宿の朝食は、冷めたアジの干物という典型的なかつての国民宿舎風。

9時ごろ出発し、天草上島を横切り、天草瀬戸大橋を渡り、天草下島もほとんど横切るように走り、「天草コレジヨ館」へ。入館して見学を始めたところで、ホールで演奏会が始まろうとしているのに気づく。

中学生が30人ほど座っていて満席だが、館員に聴いてもいいかと尋ねると後方に椅子を用意してくれた。中世古楽器の7人の楽団。

演奏されたのは天正遣欧使節の少年たちが聴いたはずだし演奏もしただろう曲。小さな地方の町で、少数の中学生のために演奏しているのだが、驚くほど素晴らしい演奏だった。20分ほどの演奏だったが、特に女声のソロが、声の響きが良く音程もしっかりしていて、トレーニングを積んだ歌だと即座にわかるようなものだった。一人は熊本市から来ているが、他は地元の人で、今日は地元の中学生が校外学習で来館するのと楽団の練習日が重なったために演奏を聴かせることになったそうだ。全員中世の服装をまとい、素人の趣味の域をはるかに超えた演奏。こんな音楽を聴けて、ここの中学生たちは幸運だ。演奏終了後には中学生たちは楽員に楽器を見せてもらったり説明してもらったりしていた。

館内の展示は、天草にあったコレジヨ(神学校)関連の史料が中心だが、今日の演奏でも使われていたような古楽器、「ESOPOの宝箱」というイソップの生涯を人形で描いた連作、「世界平和大使人形の館」という100か国と交換した人形など。コレジオとは少し外れた展示もあるが、興味深く2時間も過ごしてしまった。

崎津集落。小さな漁村。「トウヤ」と呼ばれる、道路から海に通じる幅1mにも満たない小路の中にある食堂「凪」で昼食。 「凪定食」と「凪のカレー」両方ともにエソのすり身揚げがつき、定食には鰺のみりん干し。地元の食材を使っているが、味も雰囲気も食堂の定食。それでもテーブルが3台しかないとはいえ、満席になり、私たちが食べ終えて出ると、もう一組客が待っていた。

町外れに進み、「海上マリア像」を遠望する。遠くて顔の表情はわからない。近くにカラフルなホタテ貝を絵馬のように願いを書いてつるすコーナーがある。土産店にも売っているが、着色していないのにどうしてこんなにカラフルなホタテ貝の貝殻になるのだろう。

町中に戻り、「つどい処まつだ」という写真などを展示してある小さな施設をのぞき、「崎津資料館みなと屋」で崎津集落のキリシタン史料を見る。いろんなところで見てきたので新しい発見はないが、「天草崩れ」では人口の半数以上がキリシタンだったことが発覚し、役人も「心得違い」として穏便に処理せざるを得なかった様子がわかる。

崎津教会は、江戸時代に絵踏みが行われていた庄屋宅跡に建てられたもので、建築資金の不足から半分鉄筋コンクリート、半分木造。今でも毎週金・土・日曜日にミサが行われており、今日も1時から1時半は拝観できなくなっていた。内部の撮影は禁止。

「旧網元岩下家」は復元したばかりで新築の木の香りがする。その海側に「カケ」という漁師の船着き場兼作業場が復元されているが、海沿いを見てみると現役の「カケ」がいくつもあり、漁師が作業しているところもあった。

山の方に少し上ると崎津教会建設に尽力した「ハルブ神父」の墓、現在地に新築移転する前に教会のあった跡、天草崩れの際にキリシタンに信仰に使った道具類を捨てさせる場所になった崎津諏訪神社。境内からは崎津集落が見渡せた。

集落に下って振り返ると、山の斜面に集落の人々の墓が見えたが、半数は十字架だった。

ゆっくり見て回ったので、2時間半も滞在した。崎津には観光客が沢山訪れていたのには驚かされた。

10分ほど走って大江教会。小高い丘の上にあり、入ってみると修道女が一人番をしていた。長崎市の修道院から派遣されているそうだ。信者の数も多くなく、修理などの際の手続きの煩雑さから世界遺産には申請しなかったそうだ。教会の内装は、昨年見た五島の教会に似て明るくかわいらしいもの。祭壇上に掲げられているのは、ここで長く司祭を務めたガルニエ神父の姪の作品「お告げのマリア」。

その麓にある「天草ロザリオ館」。天草キリシタンの禁教時代の信仰の道具などが展示されている。

1時間ほど走って「富岡城」。閉館の17時を過ぎているが外観だけでも見ておこうと行ってみた。島原・天草一揆の際に一揆軍が原城に籠城する前に攻撃したが落とすことのできなかった城。着いたのは夕暮れが迫るころで、勤務を終えて帰途につく一人とすれ違っただけで、全くの無人。二の丸、本丸へと登ってみる。すべて再建されたもの。

日没が見えた。17時半になってしまった。

そこから1時間半以上かけてホテルへ。もっと早く着けると思っていたが、天草瀬戸大橋を渡るのに渋滞に巻き込まれ、ホテルに着いたのは夕食の始まる直前になってしまった。

ホテルに着くと駐車場は満杯。フロントに行って聞くと、最後の一組なので身障者用の所にとめてくださいとのこと。満室だそうだ。

夕食はバイキング。刺身、寿司などの海産物が豊富。質も悪くないが、バイキングは落ち着かず、味わうより食べ物を取りに行ったり選んだりで忙しない。

部屋に戻って明日のホテルを予約すると21時半を過ぎたので、満室で混んでいるだろう大浴場は諦め、部屋のシャワーを使う。シャワー室は新しく広めで湯の出も良くて気持ち良かった。

