Peregrinación 40(11/01) Samos ~ Sarria
合計距離: 16364 m
最高点の標高: 587 m
最低点の標高: 426 m
累積標高(上り): 620 m
累積標高(下り): -718 m
総所要時間: 01:16:32
最高点の標高: 587 m
最低点の標高: 426 m
累積標高(上り): 620 m
累積標高(下り): -718 m
総所要時間: 01:16:32
宿の近くのBarで朝食をと出かけるが、宿の前のも隣のも閉まっている。歩きだして途中でとるしかない。
8時過ぎに出発。少し歩いたところのCafé Españaが開いていたので入ると、巡礼者が何人も朝食中。カウンターで日本人女性が食事中。Ponferradaから歩いているそうで、外国人男性と同行。昨日はO Cebreiroから一気に歩いてきたので到着が遅れて修道院を見られなかったが、8時半から開くので見学してからSarriaへとのこと。修道院のAlbergueに泊まったそうだ。昨日のぞいた時に、入ってすぐに冷たく暗い部屋に鉄の二段ベッドが並んでいるだけという、これまで見た中で最も質素なものだっただけに、彼女の勇気に感服する。
8時過ぎに出発。少し歩いたところのCafé Españaが開いていたので入ると、巡礼者が何人も朝食中。カウンターで日本人女性が食事中。Ponferradaから歩いているそうで、外国人男性と同行。昨日はO Cebreiroから一気に歩いてきたので到着が遅れて修道院を見られなかったが、8時半から開くので見学してからSarriaへとのこと。修道院のAlbergueに泊まったそうだ。昨日のぞいた時に、入ってすぐに冷たく暗い部屋に鉄の二段ベッドが並んでいるだけという、これまで見た中で最も質素なものだっただけに、彼女の勇気に感服する。
朝食はTostadaとCafé con leche。Ameliaはお茶。朝食中に先ほどの女性が修道院方向から戻ってきてCaminoを歩くのが見えた。修道院見学が8時半からとは考えられないので、きっと開いてなくて歩きはじめることにしたのだろう。
食後に出発。昨日の昼食をとったホテルの体重計に荷物を持ったまま乗ってみると76kgを指す。私の体重は多くて64kgなので、服、靴、杖、水等を含めた持参物総重量は最低でも12kgということになる。屋外に置かれ、もとは有料だったものとは言え正確ではないだろうが。
10分ほど歩いたところに石碑があり、Santiagoまで142kmと刻まれている。昨日のTriacastelaが130kmだったので、いくら遠回りの道を行っているとはいえ、これはCaminoの残り距離ではないだろう。自動車道路の距離だろうか。
この辺りはハイキングコースが整備されているようで、川を渡って山の方に通じる歩行者用の橋がいくつも架けられ、休憩所もつくられている。川の水もきれいで豊か。
30分ほど歩いたところで自動車道から離れる。分岐点には自転車は左の自動車道を、歩行者は右の狭い道をと示されている。
天気予報には久しぶりに晴れマークが並んでいたが、次第に霧が濃くなる。空は黒くないので雨の心配はなさそう。単なる朝霧だろう。
舗装道路は少しだけで、間もなく土の道に。泥道になっているところにトウモロコシの茎や葉を敷いてくれていて、非常に助かる。
今日も小さな集落をいくつも過ぎ、小さな教会をいくつも見るが、いずれも閉まっている。諸聖人の日なので墓地に花はあふれているが。
トウモロコシ畑に案山子。他でも見たことがあるので、案山子はスペインでも特殊ではない。
道端に道祖神のようなものもあり、きれいな川も流れていて、安曇野を思い出させられる風景。
昨日がハロウィンだったからだろう、柵にたくさんのカボチャをつり下げて飾っている家があった。ただ、スペインでは万聖節が一般的で、ハロウィンは最近になって少し広まってきた程度。
少し疲れたが休むところがない。仕方なく道端に木の横たわっているのがあったので休憩。持参のチョコレートを食べてエネルギー補給。
再び歩き出して少し行くと、朝の日本人女性が同伴の男性と一緒に、やはり道端で休んでいた。あいさつして通過。
小さな家が、各国語で「売ります」の看板を出している。効果はあるのか。しかしこの家は売家の中では最上の部類。Caminoを歩いていて地方の村で見かけるのは、これは少々のお金をつけてくれても欲しくない、と言うものばかりだった。
