Segunda Peregrinación 50(11/17 Cee~Fisterra)
最高点の標高: 131 m
最低点の標高: -16 m
累積標高(上り): 567 m
累積標高(下り): -544 m
総所要時間: 09:42:03
Camino最終日。今日は先ずFisterraの町まで歩いて宿に入り、昼食等を済ませてから日没時に岬まで行って落日を眺めてくると言う予定。幸い晴れている。
7時起床。2日連続して私たちにしては長い距離を歩いたので、さすがに疲れがたまっているような気がする。
朝食はホテルのBarで食べるが、普通に注文するもの。Café con leche, Té con leche, Zumo de naranja, Tostado, Crowasán。
9時半ごろ出発。今日は海辺の町だからか、そんなに寒くない。昨日の道を逆にたどり教会前に出る。今日最初のモホンは14.871㎞。
何か所かにタイル絵が飾られている。Caminoを歩きはじめると海岸に出る。昨日の顔なじみ4人が歩きはじめている。
海岸を見てみると、砂浜もあるが、その先は泥のようで海水浴ができるところではない。
海岸から離れたところで先行していた4人が横道に入ったところから引き返してきて自動車道を歩いて行く。道を間違えたのだろうと思って行ってみると、彼らが最初に向かった横道をモホンが指示している。そこにおばさんが通りかかり、この道は坂道が多いから自動車道を行きなさい、と教えてくれる。礼を言ったものの自動車道を行くのは嫌なので私たちは本来のCaminoを行くことにする。
最初だけ急な上り坂だったが、あとはほぼ平坦な曲がりくねった古い市街地。ところが、市街地が終わったところで狭い塀の間の路地になり、その先で本格的な上りの山道がはじまる。おばさんが言ったMucha cuestaとはこれだったのだろう。
上るにつれて当然だがCeeの街や湾が見下ろせる。薄曇りで、落日がきれいに見えるかどうか心配になる。何しろ2年前は晴れていて当然太陽が見えると思っていたのに、水平線の上に雲がかかって落日にはお目にかかれなかったのだから。
いったん下って港町に入ると、裏通りは路地が曲がり、上り下りが多い。
長く赤いベンチがあったので、休憩。ついでに日向は暑くなってきたので上着を脱ぐ。
再び上るが、今回は坂は緩やか。間もなく山道になるが、この何十日、さんざん歩いて見飽きたこんな道ともあと数㎞で、ひょっとしたら数百mでお別れだろう。
小さな砂浜の近くまで急坂で下り、同じような急坂で道路まで上がる。
最後の下り坂で砂浜まで行くと、あとは遊歩道が続いていて、長いCaminoで酷使した足を慰めているかのようだ。
砂浜に面してあった最初のBarで最後の休憩。テラスにも店内にも客はいないし、休んでいる間にも前を通り過ぎるPeregrinoはいない。もうみんな行ってしまったのか、今日は短い距離なので名残惜しくてゆっくり歩いているのか。
砂浜が終わって少し上るとFisterraの町に入る。今回の宿は町の中心、バス停のすぐ近く。
部屋の窓からは何とか海が見える。
部屋にリュックを下ろすと、インターネットの口コミで評価の高いすぐ近くのレストラン“O PIRATA”へ。
EnsaladaとZamburiñasとPercebes。量が少なかったので追加でPulpo。客も結構入っていたので期待したのだが、ちょっとがっかり。Zamburiñaは大味、Percebesは姿を気にせずに食べる価値があるようなものになっておらず、Pulpoは焦げている。あらためて「口コミ」はほんの参考程度にしかならないと思わされる。Fisterraで1軒か2軒でしか食べていない人が、窓やテラスからの景色も含めて評価しているのだから、それも無理のないことだろう。
部屋に戻ってシャワー等を済ませ、17時にCaminoの終点、Cabo Fisterraへ向かう。町を出るとゆるやかな上りが岬の先端まで続く。
途中にあるPeregrinoの像には誰がつけたのか帆立貝が下がっている。
最後のモホンは0.00㎞。Santiagoから90㎞、Bayonaから950㎞を歩き通した。2年前ほどの感慨はないが、それでもBayonaから歩きはじめた当初に感じた体力の衰えは消え、それほどの苦痛や耐えがたい疲労も感じることなくここまでこれたことへの驚きはある。信仰のある人なら神に感謝するところだろう。
