旧中山道歩き旅 30日目(2014年4/6)
東京…名古屋…美濃赤坂駅~赤坂宿~垂井宿~関ヶ原駅…大垣駅
3月末から歩き始め桜満開の京都に入るつもりが消費税8%アップの影響で、とんでもない事件が起こってしまった。事件とは?3月30日夜、いつも使用していたD社のゲルが出発前に届かず、普段使ってない試供品のクリームを使用したところ、たった1gで翌朝顔から首にかけてかゆみを伴い赤く瞼まで膨れ上がる見るも無残な姿に…。大垣市に泊まっていたので、近くの皮膚科でアレグラを1週間分処方してもらったが、症状はすぐに良くなりそうもないので、歩くのをあきらめて東京へ。近所の皮膚科で副腎皮質ホルモン剤の錠剤と塗薬をもらい、1週間後にようやく完治。紫外線の影響もあるかとためらったが、完全防備で行くことにした。
幸い今日は曇り空。ハイネックのシャツ、帽子、手袋、めがね、マスクそして傘という出で立ち。「ぷらっとこだま」を利用。普通車はすでに満員だったのでグリーン車で名古屋へ。名古屋から大垣駅、美濃赤坂駅と乗り継ぐ。大垣から美濃赤坂駅まで鉄道大好き少年と乗り合わせた。運転士の様子をじっと見ている姿がかわいい。
石灰石の集積所にもなっている駅の写真を撮って彼らは折り返して帰って行った。
12時半街道歩きをスタート。おやつを買うつもりでいた「五七処」は残念ながら閉店。昭和初期の建物を写真に撮ろうとするも大きなワゴン車が停まっていてこれまた残念。
照手姫にまつわる史跡がこの辺りには多いようだ。長者にその美貌で客を取れと言われ、拒んだために無理難題を課された姫が籠で水を汲んだ井戸とのこと。最後は夫の小栗判官に迎えられ幸せに。「小篠竹の塚」は姫の墓だと言われている。
「垂井追分道標」を確認して、相川を渡る。天気が怪しくなってきた。山から冷たい雨と風が吹き降り、川に渡された鯉のぼりがすさまじい勢いで泳いでいる。
垂井宿に入ったところで雨足がひどくなったので「垂井宿お休み処」になっているかつての旅籠「長浜屋」で雨宿り。ボランティアの老人は朴訥だが温かい方だった。雨が小止みになり薄日も差してきたので、歩き旅再開。
「野上の七つ井戸」は江戸時代から利用された井戸で、今も使えるつるべ式の井戸。
「壬申の乱」のとき、大海人皇子が兵士に山桃を配って勝利したという「桃配山」。ここは歴史の古い地域なんだと納得。しかし看板の「歴史を知る、感じるパワー『ビクトリースポット』 」って余計なのでは?
駅構内のトイレのそばに、鉄道唱歌の碑があった。
ここから大垣に戻り、
https://dosperegrinos.net/2014/04/06/%e6%97%a7%e4%b8%ad%e5%b1%b1%e9%81%93%e6%ad%a9%e3%81%8d%e6%97%85-30%e6%97%a5%e7%9b%ae2014%e5%b9%b446/中山道中東京…名古屋…美濃赤坂駅~赤坂宿~垂井宿~関ヶ原駅…大垣駅 3月末から歩き始め桜満開の京都に入るつもりが消費税8%アップの影響で、とんでもない事件が起こってしまった。事件とは?3月30日夜、いつも使用していたD社のゲルが出発前に届かず、普段使ってない試供品のクリームを使用したところ、たった1gで翌朝顔から首にかけてかゆみを伴い赤く瞼まで膨れ上がる見るも無残な姿に…。大垣市に泊まっていたので、近くの皮膚科でアレグラを1週間分処方してもらったが、症状はすぐに良くなりそうもないので、歩くのをあきらめて東京へ。近所の皮膚科で副腎皮質ホルモン剤の錠剤と塗薬をもらい、1週間後にようやく完治。紫外線の影響もあるかとためらったが、完全防備で行くことにした。 幸い今日は曇り空。ハイネックのシャツ、帽子、手袋、めがね、マスクそして傘という出で立ち。「ぷらっとこだま」を利用。普通車はすでに満員だったのでグリーン車で名古屋へ。名古屋から大垣駅、美濃赤坂駅と乗り継ぐ。大垣から美濃赤坂駅まで鉄道大好き少年と乗り合わせた。運転士の様子をじっと見ている姿がかわいい。 石灰石の集積所にもなっている駅の写真を撮って彼らは折り返して帰って行った。 12時半街道歩きをスタート。おやつを買うつもりでいた「五七処」は残念ながら閉店。昭和初期の建物を写真に撮ろうとするも大きなワゴン車が停まっていてこれまた残念。 杭瀬川の戦死者を弔った兜塚は桜満開。 照手姫にまつわる史跡がこの辺りには多いようだ。長者にその美貌で客を取れと言われ、拒んだために無理難題を課された姫が籠で水を汲んだ井戸とのこと。最後は夫の小栗判官に迎えられ幸せに。「小篠竹の塚」は姫の墓だと言われている。 「垂井追分道標」を確認して、相川を渡る。天気が怪しくなってきた。山から冷たい雨と風が吹き降り、川に渡された鯉のぼりがすさまじい勢いで泳いでいる。 垂井宿に入ったところで雨足がひどくなったので「垂井宿お休み処」になっているかつての旅籠「長浜屋」で雨宿り。ボランティアの老人は朴訥だが温かい方だった。雨が小止みになり薄日も差してきたので、歩き旅再開。 「西の見付」「松島稲荷神社」から「垂井一里塚」へ。 「野上の七つ井戸」は江戸時代から利用された井戸で、今も使えるつるべ式の井戸。 わずかに残っている松並木の休憩所で、鬼饅頭で一休み。 「壬申の乱」のとき、大海人皇子が兵士に山桃を配って勝利したという「桃配山」。ここは歴史の古い地域なんだと納得。しかし看板の「歴史を知る、感じるパワー『ビクトリースポット』 」って余計なのでは? 4時45分に関が原駅到着。 駅構内のトイレのそばに、鉄道唱歌の碑があった。 ここから大垣に戻り、Andres y Amelia SubscriberDos Peregrinos
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