映画「10年後の空へ―OKINAWAとフクシマ」
国分寺労政会館で上映された輿石正監督による映画「10年後の空へ―OKINAWAとフクシマ」を観た。
東日本大震災でいわき市の住む家を失い、東京電力福島第一原子力発電所からの放射線被曝を避けるために沖縄に避難した村重さん一家を追ったドキュメンタリーである。
村重光敏さんは大工でミュージシャン。小学校1年生の空くんを被爆から逃がせたいと、音楽仲間で沖縄のブルースシンガーの知念良吉さんに相談したところ、名護市で予備校を経営しながら「じんぶん企画」を主宰しドキュメンタリー映画を撮っている輿石さんを紹介され、予備校の寮に避難することになった。
輿石さんは彼らを東海岸のヌーファ、山原(沖縄北部)の森や美しい海に連れ出し、一家との交流を深めて行く。
4月に入って、光敏さんはいわき市に戻った。大工として復興に役立ちたいとの思い、そして多くの人が逃げることができずにいる中で自分たちだけが楽しく暮らしていることへの後ろめたさからだったようだ。
空くんは名護市の小学校に転校し、沖縄の生活になじんでゆく。それでも、いつかはいわきに帰り、いわきの友達と遊びたいと言う。お母さんの嘉子さんは、映画の中では語らないが、常に後ろめたさを感じながらも、この夏でいわきに帰るのは無理だと思っているようだ。
放射線の影響は10年後、あるいはもっと先にならなければ分からない。空くんが10年後にどんな世界を生きるのか、10年後から現在を振り返ってどう感じるのか。この映画は10年後の空くんに宛てられた手紙である。
映画はまた、辺野古の海、嘉手納、普天間の現実を映し、基地や原発、嫌なもの汚いものは常に地方に押し付けられる、と語る。
上映後に輿石監督は、OKINAWAとフクシマを結ぶキーワードは「都市」だと話していた。都会の人間、東京の人々が安楽な暮らしをするために原発を地方に押し付け、基地を沖縄に押し付けていると。
沖縄と福島、基地と原発に同じ構造を見る視点は理解できるが、それを「都市」と「地方」で裁断することは納得できない。基地や原発で苦しめられているのが沖縄や福島であることは間違いないにしても、それで潤い利益を得ている人がそこにいることもまた事実だし、都市の人間すべてがそれで利益を得ているわけではないことも事実なのだから。本当の意味で基地や原発による利益を享受し、それを維持拡大しようとしているものが何なのか、誰なのかを見極めなければならない。まだこの映画は「未完成」であるように思えた。
por Andrés
https://dosperegrinos.net/2011/07/17/%e6%98%a0%e7%94%bb%e3%80%8c10%e5%b9%b4%e5%be%8c%e3%81%ae%e7%a9%ba%e3%81%b8%e2%80%95%ef%bd%8f%ef%bd%8b%ef%bd%89nawa%e3%81%a8%e3%83%95%e3%82%af%e3%82%b7%e3%83%9e%e3%80%8d/映画・テレビ国分寺労政会館で上映された輿石正監督による映画「10年後の空へ―OKINAWAとフクシマ」を観た。 東日本大震災でいわき市の住む家を失い、東京電力福島第一原子力発電所からの放射線被曝を避けるために沖縄に避難した村重さん一家を追ったドキュメンタリーである。 村重光敏さんは大工でミュージシャン。小学校1年生の空くんを被爆から逃がせたいと、音楽仲間で沖縄のブルースシンガーの知念良吉さんに相談したところ、名護市で予備校を経営しながら「じんぶん企画」を主宰しドキュメンタリー映画を撮っている輿石さんを紹介され、予備校の寮に避難することになった。 輿石さんは彼らを東海岸のヌーファ、山原(沖縄北部)の森や美しい海に連れ出し、一家との交流を深めて行く。 4月に入って、光敏さんはいわき市に戻った。大工として復興に役立ちたいとの思い、そして多くの人が逃げることができずにいる中で自分たちだけが楽しく暮らしていることへの後ろめたさからだったようだ。 空くんは名護市の小学校に転校し、沖縄の生活になじんでゆく。それでも、いつかはいわきに帰り、いわきの友達と遊びたいと言う。お母さんの嘉子さんは、映画の中では語らないが、常に後ろめたさを感じながらも、この夏でいわきに帰るのは無理だと思っているようだ。 放射線の影響は10年後、あるいはもっと先にならなければ分からない。空くんが10年後にどんな世界を生きるのか、10年後から現在を振り返ってどう感じるのか。この映画は10年後の空くんに宛てられた手紙である。 映画はまた、辺野古の海、嘉手納、普天間の現実を映し、基地や原発、嫌なもの汚いものは常に地方に押し付けられる、と語る。 上映後に輿石監督は、OKINAWAとフクシマを結ぶキーワードは「都市」だと話していた。都会の人間、東京の人々が安楽な暮らしをするために原発を地方に押し付け、基地を沖縄に押し付けていると。 沖縄と福島、基地と原発に同じ構造を見る視点は理解できるが、それを「都市」と「地方」で裁断することは納得できない。基地や原発で苦しめられているのが沖縄や福島であることは間違いないにしても、それで潤い利益を得ている人がそこにいることもまた事実だし、都市の人間すべてがそれで利益を得ているわけではないことも事実なのだから。本当の意味で基地や原発による利益を享受し、それを維持拡大しようとしているものが何なのか、誰なのかを見極めなければならない。まだこの映画は「未完成」であるように思えた。 por AndrésAndres y Amelia SubscriberDos Peregrinos
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