旧中山道歩き旅 16日目(2013年11/16)
塩尻~洗馬宿~本山宿~贄川宿~奈良井宿
8時10分にチェックアウト。昨日、中山道を離れた地点に戻る。距離は数百メートル。
中央本線のガードをくぐると間もなく昭和電工の大きな工場がある。中に神社が見え、スピーカーからは大音量で音楽が流れている。何事かと思っていたら、やがてラジオ体操の音に変わる。土曜日なのに操業しているようだ。
平出の一里塚。さすがに木は植え替えられているが、塚は道の両側にきれいに残っている。間隔は現在の道路の二倍ほど。一つは道路際だが、他方は向かいの家の裏。昔の中山道は道幅が広かったのだろうか。
しばらく進むと両側にブドウ畑が広がってくる。11月半ばなので当然収穫は終わり葉も枯れてしまっている。しかし中には取り残しがあって、道からとれるものもある。干しぶどうになっているのはあまり甘くなかったが、なぜかみずみずしいのもあり、これは甘くては美味しい。一カ所だけ巨峰が豊かに実っている畑があった。この時期に実らせる目的は何なのだろう。
洗馬宿に入ったところで「あふたの清水」という湧き水を味わいに街道から少し右に下りる。飲んでみるが、そんなに冷たくもなく味も特においしいというものでもない。
洗馬駅に寄ってトイレを借りる。無人駅でトイレも古いが、掃除は行き届いている。
洗馬宿は鉄道が敷かれた時に宿場時代の建物が取り壊されたようで、昔の面影はない。
本山宿にかかったところに「本山そばの里」がある。ここはそば切り発祥の地。この先しばらくは食事のできる場所は無さそうなので、少し早いがここで昼食にする。店の前まで行ってみると開店は11時。十数分待つことになる。蕎麦御膳(もりそば、そば団子汁、蕎麦の実とエノキの和え物、蕎麦饅頭)、天ぷらそば、蕎麦五平餅。蕎麦は美味しいが、全体にやはりしょっぱい。人気店なのか、どんどん客が入ってくる。
本山宿は各家が屋号の看板を掲げて宿場らしさを出しているが、それ以外には特に観光に力を入れている様子はない。
「是より南、木曽路」の標識が何種類もあり、これが主だと思われる石碑のところで、「木曽路はすべて山の中である」を実感させる為ではないだろうが、街道は国道から離れて急坂を上る山道になる。す
ぐに国道に戻されるが。
どんどん谷が狭くなり、両側から紅葉に染まった山が迫ってくる。
贄川で国道を離れて中央本線を越すが、跨線橋の欄干には中山道を描いた模様が施され、その上に金属パイプが吊されていて、順に鳴らすと木曽節のメロディーになる仕掛け。
その先に番所が復元されて「贄川関所・木曽考古館」になっている。係の女性が「信州木曽路 中山道を歩く」という冊子をくれ、贄川の見所として「深澤家住宅」と郵便局のポストを紹介してくれる。
ポストは香川県にあるものとこことの二カ所だけのもので、投函口に「LETTER」とある。なぜだろう。
(左が一般のポスト)
深澤家住宅は非公開で、裏に回って蔵を見てみるが、少し荒れている。
道の駅「木曽ならかわ 木曽くらしの工芸館」で漆器を見るが、良いと思うものは器一つで数千円から数万円で手が出ない。歩き旅の途中なので買うつもりもないのだが。
平沢の集落を抜けて行くが、多くの漆器店が趣のある町並みを作っている。
夕暮れ時に奈良井宿に到着。駅から少し歩いて今日の宿、「民宿かとう」へ。暗くなっているにも関わらず、さすがに奈良井宿、観光客がそぞろ歩いている。
ちょうど5時に民宿に着いたが、部屋に案内されるとすぐに夕食の部屋へ連れて行かれる。同宿は母娘二人のみ。食事は、味はまずまずだが、焼き物揚げ物が冷めていて、汁物もぬるい。民宿でも、こういうところはちゃんとしてほしい。
ここの建物は幅3間ほどで、奥行きがものすごく長い(後日、地図で確かめてみると60mほどあった)。表の道に面した部屋は一つだけで、両隣とは壁を接しているので他の部屋には窓がない。そこで私たちの部屋にも天窓がついていて明かり取りになっている。裏口を出ると道、鉄道、その先に離れがあるそうだ。
41,000歩 27.0km
por Andrés
https://dosperegrinos.net/2013/11/16/%e6%97%a7%e4%b8%ad%e5%b1%b1%e9%81%93%e6%ad%a9%e3%81%8d%e6%97%85-16%e6%97%a5%e7%9b%ae2013%e5%b9%b41116/中山道中塩尻~洗馬宿~本山宿~贄川宿~奈良井宿 8時10分にチェックアウト。昨日、中山道を離れた地点に戻る。距離は数百メートル。 中央本線のガードをくぐると間もなく昭和電工の大きな工場がある。中に神社が見え、スピーカーからは大音量で音楽が流れている。何事かと思っていたら、やがてラジオ体操の音に変わる。土曜日なのに操業しているようだ。 平出の一里塚。さすがに木は植え替えられているが、塚は道の両側にきれいに残っている。間隔は現在の道路の二倍ほど。一つは道路際だが、他方は向かいの家の裏。昔の中山道は道幅が広かったのだろうか。 しばらく進むと両側にブドウ畑が広がってくる。11月半ばなので当然収穫は終わり葉も枯れてしまっている。しかし中には取り残しがあって、道からとれるものもある。干しぶどうになっているのはあまり甘くなかったが、なぜかみずみずしいのもあり、これは甘くては美味しい。一カ所だけ巨峰が豊かに実っている畑があった。この時期に実らせる目的は何なのだろう。 洗馬宿に入ったところで「あふたの清水」という湧き水を味わいに街道から少し右に下りる。飲んでみるが、そんなに冷たくもなく味も特においしいというものでもない。 洗馬駅に寄ってトイレを借りる。無人駅でトイレも古いが、掃除は行き届いている。 洗馬宿は鉄道が敷かれた時に宿場時代の建物が取り壊されたようで、昔の面影はない。 本山宿にかかったところに「本山そばの里」がある。ここはそば切り発祥の地。この先しばらくは食事のできる場所は無さそうなので、少し早いがここで昼食にする。店の前まで行ってみると開店は11時。十数分待つことになる。蕎麦御膳(もりそば、そば団子汁、蕎麦の実とエノキの和え物、蕎麦饅頭)、天ぷらそば、蕎麦五平餅。蕎麦は美味しいが、全体にやはりしょっぱい。人気店なのか、どんどん客が入ってくる。 本山宿は各家が屋号の看板を掲げて宿場らしさを出しているが、それ以外には特に観光に力を入れている様子はない。 「是より南、木曽路」の標識が何種類もあり、これが主だと思われる石碑のところで、「木曽路はすべて山の中である」を実感させる為ではないだろうが、街道は国道から離れて急坂を上る山道になる。す ぐに国道に戻されるが。 どんどん谷が狭くなり、両側から紅葉に染まった山が迫ってくる。...Andres y Amelia SubscriberDos Peregrinos
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