Aguiadaという集落にようやくBarがあったのでお昼にする。Bocadillo con Tortilla FrancesaとAgua con gas。そこで韓国人の青年男女が食事の注文をしようとしていたが、スペイン語が全くできず、店の女主人は英語が全くできずで困っていたらしい。Ameliaが韓国人の英語をスペイン語に訳して通訳。無事に注文ができ、Ameliaは役に立てたと大喜び。
私たちが食事をしていると、例の日本人女性と男性が店に入ってきた。男性はMadridの人で、休暇でSantiagoまで歩いているところだそうだ。女性はPonferradaからFisterraまで。4年前に、それまでの3年間アメリカで働いていたがリストラされ、これからどうしようか考えるためにCaminoをSaint JeanからSantiagoまで歩いたそうだ。その後Camino del Norteを少しだけ歩いたら、また歩きたくなり、今回はPonferradaからFisterraまでにしたとのこと。彼とはO Cebreiroで知り合い、彼は英語ができず、彼女はスペイン語ができないので身振り手振りで会話しているとのこと。しかし彼女は米国で働いていたのだから語学の才能があるのだろう、スペイン語はできないと言いながら結構彼とは片言のスペイン語で会話している。サリアまであと4kmぐらいだと教えると、食事はサリアでとると言って出発していった。彼の方が彼女にぞっこんで、二人の間に入り込まないでくれという雰囲気を発散させながら私たちが会話しているところにやって来たりしていた。
昨日の朝から目にしていなかったMojónを見つけた。おそらくもう一本のCaminoと合流したのだろう。残り距離は115.5km。
クロッカスの花が今日も目に入る。
Villafranca以来の大きな町、Sarriaが見えてきた。旧市街に入る手前で今日の宿に到着。2時前だったので楽な行程だった。ここでAbueloの宿で同宿し、その後も何度も会い、Molinasecaで久しぶりに会って、それっきりだった老夫婦にまたもや再開。お互いに驚き喜び合う。
5時前に外出。クレデンシャルを売っているというSanta María教会へ行く。
Caminoを行くのだが、宿から川を渡って旧市街に入るときつい坂で新市街を見下ろす高台へ上ることになる。明日は荷物を背負って上るのかと思うと、ちょっと苦痛。教会は日曜日は閉まっていて、Monasterio(修道院)へ行くようにとの掲示。さらに坂を上って行く。
着いてみるとちょうどミサが終わってたくさんの信者が礼拝堂から出てくるところ。その先にMonasterioの入口がある。ここも入口は閉まっているが、所用の方はベルを引くようにとあるのでひもを引く。少ししてドアが開き修道僧が現れる。修道院の見学はできないかと尋ねると今日はだめとのこと。Selloだけもらう。ここからは毎日二つはSelloをもらうようにと言って、明日の日付で押してくれる。Sarriaからが巡礼証明をもらうための最低限必要な行程なので、日に二つを強調してくれるのは親切。スペインで発行されたクレデンシャルには日に二つと書かれているが、日本で発行されたものには記載がないのだから。
Caminoを行くのだが、宿から川を渡って旧市街に入るときつい坂で新市街を見下ろす高台へ上ることになる。明日は荷物を背負って上るのかと思うと、ちょっと苦痛。教会は日曜日は閉まっていて、Monasterio(修道院)へ行くようにとの掲示。さらに坂を上って行く。
着いてみるとちょうどミサが終わってたくさんの信者が礼拝堂から出てくるところ。その先にMonasterioの入口がある。ここも入口は閉まっているが、所用の方はベルを引くようにとあるのでひもを引く。少ししてドアが開き修道僧が現れる。修道院の見学はできないかと尋ねると今日はだめとのこと。Selloだけもらう。ここからは毎日二つはSelloをもらうようにと言って、明日の日付で押してくれる。Sarriaからが巡礼証明をもらうための最低限必要な行程なので、日に二つを強調してくれるのは親切。スペインで発行されたクレデンシャルには日に二つと書かれているが、日本で発行されたものには記載がないのだから。
ミサの終わった礼拝堂に入り、短時間だが中を見ることができた。
元の道を戻り、途中のBarで小さなサンドウィッチとコーヒーで休憩。
宿の近くの川沿いで良さそうなレストランを探すが、ない。夕食は宿のレストランでと決め、ホテルのレセプションで予約を入れる。8時半から。
部屋に戻って明日以降の宿を予約。結局SantiagoのParadorまで予約してしまった。未定なのはSantiago到着前日のMonte de Gozoだけ。ここはAlbergueでも構わない。
