合計距離: 21398 m
最高点の標高: 87 m
最低点の標高: 46 m
累積標高(上り): 466 m
累積標高(下り): -466 m
総所要時間: 08:24:51

ホテルの朝食はバイキングだったが、「岩泉ヨーグルト」があった。食べるのは初めてだったが、粘りが強く、一緒に食べたグラノーラはまったく湿らずパリっとしたままで美味しかった。9時15分にチェックアウトして昨日の道を少し戻って奥州街道に戻る。

少し地方道を進んで国道に合流し、1kmほどで県道に。

「奥州市埋蔵文化財調査センター」に立ち寄ってみる。30分程のつもりが、1時間の見学になってしまった。

胆沢城跡を前にした博物館で、規模は大きくないが展示はよく整理されていて分かりやすく、ビデオで蝦夷の英雄アテルイと征夷大将軍坂上田村麻呂の物語を流していて大和政権の奥州進出の歴史が簡潔にまとめられていた。

今日も晴天で少し暑いくらい。桜の開花も日毎に進んでいるようだ。

なぜか脈絡もなく奥州街道の表示。

何も残っていないが、説明版はありがたい。

金ヶ崎の町には保育園が多かった。町に入る手前に新しく大きな保育園があり、そのすぐ近くにも小規模のものがあった。さらに町に入ると小規模のものが何軒か目に入った。過疎化の進んでいる町のように見えたが、子育てで町の復興を図っているのだろうか。

金ヶ崎で昼食にしようと思っていたが、街道沿いには開いている店がない。やがて国道に出、「まるみドライブイン」が営業していた。昔ながらのドライブインで、畳の広間に座卓が並んでいて、昼時とあって客も多い。給仕の女性が一人で大忙し。キッチンでは3人が働いている。客は仕事中の人がほとんどで、観光客らしい姿はない。メニューは典型的な昔のドライブインのもの。カツ丼とサバ塩焼き定食を食べた。意外にも塩分控えめで味も良かった。ただし私たちにはご飯が多過ぎ、食べ切るのに苦労した。給仕の女性が話しかけてきて桜の咲き具合を教えてくれ、「気を付けて」と見送ってくれた。

ここで道を間違えていることに気づいた。2km近く先で街道に戻れた。しかし正しい道を進んでいたら昼食にありつけるのは2時過ぎになっていただろう。

しばらく国道を進んでから地方道に入り、さらに初めて舗装道路を離れる。

いかにも日本的な過剰な表示。この狭さでも自動車が通れると思う人がいると、JRは考えているようだ。

またまた奥州街道の表示が意味のわからない場所にポツンと。隣の桜の開花はまだまだ先。

これも説明版だけ。しかし番所の意外な大きさに驚いた。

南部藩と伊達藩の境を示す塚。ここは説明版だけでなく、実物も残っている。

北上の街はホテルばかりが多く、飲食店は目につかない。駅前から左折して今日の宿に着いたのは5時過ぎ。

夕食はホテル内のレストランですませた。ルートインホテルのレストランはどこも同じだが、ここは従業員の対応がよく、気持ち良く食事できた。

34,206歩 20.5km

/images/2023/04/0c9b2b3289da60399b9185cd6c60b5a5-700x394.jpg/images/2023/04/0c9b2b3289da60399b9185cd6c60b5a5-150x150.jpgAndrés奥州道中まるみドライブイン,アテルイ,ルートインホテル,北上,坂上田村麻呂,奥州市埋蔵文化財調査センター,水沢ホテルの朝食はバイキングだったが、「岩泉ヨーグルト」があった。食べるのは初めてだったが、粘りが強く、一緒に食べたグラノーラはまったく湿らずパリっとしたままで美味しかった。9時15分にチェックアウトして昨日の道を少し戻って奥州街道に戻る。 少し地方道を進んで国道に合流し、1kmほどで県道に。 「奥州市埋蔵文化財調査センター」に立ち寄ってみる。30分程のつもりが、1時間の見学になってしまった。 胆沢城跡を前にした博物館で、規模は大きくないが展示はよく整理されていて分かりやすく、ビデオで蝦夷の英雄アテルイと征夷大将軍坂上田村麻呂の物語を流していて大和政権の奥州進出の歴史が簡潔にまとめられていた。 今日も晴天で少し暑いくらい。桜の開花も日毎に進んでいるようだ。 なぜか脈絡もなく奥州街道の表示。 何も残っていないが、説明版はありがたい。 金ヶ崎の町には保育園が多かった。町に入る手前に新しく大きな保育園があり、そのすぐ近くにも小規模のものがあった。さらに町に入ると小規模のものが何軒か目に入った。過疎化の進んでいる町のように見えたが、子育てで町の復興を図っているのだろうか。 金ヶ崎で昼食にしようと思っていたが、街道沿いには開いている店がない。やがて国道に出、「まるみドライブイン」が営業していた。昔ながらのドライブインで、畳の広間に座卓が並んでいて、昼時とあって客も多い。給仕の女性が一人で大忙し。キッチンでは3人が働いている。客は仕事中の人がほとんどで、観光客らしい姿はない。メニューは典型的な昔のドライブインのもの。カツ丼とサバ塩焼き定食を食べた。意外にも塩分控えめで味も良かった。ただし私たちにはご飯が多過ぎ、食べ切るのに苦労した。給仕の女性が話しかけてきて桜の咲き具合を教えてくれ、「気を付けて」と見送ってくれた。 ここで道を間違えていることに気づいた。2km近く先で街道に戻れた。しかし正しい道を進んでいたら昼食にありつけるのは2時過ぎになっていただろう。 しばらく国道を進んでから地方道に入り、さらに初めて舗装道路を離れる。 いかにも日本的な過剰な表示。この狭さでも自動車が通れると思う人がいると、JRは考えているようだ。 またまた奥州街道の表示が意味のわからない場所にポツンと。隣の桜の開花はまだまだ先。 これも説明版だけ。しかし番所の意外な大きさに驚いた。 南部藩と伊達藩の境を示す塚。ここは説明版だけでなく、実物も残っている。 北上の街はホテルばかりが多く、飲食店は目につかない。駅前から左折して今日の宿に着いたのは5時過ぎ。 夕食はホテル内のレストランですませた。ルートインホテルのレストランはどこも同じだが、ここは従業員の対応がよく、気持ち良く食事できた。 34,206歩 20.5km退職者夫婦の旅と日常(スペイン・旅・留学・巡礼・映画・思索・本・・・)