吉本隆明 逝去
今日、吉本隆明が死んだ。87歳。肺炎。
私が吉本を知ったのは、高校3年生の時だった。全共闘運動が高校にも波及するなかで、私の通っていた高校でも授業をつぶしてのクラス討論を盛んに行うようになっていた。70年を間近に控えて日米安保なども取り上げていたが、議論の中心は高校教育の現状であり、中でも受験教育だった。進学校だったこともあって大学受験を第一に考えた授業を行う教員が何人かいて、大学闘争での「大学解体」を受けるようにして受験教育への賛否が議論された。クラスの中には「俺は東大を目指しているんだから邪魔するな」と言う者もいれば、何も言わずにクラス討論の間も参考書を広げて受験勉強に没頭する者もいた。
そんな時期に現代国語の先生が何の説明もなしに、吉本の文章を印刷した数枚のプリントを配った。題も出典も覚えていないが、一戸建て住宅が延々とびっしり広がっている東京の風景をビルや団地などより評価するような内容だったと思う。その時は、建築家の文章かと思い、先生がなぜこの時期にこれを読ませたのか理解できずに読み流した。
大学に入って吉本を読みはじめた。詩からはじまって、戦争責任論、「共同幻想論」、「言語にとって美とは何か」・・・。意識したわけではなかったが、吉本自身の歩みをほぼ辿るようなかたちになっていた。「吉本かぶれ」になったつもりはなかったが、彼の著作を通して国家とは何か、言語とは何かが腑に落ちたし、何よりもその独自の用語や文体に大きな影響を受けたと思う。後年の組合活動で書いた文章を読み返して、吉本の文体がいつの間にか染みついていたことに驚いたことがあった。就職後の数年間、勉強会で叛旗派のメンバー数人と毎月議論し情報を交換していたが、そこでも吉本の思想は身近にあった。
高校時代に初めて接した吉本の文章は、「大衆の原像」から人々の生活の場を肯定するものだったのだろう。あの現代国語の先生が何を伝えたかったのか、今でもわからない。それがなくても、当時の多くの学生がそうであったように、私は吉本を読んだだろう。先生の意図がわからなかったがゆえに却って吉本の名がどこかに引っかかり、私を吉本に向かわせる契機の一つにはなっていたのかもしれないが。
この20年ほどは、たまに吉本の著作に触れても違和感ばかりが感じられ、吉本も老いて現実からずれてきたかと感じることが多かった。それでも私がこれまでで最も影響を受けた人物であることは確かだし、吉本は私が世界を見定める際の基準であり続けていた。
por Andrés
https://dosperegrinos.net/2012/03/16/%e5%90%89%e6%9c%ac%e9%9a%86%e6%98%8e%e3%80%80%e9%80%9d%e5%8e%bb/日記・コラム・つぶやき今日、吉本隆明が死んだ。87歳。肺炎。 私が吉本を知ったのは、高校3年生の時だった。全共闘運動が高校にも波及するなかで、私の通っていた高校でも授業をつぶしてのクラス討論を盛んに行うようになっていた。70年を間近に控えて日米安保なども取り上げていたが、議論の中心は高校教育の現状であり、中でも受験教育だった。進学校だったこともあって大学受験を第一に考えた授業を行う教員が何人かいて、大学闘争での「大学解体」を受けるようにして受験教育への賛否が議論された。クラスの中には「俺は東大を目指しているんだから邪魔するな」と言う者もいれば、何も言わずにクラス討論の間も参考書を広げて受験勉強に没頭する者もいた。 そんな時期に現代国語の先生が何の説明もなしに、吉本の文章を印刷した数枚のプリントを配った。題も出典も覚えていないが、一戸建て住宅が延々とびっしり広がっている東京の風景をビルや団地などより評価するような内容だったと思う。その時は、建築家の文章かと思い、先生がなぜこの時期にこれを読ませたのか理解できずに読み流した。 大学に入って吉本を読みはじめた。詩からはじまって、戦争責任論、「共同幻想論」、「言語にとって美とは何か」・・・。意識したわけではなかったが、吉本自身の歩みをほぼ辿るようなかたちになっていた。「吉本かぶれ」になったつもりはなかったが、彼の著作を通して国家とは何か、言語とは何かが腑に落ちたし、何よりもその独自の用語や文体に大きな影響を受けたと思う。後年の組合活動で書いた文章を読み返して、吉本の文体がいつの間にか染みついていたことに驚いたことがあった。就職後の数年間、勉強会で叛旗派のメンバー数人と毎月議論し情報を交換していたが、そこでも吉本の思想は身近にあった。 高校時代に初めて接した吉本の文章は、「大衆の原像」から人々の生活の場を肯定するものだったのだろう。あの現代国語の先生が何を伝えたかったのか、今でもわからない。それがなくても、当時の多くの学生がそうであったように、私は吉本を読んだだろう。先生の意図がわからなかったがゆえに却って吉本の名がどこかに引っかかり、私を吉本に向かわせる契機の一つにはなっていたのかもしれないが。 この20年ほどは、たまに吉本の著作に触れても違和感ばかりが感じられ、吉本も老いて現実からずれてきたかと感じることが多かった。それでも私がこれまでで最も影響を受けた人物であることは確かだし、吉本は私が世界を見定める際の基準であり続けていた。 por AndrésAndres y Amelia SubscriberDos Peregrinos
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