ホテルで朝食をすませる。私たち以外に2組の宿泊客がいた。

9時に出発。少し歩いてから国道を離れ、農村の住宅街を抜けて行く。広い敷地に大きな家が続いている。
突き当たったところに廃校となった小学校がある。まだそんなに古くない。もったいない施設だ。

田畑の間の細い道を進むと川に出る。川沿いの道を少し進むと、地図では橋がかかっている場所に橋がない。崩れ去ったようで、両岸のコンクリートの橋桁だけが残っている。

右に進むと川の合流があり、そこから先に進めなくなる可能性があるので左に進む。しかし道は長いこと使われていないようで、高い丈の草に覆われている。なんとかかき分けて進むことができた。

750mほど進んで橋を渡ることができ、対岸を元の方に戻る。対岸から向こう岸を見ると、同じようにコンクリートだけが残っている。

川岸を離れて、今度は田んぼの畦道を進むことになる。一直線の畦道で、田植えの終わったばかりの景色が続く。ところが用水路が横切っていて、先に進めない。仕方なく右の方に迂回する。

ところが直行する用水路がまたまた行手を阻む。交点にあるコンクリートの枡をよじ登って渡るしかない。70歳の老夫婦のやることではないが、なんとか障害をクリアできた。

その後は普通の道を進むことができ、金成沢辺町の街並みに入る。この辺りで昼食にしたいところだが、食事のできそうな店どころか、営業しているらしい店そのものがほとんどない。なぜか理容店だけが4軒ほど営業していた。

街並みを抜けて、左に進むべきところで右の方を見ると営業中の幟が見えた。中華料理店「清華」。入ると狭い店内はほぼ満席で奥の座敷に通される。ありふれた町中の中華料理屋で、味もごく普通。しかし食べ終えて店を出ようとすると、店の外に入店待ちの行列ができている。

すぐ裏手に廃線と駅の跡がある。廃線前はこの町ももっと栄えていたのだろう。

しばらく進むと山の中に入り、広大な太陽光発電所がある。ここはパネルを支える支柱がコンクリート製の電柱のようなもので、随分お金がかかっているようで、随所に監視カメラが設置されている。

やがて奥州街道の道標があり、昨日と同じような僅かに轍が残っているだけの旧街道が現れる。

そこからはところどころに道標が設置されている。

一里塚があったあたりに説明板が設置されているが、一里塚は戦中の燃料用伐採や,戦後の農地開拓で完全に失われたようだ。

今日最後の山越えは、入口が農家の脇で、農家の男性がちょうど居合わせて道の様子を説明してくれたので助かった。入口近くだけは草が刈られているが、あとは草に覆われ、頂上付近には牧草地があって説明されていなければどこを通ればいいかもわからないほど。

思ったより短い行程で歩道路に出、「有壁宿」の幟がある。

下り坂をしばらく進んで有壁に到着。宿場らしさを残そうとの工夫も見られる。

駅前に昨夜電話して断られた「佐藤旅館」がある。外見もなかなか風情があり、ここに泊まれなかったのは本当に残念だ。

有壁駅は無人駅。発券機で乗車駅証明書を入手。

客は私たち以外には鉄道写真を撮っている男性が一人だけ。

電車は結構スピードを出し、6分で一関に到着。なぜかホームではピカチューがお出迎え。駅から1分のホテルに入り、一休みしてから夕食に。ホテルの人は居酒屋ばかりを紹介してくれるが、行ったのは「レストランにんじん」という洋食屋。内部は浅草にでもありそうな古い洋食屋の風情。なかなかいい雰囲気だった。