8時半にレストランへ。他に誰も客はいない。私はMenú del DíaでリゾットとTrucha(鱒)にデザートはMasedonia。Ameliaはラザーニャ。リゾットは薄味で美味しいが、もう少し彩りがほしいところ。Truchaは2匹で生ハムで味付け。からりと焼きあがって美味しいが、昨日の方がさらに美味しかった。ラザーニャはごく当たり前のもの。デザートは缶詰だけでなく生の果物も入っていておいしい。Café cortadoも一杯。まずは満足できるものだった。
11月半ばに旅行でSantiagoに来るというYさんに、私たちはSantiagoに11月8・9日と泊まることが決定した旨、メールとSMSで知らせる。はたして届くのか。
por Andrés
https://dosperegrinos.net/2015/11/01/peregrinacion-40%ef%bc%881101%ef%bc%89-samos-%ef%bd%9e-sarria/フランス人の道 Camino FrancésCamino,Francés,Santiago,サンティアゴ,フランス人の道,巡礼宿の近くのBarで朝食をと出かけるが、宿の前のも隣のも閉まっている。歩きだして途中でとるしかない。
8時過ぎに出発。少し歩いたところのCafé Españaが開いていたので入ると、巡礼者が何人も朝食中。カウンターで日本人女性が食事中。Ponferradaから歩いているそうで、外国人男性と同行。昨日はO Cebreiroから一気に歩いてきたので到着が遅れて修道院を見られなかったが、8時半から開くので見学してからSarriaへとのこと。修道院のAlbergueに泊まったそうだ。昨日のぞいた時に、入ってすぐに冷たく暗い部屋に鉄の二段ベッドが並んでいるだけという、これまで見た中で最も質素なものだっただけに、彼女の勇気に感服する。
朝食はTostadaとCafé con leche。Ameliaはお茶。朝食中に先ほどの女性が修道院方向から戻ってきてCaminoを歩くのが見えた。修道院見学が8時半からとは考えられないので、きっと開いてなくて歩きはじめることにしたのだろう。
食後に出発。昨日の昼食をとったホテルの体重計に荷物を持ったまま乗ってみると76kgを指す。私の体重は多くて64kgなので、服、靴、杖、水等を含めた持参物総重量は最低でも12kgということになる。屋外に置かれ、もとは有料だったものとは言え正確ではないだろうが。
10分ほど歩いたところに石碑があり、Santiagoまで142kmと刻まれている。昨日のTriacastelaが130kmだったので、いくら遠回りの道を行っているとはいえ、これはCaminoの残り距離ではないだろう。自動車道路の距離だろうか。
この辺りはハイキングコースが整備されているようで、川を渡って山の方に通じる歩行者用の橋がいくつも架けられ、休憩所もつくられている。川の水もきれいで豊か。
30分ほど歩いたところで自動車道から離れる。分岐点には自転車は左の自動車道を、歩行者は右の狭い道をと示されている。
天気予報には久しぶりに晴れマークが並んでいたが、次第に霧が濃くなる。空は黒くないので雨の心配はなさそう。単なる朝霧だろう。
舗装道路は少しだけで、間もなく土の道に。泥道になっているところにトウモロコシの茎や葉を敷いてくれていて、非常に助かる。
今日も小さな集落をいくつも過ぎ、小さな教会をいくつも見るが、いずれも閉まっている。諸聖人の日なので墓地に花はあふれているが。
トウモロコシ畑に案山子。他でも見たことがあるので、案山子はスペインでも特殊ではない。
道端に道祖神のようなものもあり、きれいな川も流れていて、安曇野を思い出させられる風景。
昨日がハロウィンだったからだろう、柵にたくさんのカボチャをつり下げて飾っている家があった。ただ、スペインでは万聖節が一般的で、ハロウィンは最近になって少し広まってきた程度。
少し疲れたが休むところがない。仕方なく道端に木の横たわっているのがあったので休憩。持参のチョコレートを食べてエネルギー補給。
再び歩き出して少し行くと、朝の日本人女性が同伴の男性と一緒に、やはり道端で休んでいた。あいさつして通過。
小さな家が、各国語で「売ります」の看板を出している。効果はあるのか。しかしこの家は売家の中では最上の部類。Caminoを歩いていて地方の村で見かけるのは、これは少々のお金をつけてくれても欲しくない、と言うものばかりだった。
