世界のウチナーンチュ大会開会式・通訳ボランティア
10月27日、「世界のウチナーンチュ大会」の開会式が那覇のセルラースタジアム(野球場)で行われた。私たちはスペイン語の通訳ボランティアとして受付を担当した。
13時前に会場に着いてみると、球場の外周にはたくさんの屋台が並んでいて、食べ物などを買って食べる人の姿も多く見られた。
海外からの参加者を迎える受付は英語、ポルトガル語、スペイン語の3カ所。
来場者がやって来るとIDカードをチェックして紙袋に入ったお土産を渡す。お土産は泡盛セット、ガイドブック、バッジ、買い物券。希望者には沖縄料理の本と観光地図も。日本語のできる人も多く、質問も入場口や座席、トイレの位置などで、通訳というほどのものではない。ただ、IDカードを持っていない人が数人いたため、その対応ではスペイン語が少しばかり必要となった。持ってくるのを忘れた人の場合は総合受付まで案内して名前を言ってもらって再発行。そもそも登録していない人の場合はIDカードなしでは入場できない旨を説明して、隣接するセルラーパークでパブリック・ビューイングを見てもらうようにした。また、報道関係者で受付がわからないという人を場内整理係員が連れてきた時は、プレス受付まで案内した。
スペイン語圏受付では私たち以外に通訳ボランティアがもう一人いた。50~60歳の男性だったが、集合時間に1時間以上遅れてきたうえに、仕事内容を教えたにもかかわらず受付テントから出て行って入場口付近でうろうろしている姿がたまに見えるだけで、何の役にも立たなかった。一方、日経ビジネス学院の学生数人とその英語の先生が受付ボランティアをしていたが、かれらは皆仕事を積極的にこなし、受付時の対応も好感の持てる人たちだった。英語の先生は南米系の2世で、日本語、ウチナーグチ、スペイン語がネイティブ。もちろん英語も。中南米スペイン語で聞き取り難い時に助けてもらいありがたかった。
受付は15時からで、開会式が17時に始まって新たな来場者もほぼ絶えたので、18時には私たちはお役御免となった。ボランティアのビブスを着けていれば入場できるというので、観客席に入ってみた。
仕事中、17時から音楽の演奏や大きな歓声が響いてきていたが、私たちが入場した時はちょうど参加各国の紹介をしているところで、国名が告げられると国ごとにまとまって座っている人たちが歓声を上げて立ち上がっているところだった。
間もなく開会式本番が始まり翁長知事等の挨拶、各国代表などの紹介があり、続いてスペシャルライブ。夏川りみ、ネーネーズ、具志堅用高などが出演し、トークを交えながら沖縄の歌を披露。
そしてエイサーでフィナーレ。
20時ごろに終わって会場から出、ビブスを返して交通費(一人500円)を受け取ろうと本部に行くと、シャトルバス乗り場の案内を手伝ってと頼まれた。スペイン語を使う必要はなかったが、1時間ほどやってバス利用者が少なくなったところで終了。
県庁前まで歩き、パレット久茂地で夕食。開会式帰りの参加者もたくさん食事をしていた。
大会参加者は実に様々だった。若い人、外見上はウチナーンチュの血が流れているとは思えない人で日本語やウチナーグチが流ちょうに話せる人もいれば、その辺を歩いているおじいさんにしか見えないのにスペイン語しか話せない人もいる。よく言われることだが、1世は沖縄文化を身につけているが、2世は現地の文化に同化しようとする、しかし3世や4世となると父祖の地の文化を知ろうとする人が増えてくると。ここに来ているのは旅費を負担できる経済力と、「世界のウチナーンチュ大会」に参加しようという意思を持った人たちだから、ここから沖縄からの移民全体や、ましてや移民全般を判断することはできない。亀甲墓の維持が困難になるなど沖縄でも一族の繋がりが薄くなる中、それでも7,000人を超える人々が遥か彼方から自分の根っこを求め、血縁者との再会を果たそうと集まる。こうしたことは日本の他の地域ではあまり見られない、沖縄文化の求心力、沖縄の独自性を維持しようとの人々の意思を表しているように思った。
por Andrés
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