7時半過ぎに朝食をとろうと下に行くと、共用キッチンで隣室の老夫婦が朝食の準備中。念のために別棟のBarを見てみるが、真っ暗。朝食は自分たちで用意するシステムのようだ。私たちもキッチンに行って準備。コーヒーは老夫婦が作っているので、私たちは鍋で湯を沸かし、トーストを焼き、袋入りのクロワッサン。お湯でマンサニージャとColacao。居間の食事テーブルで食べる。牛乳は開いたパックのがあったが、傷んでいた。リンゴ1個とお菓子を持参。
8時35分出発。昨日のうちに精算してあるので、カギを部屋のドアに差したまま出ればよい。玄関で宿のおじいさんと会ったので、あいさつして出る。
歩きはじめて写真を撮ろうとしたところ、私のカメラは「このカードは使用できません」の表示が出てしまう。初期化しようとしてもできない。大きな町に着いてSDカードを買うしかないかと思ったが、ふとPCにSDカードを差してあるのを思い出して入れ替えてみる。カメラは何事もなかったように撮影できるようになった。元のSDカードのデータは諦めるしかないかもしれないが、毎日PCにコピーしていたので、被害はおそらく昨日宿に到着した後の分だけだから、大したことはないはずだ。しかし原因不明なのは今後が心配。どこかで予備のSDカードを買っておいた方が良いだろう。
今日は晴れ時々曇り。しかし寒い。しかも最初は下りで陽光も当たらないのでなおさら。しばらくして上り坂になり、少し陽が当たるようになったのでほっとする。少し前までは上り坂も太陽も嫌っていたのに現金なものだ。
彼方に風車
彼方に風車

麦畑の広がるなだらかな丘、その間をひたすら上り、やがて道は平たんになってはるか先に風力発電の風車が見える。
「Albergue Sanbolは閉鎖」の掲示
「Albergue Sanbolは閉鎖」の掲示

6kmほど歩いたところに村があると思っていたが、そこは道から数百メートル離れて1軒Albergueがあるだけ。しかもAlbergueに向かう道の入口には閉鎖されたとの貼り紙。それにしてもHornillosからHontanasまで11kmほどあるので、その中間にAlbergueをつくったのは良いが、こんなに周りに何もないところでは食事にも困っただろう。閉鎖もやむをえない。
石に苦しんだだろう畑
石に苦しんだだろう畑

畑には境界に石垣があったり、ところどころに石の山がつくられたりしている。畑の中にも小さめの石が無数にある。何十年もかけて大きな石を取り除いて畑にしたのだろう。畑の広大さから考えると気の遠くなるような作業。
泥濘の道
泥濘の道

平坦な道で楽だと思っていたら、突然泥濘道になり、それが1km以上続く。泥濘を避けながら歩いても靴底に泥がついて、次第に靴が重くなる。時々道端の石で泥を落としたり、杖で落としてみたりするが、すぐに靴底は厚くなる。昨日の雨のせいだろう。昨日通ることにならずにすんで幸運だった。
坂の向こうにHontanas村が
坂の向こうにHontanas村が

ようやく下り坂の向こうにHontanasが見えてきた。HornillosもHontanasも谷に村ができている。これまでは村は坂を上ったところにあったのに。
Ermitaと聖女像
Ermitaと聖女像

村の入口に小さなErmita。中にはスウェーデンの聖女Brígidaの小さな像。
村に入ってすぐのところにBarがあって客もたくさん入っているが、そこは避けて少し先に進む。外は寒いので店内で休めるところをと思ったら、空いた店があった。
ボカディージョ
ボカディージョ

例によってBocadillo Jamón y QuesoとTortilla。注文後にキッチンでつくってくれたので、パンは温かくTortillaも温かい。キッチンが見えるが、ここの主人はよほどきれい好きなのか、ピカピカに磨き上げられており、Bocadilloをつくった後も調理台を磨き、鍋で何か作っていたがコンロの周りも何度も磨いていた。Bocadilloは二人で二つは多すぎて、満腹になってしまった。
この杖は何?
この杖は何?

その後はほとんど緩やかな下り。途中に杖が何本も置かれている。自由にお使いくださいと言うことなのか。しかしどれも把手部分が丸い老人用のようなもので、山歩き用ではない。不要になったものを巡礼者にもし役に立てばと言うことで置いたのだろうか。それにしても場所は杖を必要とするようなところでもなく、村からは遠く離れている。不思議だ。まさか「杖供養」ではないだろう。
San Antón修道院の廃墟
San Antón修道院の廃墟
城の廃墟と麓のCastrojeriz
城の廃墟と麓のCastrojeriz

San Antón修道院の廃墟を過ぎてしばらく行くと、城の廃墟のある山の麓にCastrojerizが見えてきた。
Castrojerizに着いてしばらく歩く。山の斜面に細長く伸びた村。
Posada emebedの部屋
Posada emebedの部屋

