横川駅〜坂本宿〜碓氷峠〜軽井沢宿

5時半起床、7時前に自宅を出発。快晴。今日は中山道の難所、碓氷峠越え。

信越線は混んでいて、リュックを背負った客が多い。松井田で降りた人が結構いたが、横川までが多い。横川駅で降りた人の大部分は軽井沢行きのバス停へ、子どもIMGP0547連れは鉄道文化村へ。

街道を歩くと間もなく碓氷関所跡。道から数段上がったところに門がある。見ているとボランティア・ガイドのおじさんが、この門は江戸時代の材木が使われている、と説明してくれる。明治維新後に関所建物の焼IMGP0551却命令が出、この関所も焼かれたが、ひとりの役人が賄賂を使って焼かれかけた門の材木を救い出して保管した。近年、東大教授が門の復元をするときにこの材木を見つけ出して使った。だから門の上方の一部が焼け焦げている。こういった次第だった。

坂本宿のあたりは歩IMGP0565道も広く、一部の家には昔の屋号が掲げられていて宿場らしさを出そうとしている。

 

 

 

 

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中でも「かぎや」は昔の看板がそのまま掲げられていて、旅籠だった風情が残っている。飲食店も数軒営業している。

 

 

坂本宿を過ぎてしばらくすると車道を離れ山道へ。IMGP0586山道の入口に熊注意の看板。ここで熊除けの鈴を鳴らしはじめる。IMGP0599急な登りがしばらく続き、出発時は肌寒かったが、汗が出てくる。

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「覗き」で坂本宿をはるか眼下に見下ろしながらおにぎりの昼食。

その後は尾根道が続く。なかなか山中茶屋跡に着かない。急坂を息を切らして上ってようやく山中茶屋に。小学校跡に屋根の崩れ落ちたプIMGP0625レハブが残っている。明治時代には山中茶屋のあたりは賑わっていて小学生が30人もいたそうだが、いくら街道沿いとは言ってもこんな山奥に小学校というのは想像できない。

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さらに長い上りが続いて、ようやく3時頃に碓氷峠に到着。しげの屋で力餅を食す。餡と味噌クルミ。熱いお茶でほっIMGP0653と一息。群馬と長野の県境が店の中を通っていて、店内の床にも線が引かIMGP0663れている。

向かいの熊野神社、信濃の語源となったという科の木がパワースポ

Andres y Amelia中山道中横川駅〜坂本宿〜碓氷峠〜軽井沢宿 5時半起床、7時前に自宅を出発。快晴。今日は中山道の難所、碓氷峠越え。 信越線は混んでいて、リュックを背負った客が多い。松井田で降りた人が結構いたが、横川までが多い。横川駅で降りた人の大部分は軽井沢行きのバス停へ、子ども連れは鉄道文化村へ。 街道を歩くと間もなく碓氷関所跡。道から数段上がったところに門がある。見ているとボランティア・ガイドのおじさんが、この門は江戸時代の材木が使われている、と説明してくれる。明治維新後に関所建物の焼却命令が出、この関所も焼かれたが、ひとりの役人が賄賂を使って焼かれかけた門の材木を救い出して保管した。近年、東大教授が門の復元をするときにこの材木を見つけ出して使った。だから門の上方の一部が焼け焦げている。こういった次第だった。 坂本宿のあたりは歩道も広く、一部の家には昔の屋号が掲げられていて宿場らしさを出そうとしている。         中でも「かぎや」は昔の看板がそのまま掲げられていて、旅籠だった風情が残っている。飲食店も数軒営業している。     坂本宿を過ぎてしばらくすると車道を離れ山道へ。山道の入口に熊注意の看板。ここで熊除けの鈴を鳴らしはじめる。急な登りがしばらく続き、出発時は肌寒かったが、汗が出てくる。     「覗き」で坂本宿をはるか眼下に見下ろしながらおにぎりの昼食。 その後は尾根道が続く。なかなか山中茶屋跡に着かない。急坂を息を切らして上ってようやく山中茶屋に。小学校跡に屋根の崩れ落ちたプレハブが残っている。明治時代には山中茶屋のあたりは賑わっていて小学生が30人もいたそうだが、いくら街道沿いとは言ってもこんな山奥に小学校というのは想像できない。 さらに長い上りが続いて、ようやく3時頃に碓氷峠に到着。しげの屋で力餅を食す。餡と味噌クルミ。熱いお茶でほっと一息。群馬と長野の県境が店の中を通っていて、店内の床にも線が引かれている。 向かいの熊野神社、信濃の語源となったという科の木がパワースポ退職者夫婦の旅と日常(スペイン・旅・留学・巡礼・映画・思索・本・・・)