食後に街を一周りの散歩。7時ごろだが,人通りはパラパラで寂しい街。居酒屋だけが多く,コンビニさえ1軒しか見かけなかった。

ホテルに戻って明日の平泉での宿を予約しようとするが,なぜかまたまたすべて満室。結局一関でホテルを変えて明日も泊まることにした。
Andrés奥州道中奥州街道,旧街道,有壁,栗原ホテルで朝食をすませる。私たち以外に2組の宿泊客がいた。 9時に出発。少し歩いてから国道を離れ、農村の住宅街を抜けて行く。広い敷地に大きな家が続いている。 突き当たったところに廃校となった小学校がある。まだそんなに古くない。もったいない施設だ。 田畑の間の細い道を進むと川に出る。川沿いの道を少し進むと、地図では橋がかかっている場所に橋がない。崩れ去ったようで、両岸のコンクリートの橋桁だけが残っている。 右に進むと川の合流があり、そこから先に進めなくなる可能性があるので左に進む。しかし道は長いこと使われていないようで、高い丈の草に覆われている。なんとかかき分けて進むことができた。 750mほど進んで橋を渡ることができ、対岸を元の方に戻る。対岸から向こう岸を見ると、同じようにコンクリートだけが残っている。 川岸を離れて、今度は田んぼの畦道を進むことになる。一直線の畦道で、田植えの終わったばかりの景色が続く。ところが用水路が横切っていて、先に進めない。仕方なく右の方に迂回する。 ところが直行する用水路がまたまた行手を阻む。交点にあるコンクリートの枡をよじ登って渡るしかない。70歳の老夫婦のやることではないが、なんとか障害をクリアできた。 その後は普通の道を進むことができ、金成沢辺町の街並みに入る。この辺りで昼食にしたいところだが、食事のできそうな店どころか、営業しているらしい店そのものがほとんどない。なぜか理容店だけが4軒ほど営業していた。 街並みを抜けて、左に進むべきところで右の方を見ると営業中の幟が見えた。中華料理店「清華」。入ると狭い店内はほぼ満席で奥の座敷に通される。ありふれた町中の中華料理屋で、味もごく普通。しかし食べ終えて店を出ようとすると、店の外に入店待ちの行列ができている。 すぐ裏手に廃線と駅の跡がある。廃線前はこの町ももっと栄えていたのだろう。 しばらく進むと山の中に入り、広大な太陽光発電所がある。ここはパネルを支える支柱がコンクリート製の電柱のようなもので、随分お金がかかっているようで、随所に監視カメラが設置されている。 やがて奥州街道の道標があり、昨日と同じような僅かに轍が残っているだけの旧街道が現れる。 そこからはところどころに道標が設置されている。 一里塚があったあたりに説明板が設置されているが、一里塚は戦中の燃料用伐採や,戦後の農地開拓で完全に失われたようだ。 今日最後の山越えは、入口が農家の脇で、農家の男性がちょうど居合わせて道の様子を説明してくれたので助かった。入口近くだけは草が刈られているが、あとは草に覆われ、頂上付近には牧草地があって説明されていなければどこを通ればいいかもわからないほど。 思ったより短い行程で歩道路に出、「有壁宿」の幟がある。 下り坂をしばらく進んで有壁に到着。宿場らしさを残そうとの工夫も見られる。 駅前に昨夜電話して断られた「佐藤旅館」がある。外見もなかなか風情があり、ここに泊まれなかったのは本当に残念だ。 有壁駅は無人駅。発券機で乗車駅証明書を入手。 客は私たち以外には鉄道写真を撮っている男性が一人だけ。 電車は結構スピードを出し、6分で一関に到着。なぜかホームではピカチューがお出迎え。駅から1分のホテルに入り、一休みしてから夕食に。ホテルの人は居酒屋ばかりを紹介してくれるが、行ったのは「レストランにんじん」という洋食屋。内部は浅草にでもありそうな古い洋食屋の風情。なかなかいい雰囲気だった。 食後に街を一周りの散歩。7時ごろだが,人通りはパラパラで寂しい街。居酒屋だけが多く,コンビニさえ1軒しか見かけなかった。 ホテルに戻って明日の平泉での宿を予約しようとするが,なぜかまたまたすべて満室。結局一関でホテルを変えて明日も泊まることにした。退職者夫婦の旅と日常(スペイン・旅・留学・巡礼・映画・思索・本・・・)