Plaza Mayorに今夜の宿、Posada emebed。チェックインして部屋に案内されるが、廊下から穴倉のような階段を下りた先に現代的な部屋。冷たい水をカラフェに入れてサービス。部屋はダブルベッドとソファーベッド。
Posada emebedの窓から
Posada emebedの窓から

窓からは廃屋や村の外の景色。
早速シャワー。私は歩いているときから眠くて仕方がなかったが、シャワーを浴びた後、いつの間にか眠ってしまっていた。
6時になったので夕食の場所を探しがてらの散歩に出る。Plaza Mayorに面しては、なぜか服も売っている食料品店とBarが1軒。その先に少しだけ行ってみるが人通りもなく店もない。引き返して反対側に進む。展望台のようになった小さな広場に面した店がPeregrino Menúの看板を出していたので入ってみるが、食事は7時からとのこと。もう少し進んでみると教会の前に車で来た人がたくさん集まりつつある。きちんとした服装の人ばかり。まさか平日の夕方に結婚式ではないだろうに。
Bar1軒見当たらないし、寒いので引き返す。宿の窓から見えたイタリア国旗の場所に行ってみようと、1本下の道を進む。Hotel Iacobusがあり、そのレストランが開いていたので入る。ここも食事は7時からというのでBarでコーヒーを飲んで待つ。ここがイタリア国旗の店だった。
沢山のクレデンシャルと巡礼証明書
沢山のクレデンシャルと巡礼証明書

店内には何枚ものクレデンシャルと巡礼証明書が額に入れて飾られている。聞いてみると、店の主人の兄のもので、合計17回も巡礼したそうで、Está loco.と呆れて見せた。確かに17回はいくら何でも桁外れだ。何を考えたのか。何が魅力だったのか。
Castrojerizの夕食
Castrojerizの夕食

食事は一皿目はEnsalada mixtaと野菜のミネストローネ。二皿目はメルルーサとLomo。どれもどうと言うこともない内容だが、サラダ以外は熱いものを出してくれたのがありがたかった。デザートはメロンとアイスクリーム。これも最近の例にもれずメロンはもう季節はずれ、アイスクリームは市販のものをそのまま。
ボデガ
ボデガ