岬のBarに行き、最後のSelloをもらう。ここのホテルに泊まりたかったのだが、金曜日ということもあって満室だった。
灯台のさらに先に行き夕日を見ることに。
太陽が水平線の下に隠れた瞬間、集まった人々から拍手が沸き起こり、”¡Viva Peregrino!”の声が上がった。
非常に残念だったのは、落日の風景を撮影に来ていた日本人カメラマンの行為。おそらく最高の撮影場所を確保するために随分前から来ていたのだろうから、太陽が沈む時にカメラの前に人が来るのを遮るのは仕方がないことなのかもしれない。しかしカメラボックスなどを、他の人が彼のカメラの横から望遠レンズを使わずに撮影しようとすると写ってしまう位置に置いていたのだ。自分が良い写真を撮ることにしか考えが及ばないのだろう。
照明のない崖沿いの道を歩かなければならないので、急ぎ足で町に戻る。
Albergueに行き、Fisterra到達証明書をもらう。紙質も手書きで名前を記入してくれる人の腕も、Santiagoの巡礼証明書より上。
宿に戻って日記の続きを書く。
21時に前回も行った”Don Percebe”に夕食に行く。PercebesとGambónとEnsalada。やはりここの方がはるかにおいしい。Percebesは貝そのものの質も味付けも、昼の”O PIRATA”よりはるかに上。Camareroも2年前と同じで、愛想は良くないのだが、必要な仕事を的確にやっている。
町の中心から少し外れた、同じ通りには飲食店はこの一軒しかないという不利な場所でやっているから味で勝負しているのだろう。
Caminoの打ち上げらしい10人ほどのPeregrinoのグループがいる。スペイン語、英語、フランス語が聞こえてくるが、全員に共通の言葉はないようで、少し盛り上がりに欠けているようだった。
宿に戻ったのは23時近くになっていた。
33,500歩 22.1㎞
por Andrés
https://dosperegrinos.net/2017/11/18/segunda-peregrinacin-50%ef%bc%881117-cee%ef%bd%9efisterra%ef%bc%89/北の道 Camino del NorteCamino,Norte,Santiago,サンティアゴ,北の道,巡礼Camino最終日。今日は先ずFisterraの町まで歩いて宿に入り、昼食等を済ませてから日没時に岬まで行って落日を眺めてくると言う予定。幸い晴れている。 7時起床。2日連続して私たちにしては長い距離を歩いたので、さすがに疲れがたまっているような気がする。 朝食はホテルのBarで食べるが、普通に注文するもの。Café con leche, Té con leche, Zumo de naranja, Tostado, Crowasán。 9時半ごろ出発。今日は海辺の町だからか、そんなに寒くない。昨日の道を逆にたどり教会前に出る。今日最初のモホンは14.871㎞。何か所かにタイル絵が飾られている。Caminoを歩きはじめると海岸に出る。昨日の顔なじみ4人が歩きはじめている。海岸を見てみると、砂浜もあるが、その先は泥のようで海水浴ができるところではない。 海岸から離れたところで先行していた4人が横道に入ったところから引き返してきて自動車道を歩いて行く。道を間違えたのだろうと思って行ってみると、彼らが最初に向かった横道をモホンが指示している。そこにおばさんが通りかかり、この道は坂道が多いから自動車道を行きなさい、と教えてくれる。礼を言ったものの自動車道を行くのは嫌なので私たちは本来のCaminoを行くことにする。 最初だけ急な上り坂だったが、あとはほぼ平坦な曲がりくねった古い市街地。ところが、市街地が終わったところで狭い塀の間の路地になり、その先で本格的な上りの山道がはじまる。おばさんが言ったMucha cuestaとはこれだったのだろう。 上るにつれて当然だがCeeの街や湾が見下ろせる。薄曇りで、落日がきれいに見えるかどうか心配になる。何しろ2年前は晴れていて当然太陽が見えると思っていたのに、水平線の上に雲がかかって落日にはお目にかかれなかったのだから。 モホンの数字もとうとう10㎞を切った。 いったん下って港町に入ると、裏通りは路地が曲がり、上り下りが多い。長く赤いベンチがあったので、休憩。ついでに日向は暑くなってきたので上着を脱ぐ。 再び上るが、今回は坂は緩やか。