようやく頂上の古峠(1,605m)に到着。 御嶽山遥拝所や三途の川を模した碑などがある。雪の和田峠越えは命をかけた厳しい旅だったのだろう。 昼食にはまだ早いので西餅屋跡まで下ることにする。すべりやすい坂道だ。熊鈴の音色はよく響くので、良いのか悪いのか熊はもちろん鹿やリスなどの動物にも会えなかった。 ベンチしかない「西餅屋茶屋跡」で、民宿で作ってもらった梅干おにぎり2個と魚肉ソ-セージの昼食。ここもかつては旅人で賑わっていたのだと看板の地図を見て思う。 一里塚跡を過ぎると、頭の上を国道が走る崖道に入り、今にも石が転がってきそうな狭い道をおっかなびっくり歩く。 「水戸浪士の墓(浪人塚)」は幕末にここで討ち死にした6人の浪士を顕彰している。 ゆるやかなアスファルトの下り坂になり、現世そのものの工場やペット霊園が出現。 「樋橋茶屋跡」では古い家が公会所として利用されていた。...Andres y Amelia SubscriberDos Peregrinos
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