演劇「hana-1970、コザが燃えた日-」
池袋の東京芸術劇場で、1月18日に観劇。
舞台は1970年12月20日(日)の沖縄のコザ(現、沖縄市)にあるAサインバー。
登場人物はバーを経営する母親、やくざの長男、小学校教員の次男、高校生の娘、無職の父親。しかし彼らは血縁もなく婚姻関係もない。さらに、かくまわれている脱走米兵、客としてやってきたデモ帰りの次男の同僚、本土から来たカメラマン。
この「偽の家族」の一夜の時間の中に、沖縄戦での日本軍の所業、戦後の米軍占領下での銃剣とブルドーザーによる土地強制接収、米軍関連の事故、米兵による犯罪、ベトナム戦争、脱走米兵、本土との関わり等々の沖縄の歴史を、家族の歴史を描くことで凝縮して表現している。
私にはほとんど既知の事柄ばかりだとは言っても、その濃度に息苦しくなるほどだった。
役者たちは内地の人間にも理解できるぎりぎりの範囲でウチナーグチ(琉球語)を使い、沖縄の空気をよく伝えていた。
劇を観ながら、さまざまなことを思い出していた。
50年前のコザを直接見てはいないが、配偶者の実家が事件現場からほんの数百メートルのところにあるため、40年前からは幾度も訪れている。今はすっかり変わってしまった風景も、写真で見る事件当時の町並みが40年前にはまだ多く残っていたので、リアルに思い浮かべることができたような気がした。
事件をどう呼ぶかにその人の位置が微妙に反映されてしまう。コザ「騒動」、「暴動」、「事件」、「騒乱」。沖縄「返還」、「復帰」、「奪還」、「解放」、「第三次琉球処分」。
それにしても米軍占領下であれほどまで人権が無視されていた中で、「暴動」と呼べるような抵抗はコザ暴動しかなかったのは何故なのだろうか。
https://dosperegrinos.net/2022/01/19/%e6%bc%94%e5%8a%87%e3%80%8chana-1970%e3%80%81%e3%82%b3%e3%82%b6%e3%81%8c%e7%87%83%e3%81%88%e3%81%9f%e6%97%a5-%e3%80%8d//images/2022/01/hana_KeyArt_A4-724x1024.jpg/images/2022/01/hana_KeyArt_A4-150x150.jpg文化・芸術日記・コラム・つぶやきhana,コザが燃えた日,沖縄池袋の東京芸術劇場で、1月18日に観劇。 舞台は1970年12月20日(日)の沖縄のコザ(現、沖縄市)にあるAサインバー。 登場人物はバーを経営する母親、やくざの長男、小学校教員の次男、高校生の娘、無職の父親。しかし彼らは血縁もなく婚姻関係もない。さらに、かくまわれている脱走米兵、客としてやってきたデモ帰りの次男の同僚、本土から来たカメラマン。 この「偽の家族」の一夜の時間の中に、沖縄戦での日本軍の所業、戦後の米軍占領下での銃剣とブルドーザーによる土地強制接収、米軍関連の事故、米兵による犯罪、ベトナム戦争、脱走米兵、本土との関わり等々の沖縄の歴史を、家族の歴史を描くことで凝縮して表現している。 私にはほとんど既知の事柄ばかりだとは言っても、その濃度に息苦しくなるほどだった。 役者たちは内地の人間にも理解できるぎりぎりの範囲でウチナーグチ(琉球語)を使い、沖縄の空気をよく伝えていた。 劇を観ながら、さまざまなことを思い出していた。 50年前のコザを直接見てはいないが、配偶者の実家が事件現場からほんの数百メートルのところにあるため、40年前からは幾度も訪れている。今はすっかり変わってしまった風景も、写真で見る事件当時の町並みが40年前にはまだ多く残っていたので、リアルに思い浮かべることができたような気がした。 事件をどう呼ぶかにその人の位置が微妙に反映されてしまう。コザ「騒動」、「暴動」、「事件」、「騒乱」。沖縄「返還」、「復帰」、「奪還」、「解放」、「第三次琉球処分」。 それにしても米軍占領下であれほどまで人権が無視されていた中で、「暴動」と呼べるような抵抗はコザ暴動しかなかったのは何故なのだろうか。Andrés andres@nifty.comAdministratorDos Peregrinos
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