彦根…鳥居本駅~鳥居本宿~高宮宿~愛知川宿~武佐宿…近江八幡駅

桜満開の「彦根城」と「彦にゃん」に別れをつげ、近江鉄道で鳥居本駅へ。ここの駅舎は昭和初期の建築様式を踏襲している無人駅。平成8年には184時間世界最長コンサートを開催した場所でギネスブックにも登録されたという表示あり。IMGP2757

9時半に歩き旅スタート。すぐに合羽所「松屋」の看板。ビニールやナイロンの出現で今はもう文字の消えかかった看板だけが当時の様子を物語っている。

 

 

 

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彦根道との分岐点を過ぎて古宿へ。聖徳太子が合戦で1時隠れた場所や小野小町塚などが現れ、いにしえの都に近付いているんだなと思う。IMGP2783

高宮神社前の宿駅「座・楽庵」でトイレ休憩を取ろうとするも閉店。向かいの高宮神社も巫女さんが使用中とのこと。この辺りは42歳、61歳などの厄年者がまとまって神社に寄付をする習慣があるらしく名前の刻まれた鳥居の柱と美しい桜並木が印象的だった。

 

 

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風情のある提灯屋、本陣跡を過ぎ、犬上川に架かる「むちん橋」を渡る。川渡しや仮橋が有料の時代に渡り賃を取らないというのは画期的だったのだろう。

間の宿「石畑」の辺りで昼食場所を探すが見当たらず。午後1時過ぎに豊郷駅前のパン屋でサンドイッチを購入し、わびしく駅の待合室で昼食。DSC05961

多国籍企業「丸紅・伊藤忠商事」を築いた伊藤忠兵衛翁碑のあるくれない公園は掃除がちゃんとなされておらず、あまり大切にされてないのかと感じた。伊藤忠兵衛記念館は時間がないので通DSC05966り過ぎた。

 

 

 

 

 

 

鮭缶の「アケボノ缶」で利益を上げた近江商人IMGP2818藤野家本宅跡の豊会館。その脇に観音堂(千樹寺)と盆踊りの碑がある。「~音頭」というと近年作られたものが多いが「江州音頭」は天正14年(1586年)発祥。今から400年以上も前から踊られている由緒ある踊りらしい。どんなものか残念ながら見る機会はなかった。

宇曽川に架かる歌詰IMGP2824橋には平将門の首を都に運ぶ途中ここで首が急に目を開き飛び掛ろうとしたので、藤原秀郷がとっさに「歌を詠んで欲しい」と頼むと言葉に詰まった首は地面に落ちてしまったという伝説がある。怖がって「助けて!」と叫んでいたら喰らいついたのだろうな。

愛知川宿のポスト(書状集箱)は明治時代のものと同じ型で宿場の雰囲気にぴったり。今も活用しているのがいい。

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創業200年以上の料理屋「竹平楼」の門構えは武家屋敷のよう。看板を見ると「お昼のミニ会席」が3,500円。もっと早ければここでちゃんとした食事ができたのになぁ。

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愛知川の御幸橋を渡り近江商人のふるさと五箇荘へ。街中の板塀は一部紅柄で縁取られていておしゃれな感じがいい。

 

 

日暮れ時、突然出現DSC05986した「老蘇の森」の桜。それに続く「奥石神社」も緑豊か。子ども達が元気に駆け回っている。ゆっくり散歩したい場所だが先を急ぐ。

武佐宿は近江八幡市の中心から離れている。DSC05993

高札場跡を過ぎると平尾家役人宅、

 

 

 

 

 

IMGP2859旧八幡警察署武佐分署庁舎、

 

 

 

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本陣跡下川家と旧家が続く静かな宿場。

 

 

 

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武佐駅到着は午後6時20分。ホテルは近江八幡にあるので電車に乗ろうと駅で待っている最中にスペイン人男性3人に気づく。「なぜ無人駅に?」と不思議に思い、同じ車両に乗り込んで声をかけると、「ユニキャリア」で一週間の研修に来ているとのこと。一駅わずか数分の会話。パンプローナの出身で横浜や戸塚に住んだことがある、日本とビジネスのやり方が違うので大変だなどスペイン語で話しができた。名前を名乗り合う時間もなく別れたが、もっと時間があったら友人になれたかも…。

夕食はホテルお勧めの「てまり」へ。地元の客が多いが、これといった名物もなく食事面ではあまり恵まれなかったが、偶然の出会いに満足した一日になった。

44,000歩 28.8km

por Amelia

Andres y Amelia中山道中彦根…鳥居本駅~鳥居本宿~高宮宿~愛知川宿~武佐宿…近江八幡駅 桜満開の「彦根城」と「彦にゃん」に別れをつげ、近江鉄道で鳥居本駅へ。ここの駅舎は昭和初期の建築様式を踏襲している無人駅。平成8年には184時間世界最長コンサートを開催した場所でギネスブックにも登録されたという表示あり。 9時半に歩き旅スタート。すぐに合羽所「松屋」の看板。ビニールやナイロンの出現で今はもう文字の消えかかった看板だけが当時の様子を物語っている。       彦根道との分岐点を過ぎて古宿へ。聖徳太子が合戦で1時隠れた場所や小野小町塚などが現れ、いにしえの都に近付いているんだなと思う。 高宮神社前の宿駅「座・楽庵」でトイレ休憩を取ろうとするも閉店。向かいの高宮神社も巫女さんが使用中とのこと。この辺りは42歳、61歳などの厄年者がまとまって神社に寄付をする習慣があるらしく名前の刻まれた鳥居の柱と美しい桜並木が印象的だった。     風情のある提灯屋、本陣跡を過ぎ、犬上川に架かる「むちん橋」を渡る。川渡しや仮橋が有料の時代に渡り賃を取らないというのは画期的だったのだろう。 間の宿「石畑」の辺りで昼食場所を探すが見当たらず。午後1時過ぎに豊郷駅前のパン屋でサンドイッチを購入し、わびしく駅の待合室で昼食。 多国籍企業「丸紅・伊藤忠商事」を築いた伊藤忠兵衛翁碑のあるくれない公園は掃除がちゃんとなされておらず、あまり大切にされてないのかと感じた。伊藤忠兵衛記念館は時間がないので通り過ぎた。             鮭缶の「アケボノ缶」で利益を上げた近江商人藤野家本宅跡の豊会館。その脇に観音堂(千樹寺)と盆踊りの碑がある。「~音頭」というと近年作られたものが多いが「江州音頭」は天正14年(1586年)発祥。今から400年以上も前から踊られている由緒ある踊りらしい。どんなものか残念ながら見る機会はなかった。 宇曽川に架かる歌詰橋には平将門の首を都に運ぶ途中ここで首が急に目を開き飛び掛ろうとしたので、藤原秀郷がとっさに「歌を詠んで欲しい」と頼むと言葉に詰まった首は地面に落ちてしまったという伝説がある。怖がって「助けて!」と叫んでいたら喰らいついたのだろうな。 愛知川宿のポスト(書状集箱)は明治時代のものと同じ型で宿場の雰囲気にぴったり。今も活用しているのがいい。 ...退職者夫婦の旅と日常(スペイン・旅・留学・巡礼・映画・思索・本・・・)