間もなく山道になるが、この何十日、さんざん歩いて見飽きたこんな道ともあと数㎞で、ひょっとしたら数百mでお別れだろう。 湾の向こうにとうとうFisterraの町が見えてきた。 小さな砂浜の近くまで急坂で下り、同じような急坂で道路まで上がる。 最後の下り坂で砂浜まで行くと、あとは遊歩道が続いていて、長いCaminoで酷使した足を慰めているかのようだ。砂浜に面してあった最初のBarで最後の休憩。テラスにも店内にも客はいないし、休んでいる間にも前を通り過ぎるPeregrinoはいない。もうみんな行ってしまったのか、今日は短い距離なので名残惜しくてゆっくり歩いているのか。 砂浜が終わって少し上るとFisterraの町に入る。今回の宿は町の中心、バス停のすぐ近く。部屋の窓からは何とか海が見える。 部屋にリュックを下ろすと、インターネットの口コミで評価の高いすぐ近くのレストラン“O PIRATA”へ。EnsaladaとZamburiñasとPercebes。量が少なかったので追加でPulpo。客も結構入っていたので期待したのだが、ちょっとがっかり。Zamburiñaは大味、Percebesは姿を気にせずに食べる価値があるようなものになっておらず、Pulpoは焦げている。あらためて「口コミ」はほんの参考程度にしかならないと思わされる。Fisterraで1軒か2軒でしか食べていない人が、窓やテラスからの景色も含めて評価しているのだから、それも無理のないことだろう。 部屋に戻ってシャワー等を済ませ、17時にCaminoの終点、Cabo Fisterraへ向かう。町を出るとゆるやかな上りが岬の先端まで続く。 途中にあるPeregrinoの像には誰がつけたのか帆立貝が下がっている。 岬に着く頃には夕焼けがはじまっている。 最後のモホンは0.00㎞。Santiagoから90㎞、Bayonaから950㎞を歩き通した。2年前ほどの感慨はないが、それでもBayonaから歩きはじめた当初に感じた体力の衰えは消え、それほどの苦痛や耐えがたい疲労も感じることなくここまでこれたことへの驚きはある。信仰のある人なら神に感謝するところだろう。 岬のBarに行き、最後のSelloをもらう。ここのホテルに泊まりたかったのだが、金曜日ということもあって満室だった。 灯台のさらに先に行き夕日を見ることに。 見事な落日だった。 太陽が水平線の下に隠れた瞬間、集まった人々から拍手が沸き起こり、”¡Viva Peregrino!”の声が上がった。 日没後も空と雲が素晴らしい色彩を見せてくれた。 非常に残念だったのは、落日の風景を撮影に来ていた日本人カメラマンの行為。おそらく最高の撮影場所を確保するために随分前から来ていたのだろうから、太陽が沈む時にカメラの前に人が来るのを遮るのは仕方がないことなのかもしれない。しかしカメラボックスなどを、他の人が彼のカメラの横から望遠レンズを使わずに撮影しようとすると写ってしまう位置に置いていたのだ。自分が良い写真を撮ることにしか考えが及ばないのだろう。 照明のない崖沿いの道を歩かなければならないので、急ぎ足で町に戻る。 Albergueに行き、Fisterra到達証明書をもらう。紙質も手書きで名前を記入してくれる人の腕も、Santiagoの巡礼証明書より上。 宿に戻って日記の続きを書く。 21時に前回も行った”Don Percebe”に夕食に行く。PercebesとGambónとEnsalada。やはりここの方がはるかにおいしい。Percebesは貝そのものの質も味付けも、昼の”O PIRATA”よりはるかに上。Camareroも2年前と同じで、愛想は良くないのだが、必要な仕事を的確にやっている。町の中心から少し外れた、同じ通りには飲食店はこの一軒しかないという不利な場所でやっているから味で勝負しているのだろう。 Caminoの打ち上げらしい10人ほどのPeregrinoのグループがいる。スペイン語、英語、フランス語が聞こえてくるが、全員に共通の言葉はないようで、少し盛り上がりに欠けているようだった。 宿に戻ったのは23時近くになっていた。 33,500歩 22.1㎞ por AndrésAndrés andres@nifty.comAdministratorDos Peregrinos
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