宿に帰るとチェックイン時に受付をしてくれた女性がドアを開けてくれ、Bodegaに案内してくれた。私たちの部屋のさらに下にサロンがある。ここは昔は家畜小屋だったところで、馬などの大型動物用のエサ台、豚などの小型動物用のエサ台、それらをつないだ鉄の鎖などがある。そのさらに下にBodega(跡)がある。道路下の部分になるそうだ。19世紀まで使われていたもので、昔は戦いに備えて村中のBodegaがつながっていたそうだ。斜面にあるので、この建物は地下のBodegaも含めると6層だとのこと。Bodegaには空気抜き用の煙突もある。現在は瓶詰のワインが少々貯蔵されているだけだが、年中温度が十数度で一定。なかなか興味深いものを案内してくれた。
por Andrés
Andrésフランス人の道 Camino FrancésCamino,Francés,Santiago,サンティアゴ,フランス人の道,巡礼7時半過ぎに朝食をとろうと下に行くと、共用キッチンで隣室の老夫婦が朝食の準備中。念のために別棟のBarを見てみるが、真っ暗。朝食は自分たちで用意するシステムのようだ。私たちもキッチンに行って準備。コーヒーは老夫婦が作っているので、私たちは鍋で湯を沸かし、トーストを焼き、袋入りのクロワッサン。お湯でマンサニージャとColacao。居間の食事テーブルで食べる。牛乳は開いたパックのがあったが、傷んでいた。リンゴ1個とお菓子を持参。 8時35分出発。昨日のうちに精算してあるので、カギを部屋のドアに差したまま出ればよい。玄関で宿のおじいさんと会ったので、あいさつして出る。 歩きはじめて写真を撮ろうとしたところ、私のカメラは「このカードは使用できません」の表示が出てしまう。初期化しようとしてもできない。大きな町に着いてSDカードを買うしかないかと思ったが、ふとPCにSDカードを差してあるのを思い出して入れ替えてみる。カメラは何事もなかったように撮影できるようになった。元のSDカードのデータは諦めるしかないかもしれないが、毎日PCにコピーしていたので、被害はおそらく昨日宿に到着した後の分だけだから、大したことはないはずだ。しかし原因不明なのは今後が心配。どこかで予備のSDカードを買っておいた方が良いだろう。 今日は晴れ時々曇り。しかし寒い。しかも最初は下りで陽光も当たらないのでなおさら。しばらくして上り坂になり、少し陽が当たるようになったのでほっとする。少し前までは上り坂も太陽も嫌っていたのに現金なものだ。 麦畑の広がるなだらかな丘、その間をひたすら上り、やがて道は平たんになってはるか先に風力発電の風車が見える。 6kmほど歩いたところに村があると思っていたが、そこは道から数百メートル離れて1軒Albergueがあるだけ。しかもAlbergueに向かう道の入口には閉鎖されたとの貼り紙。それにしてもHornillosからHontanasまで11kmほどあるので、その中間にAlbergueをつくったのは良いが、こんなに周りに何もないところでは食事にも困っただろう。閉鎖もやむをえない。 畑には境界に石垣があったり、ところどころに石の山がつくられたりしている。畑の中にも小さめの石が無数にある。何十年もかけて大きな石を取り除いて畑にしたのだろう。畑の広大さから考えると気の遠くなるような作業。 平坦な道で楽だと思っていたら、突然泥濘道になり、それが1km以上続く。泥濘を避けながら歩いても靴底に泥がついて、次第に靴が重くなる。時々道端の石で泥を落としたり、杖で落としてみたりするが、すぐに靴底は厚くなる。昨日の雨のせいだろう。昨日通ることにならずにすんで幸運だった。 ようやく下り坂の向こうにHontanasが見えてきた。HornillosもHontanasも谷に村ができている。これまでは村は坂を上ったところにあったのに。 村の入口に小さなErmita。中にはスウェーデンの聖女Brígidaの小さな像。 村に入ってすぐのところにBarがあって客もたくさん入っているが、そこは避けて少し先に進む。外は寒いので店内で休めるところをと思ったら、空いた店があった。 例によってBocadillo Jamón y QuesoとTortilla。注文後にキッチンでつくってくれたので、パンは温かくTortillaも温かい。キッチンが見えるが、ここの主人はよほどきれい好きなのか、ピカピカに磨き上げられており、Bocadilloをつくった後も調理台を磨き、鍋で何か作っていたがコンロの周りも何度も磨いていた。Bocadilloは二人で二つは多すぎて、満腹になってしまった。 その後はほとんど緩やかな下り。途中に杖が何本も置かれている。自由にお使いくださいと言うことなのか。しかしどれも把手部分が丸い老人用のようなもので、山歩き用ではない。不要になったものを巡礼者にもし役に立てばと言うことで置いたのだろうか。それにしても場所は杖を必要とするようなところでもなく、村からは遠く離れている。不思議だ。まさか「杖供養」ではないだろう。 San Antón修道院の廃墟を過ぎてしばらく行くと、城の廃墟のある山の麓にCastrojerizが見えてきた。 Castrojerizに着いてしばらく歩く。山の斜面に細長く伸びた村。 Plaza Mayorに今夜の宿、Posada emebed。チェックインして部屋に案内されるが、廊下から穴倉のような階段を下りた先に現代的な部屋。冷たい水をカラフェに入れてサービス。部屋はダブルベッドとソファーベッド。 窓からは廃屋や村の外の景色。 早速シャワー。私は歩いているときから眠くて仕方がなかったが、シャワーを浴びた後、いつの間にか眠ってしまっていた。 6時になったので夕食の場所を探しがてらの散歩に出る。Plaza Mayorに面しては、なぜか服も売っている食料品店とBarが1軒。その先に少しだけ行ってみるが人通りもなく店もない。引き返して反対側に進む。展望台のようになった小さな広場に面した店がPeregrino Menúの看板を出していたので入ってみるが、食事は7時からとのこと。もう少し進んでみると教会の前に車で来た人がたくさん集まりつつある。きちんとした服装の人ばかり。まさか平日の夕方に結婚式ではないだろうに。 Bar1軒見当たらないし、寒いので引き返す。宿の窓から見えたイタリア国旗の場所に行ってみようと、1本下の道を進む。Hotel Iacobusがあり、そのレストランが開いていたので入る。ここも食事は7時からというのでBarでコーヒーを飲んで待つ。ここがイタリア国旗の店だった。 店内には何枚ものクレデンシャルと巡礼証明書が額に入れて飾られている。聞いてみると、店の主人の兄のもので、合計17回も巡礼したそうで、Está loco.と呆れて見せた。確かに17回はいくら何でも桁外れだ。何を考えたのか。何が魅力だったのか。 食事は一皿目はEnsalada mixtaと野菜のミネストローネ。二皿目はメルルーサとLomo。どれもどうと言うこともない内容だが、サラダ以外は熱いものを出してくれたのがありがたかった。デザートはメロンとアイスクリーム。これも最近の例にもれずメロンはもう季節はずれ、アイスクリームは市販のものをそのまま。 宿に帰るとチェックイン時に受付をしてくれた女性がドアを開けてくれ、Bodegaに案内してくれた。私たちの部屋のさらに下にサロンがある。ここは昔は家畜小屋だったところで、馬などの大型動物用のエサ台、豚などの小型動物用のエサ台、それらをつないだ鉄の鎖などがある。そのさらに下にBodega(跡)がある。道路下の部分になるそうだ。19世紀まで使われていたもので、昔は戦いに備えて村中のBodegaがつながっていたそうだ。斜面にあるので、この建物は地下のBodegaも含めると6層だとのこと。Bodegaには空気抜き用の煙突もある。現在は瓶詰のワインが少々貯蔵されているだけだが、年中温度が十数度で一定。なかなか興味深いものを案内してくれた。 por Andrés退職者夫婦の旅と日常(スペイン・旅・留学・巡礼・映画・思索・本・・・)