旧日光街道歩き旅 2日目(10/8)
北千住駅からまずは街道を少しはずれて金蔵寺へ。千住宿の飯盛り女を供養する「南無阿弥陀仏」と書かれた塔、1837年(天保8)の大飢饉の犠牲者を弔う「無縁塔」に手を合わせる。庶民、弱者の命のはかなさ、いつの時代もやるせない。
近くには現在足立都税事務所となっている森鴎外旧居(橘井堂跡)がある。鴎外は4年ほどここで暮らし三宅坂の陸軍病院に通っていたとのこと。
街道に戻り、絵馬屋(吉田家)を外から眺め、伝馬屋敷(横山家)では彰義隊が敗走するときにつけた刀傷を見せてもらった。
槍かけだんごの店「かどや」は三階建てに改築中で、「だんご食べるぞ!」とかなり期待していたので残念だった。
明和年間(18世紀半ば)に接骨院として開業した「名倉医院」、広い敷地に立派な門構え、看板には「整形外科」の文字、しっかり子孫に引き継がれ、今も現役で活躍している。
荒川に架かる千住新橋を渡り、子育て八彦尊道の石柱、道路拡張のため移動させられた地蔵(荒川に顔を向けている)を左手に見ながら北上し、梅島駅近くの「かずき」で昼食。丹波地鶏を使った定食は美味だった。
すっかりきれいに改装された「火あぶり地蔵」を過ぎると草加駅も近い。草加せんべいの看板を掲げた店が目に付く。全国的に販売している有名店が多いようだ。「この地で発祥した塩せんべいはその豊かな味と香りにより草加の名を全国に広めた」と石碑に刻まれていた。
札場河岸跡からは国道4号線と並行して綾瀬川沿いに1.5kmの松並木が続く公園となっている。松の緑に真っ赤な彼岸花、散歩やウォーキングを楽しむ人が多いのもうなづける。
蒲生大橋を渡った先に埼玉県内日光街道で唯一現存する一里塚に出る。
街中の通り沿いに災害時にLPガスが利用できるタンクが設置されていた。
日暮れにようやく青蔵院に到着。夜な夜な山
門を逃げ出して畑を荒らしたという左甚五郎作?の竜の彫刻は金網で囲われていた。本当にそんなことがあったのだろうか?
武蔵野線の南越谷駅で二日目終了。乗り換えなしで帰宅できる唯一の日。
27000歩 18.53km
por Amelia
https://dosperegrinos.net/2012/10/17/%e6%97%a7%e6%97%a5%e5%85%89%e8%a1%97%e9%81%93%e6%ad%a9%e3%81%8d%e6%97%85%e3%80%802%e6%97%a5%e7%9b%ae%ef%bc%88108%ef%bc%89/日光道中千住宿~草加宿~越谷宿 北千住駅からまずは街道を少しはずれて金蔵寺へ。千住宿の飯盛り女を供養する「南無阿弥陀仏」と書かれた塔、1837年(天保8)の大飢饉の犠牲者を弔う「無縁塔」に手を合わせる。庶民、弱者の命のはかなさ、いつの時代もやるせない。 近くには現在足立都税事務所となっている森鴎外旧居(橘井堂跡)がある。鴎外は4年ほどここで暮らし三宅坂の陸軍病院に通っていたとのこと。 街道に戻り、絵馬屋(吉田家)を外から眺め、伝馬屋敷(横山家)では彰義隊が敗走するときにつけた刀傷を見せてもらった。 槍かけだんごの店「かどや」は三階建てに改築中で、「だんご食べるぞ!」とかなり期待していたので残念だった。 明和年間(18世紀半ば)に接骨院として開業した「名倉医院」、広い敷地に立派な門構え、看板には「整形外科」の文字、しっかり子孫に引き継がれ、今も現役で活躍している。 荒川に架かる千住新橋を渡り、子育て八彦尊道の石柱、道路拡張のため移動させられた地蔵(荒川に顔を向けている)を左手に見ながら北上し、梅島駅近くの「かずき」で昼食。丹波地鶏を使った定食は美味だった。 ...Andres y Amelia SubscriberDos Peregrinos
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