旧東海道 5日目
10月13日(水)に旧東海道歩き旅5日目を実施。
この日の出発は大磯宿、11時ちょうど。
自宅から遠くなってきた上に、ちょっとのんびり出て来たので、スタートが遅くなってしまった。
大磯の本陣のすぐ近くにある地福寺に行く。島崎藤村の墓。小さな墓石だが、墓地からは離れ、本堂の斜め前につくられているのはやはり特別扱いのようだ。
名物の西行まんじゅうの「新杵」も、かまぼこの「井上」も、残念ながら火・水が休みだった。
少し先には鴫立沢。江戸時代につくられた草庵で庭には多くの歌碑や句碑がある。私たちもそれぞれ詠んで投句してきた。脇を流れる沢の水はきれいなのだが、藪に囲まれているせいか蚊が多く、一句したためている間にも数か所刺されてしまった。
歌碑句碑のかほど多けり鴫立庵
数分西に歩いて右の小路を入ると島崎藤村の旧宅。藤村が最晩年を過ごした家で、質素だが落ち着いたところ。
このあたりには明治時代の名士の別荘などが並んでいる。そのひとつ、伊藤博文の旧宅「滄浪閣」。現在は結婚式場と中華料理屋になっているとのことだったので昼食はここでと思っていたのだが、着いてみると廃業していて、有料老人ホームを建てるとの立て看板が掲げられていた。
さらに西進して左手には吉田茂邸。昨年焼失したため現在は立ち入り禁止。銅像だけが垣間見えた。
大磯と小田原は16kmほどもあるため、間の宿が設けられていた。その松屋本陣の跡を示す掲示。道路にではなく、なぜか民家の庭先に設置されている。
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小田原宿に着いたのは日も暮れた18時ごろ。
江戸口見附や脇本陣跡を示す表示はあったが、本陣を示すものはどういうわけか設置されていなかった。見落としたのだろうと思い、夕食をとった店で聞いてみたが、やはりないとのこと。地図上では店を挟むように片岡本陣と久保田本陣があるはずなのだが。
夕食は創業400年という老舗の小伊勢屋で。店内は現代的な作りで静かにジャズが流れ、他には客はひと組のみ。奥には座敷や宴会場もあって大きな店のようなのだが、表から入ってすぐの食事処は十ほどのテーブル席がゆったり空間をとって配置されている。
金目鯛の煮つけと焼き魚(カンパチ)。少々高めだが美味しかった。
小田原駅でお土産のかまぼこを買って帰途に。
街道を進んだのは、大磯宿から小田原宿までの15,6km。約31,000歩。
この日の総歩数は35,196。
この日も予報では一日中曇りで暑くはならないようなことを言っていたのに、前日と同様25度を超えた上に蒸し暑かった。大磯でゆっくり見学したので満足感はあったが、途中のファミリーレストランで1時間も休憩してしまい、距離は決して長くないのに到着が遅れて暗くなってしまった。
これで日帰りの旧東海道歩き旅は終わり。次回からは泊りながらの旅となる。ただし、来週は所用で旅はお休み。
por Andres
https://dosperegrinos.net/2010/10/16/%e6%97%a7%e6%9d%b1%e6%b5%b7%e9%81%93%e3%80%80%ef%bc%95%e6%97%a5%e7%9b%ae/東海道中10月13日(水)に旧東海道歩き旅5日目を実施。 この日の出発は大磯宿、11時ちょうど。 自宅から遠くなってきた上に、ちょっとのんびり出て来たので、スタートが遅くなってしまった。 大磯の本陣のすぐ近くにある地福寺に行く。島崎藤村の墓。小さな墓石だが、墓地からは離れ、本堂の斜め前につくられているのはやはり特別扱いのようだ。 名物の西行まんじゅうの「新杵」も、かまぼこの「井上」も、残念ながら火・水が休みだった。 街道脇に新島襄(新嶋襄)終焉の地の石碑。 ...Andres y Amelia SubscriberDos Peregrinos
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