最初に訪れた首都Habanaでは出くわさなかったのだが、地方の小さな町やキューバ第二の都市Santiago de Cubaでは何種類かの物乞いに出会った。お菓子をねだって来た10歳くらいの子供、ボールペンでも化粧品の残りでも何でもいいからとバスの乗り口で迫って来た女性、直截にお金を要求して手を差し出してきた老人、閉店直後の店の前から数メートル離れた他の店へ案内してお金を要求した中年女性。
https://dosperegrinos.net/2009/03/01/%e3%82%ad%e3%83%a5%e3%83%bc%e3%83%90%e3%81%a7%e4%b9%9e%e9%a3%9f%e3%81%a7%e3%81%82%e3%82%8b%e3%81%93%e3%81%a8/Andres y Ameliaキューバ旅行トロントのホームレストロントの街は厳寒の中にあった。今年は記録的な大雪と言うことで、もちろん日本海側の積雪と比べればわずかな量でしかないのだが、私たちが訪れた日の夜から雪が降りはじめ、翌朝は除雪車が走りまわることになっていた。気温はマイナス10度くらいになっていたのだろう、融雪剤が撒かれても雪はただザラメ状になるだけ。しかし融けないために滑ることもないので、歩き難くはならない。都心部は地下街が発達していて、地上を歩いていると閑散としているのに、暖房の効いた地下に降りると、スターバックス・コーヒーのカップを片手に持って「私は仕事が出来るんですよ」という表情を浮かべた人々が大股で歩き、買い物客も繰り出している。地上を歩いていて、地下からの空気の吹き出し口に蒲団が捨てられているのに出くわした。布団の縁は噴き出してくる暖かい空気で融かされた雪で濡れている。ゴミの散乱の少ないトロントでなぜ歩道の真ん中に大きなゴミが放置されているのか不思議に思いながら通り過ぎた。信号で立ち止まって振り返って見ると、布団の下に小さくうずくまって寝ている人の姿があった。その人は、物乞いをすることもなく、ただただ布団の下に隠れるように身動きせず、じっとしているだけだった。地下街では、少なくとも暖かい空気に包まれることができるはずなのに。キューバの物乞い最初に訪れた首都Habanaでは出くわさなかったのだが、地方の小さな町やキューバ第二の都市Santiago de Cubaでは何種類かの物乞いに出会った。お菓子をねだって来た10歳くらいの子供、ボールペンでも化粧品の残りでも何でもいいからとバスの乗り口で迫って来た女性、直截にお金を要求して手を差し出してきた老人、閉店直後の店の前から数メートル離れた他の店へ案内してお金を要求した中年女性。社会主義の建て前では、最低限の生活は国が保障するし失業は存在しないはず。それが建て前だけのことなのか、彼らが「最低限以上の生活」を求める最も手軽な手段として外国人観光客への物乞いをしているのか、私には分からない。店へ案内してお金をせびった女性は、日曜日に見かけた際はきれいな服で派手に着飾って立っていたが。彼らの表情は、あっけらかんとしている者、貪欲な目つきの人、卑しさに目をそむけたくなる顔と様々だった。カナダでホームレスであることとキューバで乞食になることどちらにも大きな不幸とわずかな幸福があるのだろう。それでもあえて比べれば、キューバで乞食であることの方に救いがあるように感じるのは、トロントの寒さとキューバの初夏のような気候とのせいだけではない。「貧困の共有」時代から経済発展をはじめた現在へ。社会の変化とともに格差が拡がりはじめ、兌換ペソがあれば外国製品も手に入るようになって物欲への刺激が増す中、キューバ人の志向が変わって来たのだろう。まして革命後50年、どんな革命家でもそれほど長く理想だけで生き続けられる者は少ない。だからキューバの物乞いがより良い生活を求めてのことであれば、それは革命からの「堕落」であっても、生への意欲ではあるだろう。トロントのホームレスが生気を失っていたのに対して。por AndresAndres y AmeliaSubscriberDos Peregrinos
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