昨夏の集団的自衛権の行使容認の閣議決定、今年の安保法制。安倍政権は何を求めているのだろうか。

彼らがいかに否定しようとも、これらは日本を「戦争のできる国」に変えることは間違いない。抑止力が強化されてむしろ戦争の危険は減る、などというのは詭弁でしかない。「抑止力の強化」が事実だと仮定しても、それが戦争の可能性を減少させるものでないことは戦後史を見ただけでも明白だし、「抑止力強化」の中で戦争がはじまってしまえば、戦争はより大規模となり、悲惨なものとなるのも明らかだ。

では、彼らは戦争を望んでいるのだろうか。恐ろしいのは、彼らは本気で戦争をするつもりがないだけでなく、戦争のことを本気で考えたこともないということなのだ。自分たち自身が戦場に行くことを想像しないだけでなく、最高権力者として「軍」を指揮することも本気で考えたことがない。もしもそれを本気で考えたとしたら、誰一人として安倍を権力の座につけていることに恐怖を感じない者はいないはずだ。安倍の自制心の欠如、事態を客観的に把握する能力のなさは、安倍を取り巻く権力中枢の人々さえ指摘している。安倍の度重なる「野次」事件だ。他者の野次をあれほど批判しておきながら、安倍自身は根拠のかけらもない野次をとばすという事件を繰り返す。そして権力中枢の人々からも「野党の挑発に乗った」「軽率だった」と評される。これは安倍に自己を客観視する能力が欠けており自制心が備わっていないことの証左だ。こんな人物が「軍」の最高指揮者であることを恐れないとすれば、それこそ「平和ボケ」の極致だ。

por Andrés

Andrés政治・経済・国際昨夏の集団的自衛権の行使容認の閣議決定、今年の安保法制。安倍政権は何を求めているのだろうか。彼らがいかに否定しようとも、これらは日本を「戦争のできる国」に変えることは間違いない。抑止力が強化されてむしろ戦争の危険は減る、などというのは詭弁でしかない。「抑止力の強化」が事実だと仮定しても、それが戦争の可能性を減少させるものでないことは戦後史を見ただけでも明白だし、「抑止力強化」の中で戦争がはじまってしまえば、戦争はより大規模となり、悲惨なものとなるのも明らかだ。では、彼らは戦争を望んでいるのだろうか。恐ろしいのは、彼らは本気で戦争をするつもりがないだけでなく、戦争のことを本気で考えたこともないということなのだ。自分たち自身が戦場に行くことを想像しないだけでなく、最高権力者として「軍」を指揮することも本気で考えたことがない。もしもそれを本気で考えたとしたら、誰一人として安倍を権力の座につけていることに恐怖を感じない者はいないはずだ。安倍の自制心の欠如、事態を客観的に把握する能力のなさは、安倍を取り巻く権力中枢の人々さえ指摘している。安倍の度重なる「野次」事件だ。他者の野次をあれほど批判しておきながら、安倍自身は根拠のかけらもない野次をとばすという事件を繰り返す。そして権力中枢の人々からも「野党の挑発に乗った」「軽率だった」と評される。これは安倍に自己を客観視する能力が欠けており自制心が備わっていないことの証左だ。こんな人物が「軍」の最高指揮者であることを恐れないとすれば、それこそ「平和ボケ」の極致だ。por Andrés退職者夫婦の旅と日常(スペイン・旅・留学・巡礼・映画・思索・本・・・)