/images/2020/10/20201030_103947_001-1024x576.jpg/images/2020/10/20201030_103947_001-150x150.jpgAndrés国内旅行宿の朝食は、冷めたアジの干物という典型的なかつての国民宿舎風。 9時ごろ出発し、天草上島を横切り、天草瀬戸大橋を渡り、天草下島もほとんど横切るように走り、「天草コレジヨ館」へ。入館して見学を始めたところで、ホールで演奏会が始まろうとしているのに気づく。 中学生が30人ほど座っていて満席だが、館員に聴いてもいいかと尋ねると後方に椅子を用意してくれた。中世古楽器の7人の楽団。 演奏されたのは天正遣欧使節の少年たちが聴いたはずだし演奏もしただろう曲。小さな地方の町で、少数の中学生のために演奏しているのだが、驚くほど素晴らしい演奏だった。20分ほどの演奏だったが、特に女声のソロが、声の響きが良く音程もしっかりしていて、トレーニングを積んだ歌だと即座にわかるようなものだった。一人は熊本市から来ているが、他は地元の人で、今日は地元の中学生が校外学習で来館するのと楽団の練習日が重なったために演奏を聴かせることになったそうだ。全員中世の服装をまとい、素人の趣味の域をはるかに超えた演奏。こんな音楽を聴けて、ここの中学生たちは幸運だ。演奏終了後には中学生たちは楽員に楽器を見せてもらったり説明してもらったりしていた。 館内の展示は、天草にあったコレジヨ(神学校)関連の史料が中心だが、今日の演奏でも使われていたような古楽器、「ESOPOの宝箱」というイソップの生涯を人形で描いた連作、「世界平和大使人形の館」という100か国と交換した人形など。コレジオとは少し外れた展示もあるが、興味深く2時間も過ごしてしまった。 崎津集落。小さな漁村。「トウヤ」と呼ばれる、道路から海に通じる幅1mにも満たない小路の中にある食堂「凪」で昼食。 「凪定食」と「凪のカレー」両方ともにエソのすり身揚げがつき、定食には鰺のみりん干し。地元の食材を使っているが、味も雰囲気も食堂の定食。それでもテーブルが3台しかないとはいえ、満席になり、私たちが食べ終えて出ると、もう一組客が待っていた。 町外れに進み、「海上マリア像」を遠望する。遠くて顔の表情はわからない。近くにカラフルなホタテ貝を絵馬のように願いを書いてつるすコーナーがある。土産店にも売っているが、着色していないのにどうしてこんなにカラフルなホタテ貝の貝殻になるのだろう。 町中に戻り、「つどい処まつだ」という写真などを展示してある小さな施設をのぞき、「崎津資料館みなと屋」で崎津集落のキリシタン史料を見る。いろんなところで見てきたので新しい発見はないが、「天草崩れ」では人口の半数以上がキリシタンだったことが発覚し、役人も「心得違い」として穏便に処理せざるを得なかった様子がわかる。 崎津教会は、江戸時代に絵踏みが行われていた庄屋宅跡に建てられたもので、建築資金の不足から半分鉄筋コンクリート、半分木造。今でも毎週金・土・日曜日にミサが行われており、今日も1時から1時半は拝観できなくなっていた。内部の撮影は禁止。 「旧網元岩下家」は復元したばかりで新築の木の香りがする。その海側に「カケ」という漁師の船着き場兼作業場が復元されているが、海沿いを見てみると現役の「カケ」がいくつもあり、漁師が作業しているところもあった。 山の方に少し上ると崎津教会建設に尽力した「ハルブ神父」の墓、現在地に新築移転する前に教会のあった跡、天草崩れの際にキリシタンに信仰に使った道具類を捨てさせる場所になった崎津諏訪神社。境内からは崎津集落が見渡せた。 集落に下って振り返ると、山の斜面に集落の人々の墓が見えたが、半数は十字架だった。 ゆっくり見て回ったので、2時間半も滞在した。崎津には観光客が沢山訪れていたのには驚かされた。 10分ほど走って大江教会。小高い丘の上にあり、入ってみると修道女が一人番をしていた。長崎市の修道院から派遣されているそうだ。信者の数も多くなく、修理などの際の手続きの煩雑さから世界遺産には申請しなかったそうだ。教会の内装は、昨年見た五島の教会に似て明るくかわいらしいもの。祭壇上に掲げられているのは、ここで長く司祭を務めたガルニエ神父の姪の作品「お告げのマリア」。 その麓にある「天草ロザリオ館」。天草キリシタンの禁教時代の信仰の道具などが展示されている。 1時間ほど走って「富岡城」。閉館の17時を過ぎているが外観だけでも見ておこうと行ってみた。島原・天草一揆の際に一揆軍が原城に籠城する前に攻撃したが落とすことのできなかった城。着いたのは夕暮れが迫るころで、勤務を終えて帰途につく一人とすれ違っただけで、全くの無人。二の丸、本丸へと登ってみる。すべて再建されたもの。 日没が見えた。17時半になってしまった。 そこから1時間半以上かけてホテルへ。もっと早く着けると思っていたが、天草瀬戸大橋を渡るのに渋滞に巻き込まれ、ホテルに着いたのは夕食の始まる直前になってしまった。 ホテルに着くと駐車場は満杯。フロントに行って聞くと、最後の一組なので身障者用の所にとめてくださいとのこと。満室だそうだ。 夕食はバイキング。刺身、寿司などの海産物が豊富。質も悪くないが、バイキングは落ち着かず、味わうより食べ物を取りに行ったり選んだりで忙しない。 部屋に戻って明日のホテルを予約すると21時半を過ぎたので、満室で混んでいるだろう大浴場は諦め、部屋のシャワーを使う。シャワー室は新しく広めで湯の出も良くて気持ち良かった。退職者夫婦の旅と日常(スペイン・旅・留学・巡礼・映画・思索・本・・・)