Aguiadaという集落にようやくBarがあったのでお昼にする。Bocadillo con Tortilla FrancesaとAgua con gas。そこで韓国人の青年男女が食事の注文をしようとしていたが、スペイン語が全くできず、店の女主人は英語が全くできずで困っていたらしい。Ameliaが韓国人の英語をスペイン語に訳して通訳。無事に注文ができ、Ameliaは役に立てたと大喜び。
私たちが食事をしていると、例の日本人女性と男性が店に入ってきた。男性はMadridの人で、休暇でSantiagoまで歩いているところだそうだ。女性はPonferradaからFisterraまで。4年前に、それまでの3年間アメリカで働いていたがリストラされ、これからどうしようか考えるためにCaminoをSaint JeanからSantiagoまで歩いたそうだ。その後Camino del Norteを少しだけ歩いたら、また歩きたくなり、今回はPonferradaからFisterraまでにしたとのこと。彼とはO Cebreiroで知り合い、彼は英語ができず、彼女はスペイン語ができないので身振り手振りで会話しているとのこと。しかし彼女は米国で働いていたのだから語学の才能があるのだろう、スペイン語はできないと言いながら結構彼とは片言のスペイン語で会話している。サリアまであと4kmぐらいだと教えると、食事はサリアでとると言って出発していった。彼の方が彼女にぞっこんで、二人の間に入り込まないでくれという雰囲気を発散させながら私たちが会話しているところにやって来たりしていた。
昨日の朝から目にしていなかったMojónを見つけた。おそらくもう一本のCaminoと合流したのだろう。残り距離は115.5km。
クロッカスの花が今日も目に入る。
Villafranca以来の大きな町、Sarriaが見えてきた。旧市街に入る手前で今日の宿に到着。2時前だったので楽な行程だった。ここでAbueloの宿で同宿し、その後も何度も会い、Molinasecaで久しぶりに会って、それっきりだった老夫婦にまたもや再開。お互いに驚き喜び合う。
5時前に外出。クレデンシャルを売っているというSanta María教会へ行く。
Caminoを行くのだが、宿から川を渡って旧市街に入るときつい坂で新市街を見下ろす高台へ上ることになる。明日は荷物を背負って上るのかと思うと、ちょっと苦痛。教会は日曜日は閉まっていて、Monasterio(修道院)へ行くようにとの掲示。さらに坂を上って行く。
着いてみるとちょうどミサが終わってたくさんの信者が礼拝堂から出てくるところ。その先にMonasterioの入口がある。ここも入口は閉まっているが、所用の方はベルを引くようにとあるのでひもを引く。少ししてドアが開き修道僧が現れる。修道院の見学はできないかと尋ねると今日はだめとのこと。Selloだけもらう。ここからは毎日二つはSelloをもらうようにと言って、明日の日付で押してくれる。Sarriaからが巡礼証明をもらうための最低限必要な行程なので、日に二つを強調してくれるのは親切。スペインで発行されたクレデンシャルには日に二つと書かれているが、日本で発行されたものには記載がないのだから。
ミサの終わった礼拝堂に入り、短時間だが中を見ることができた。
元の道を戻り、途中のBarで小さなサンドウィッチとコーヒーで休憩。
宿の近くの川沿いで良さそうなレストランを探すが、ない。夕食は宿のレストランでと決め、ホテルのレセプションで予約を入れる。8時半から。
部屋に戻って明日以降の宿を予約。結局SantiagoのParadorまで予約してしまった。未定なのはSantiago到着前日のMonte de Gozoだけ。ここはAlbergueでも構わない。
8時半にレストランへ。他に誰も客はいない。私はMenú del DíaでリゾットとTrucha(鱒)にデザートはMasedonia。Ameliaはラザーニャ。リゾットは薄味で美味しいが、もう少し彩りがほしいところ。Truchaは2匹で生ハムで味付け。からりと焼きあがって美味しいが、昨日の方がさらに美味しかった。ラザーニャはごく当たり前のもの。デザートは缶詰だけでなく生の果物も入っていておいしい。Café cortadoも一杯。まずは満足できるものだった。
11月半ばに旅行でSantiagoに来るというYさんに、私たちはSantiagoに11月8・9日と泊まることが決定した旨、メールとSMSで知らせる。はたして届くのか。
por AndrésAndrés
andres@nifty.comAdministratorDos Peregrinos
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