「イエスという男 第二版[増補改訂版]」田川建三(作品社 2004年)
イエスをキリスト教の教祖や先駆者としてではなく、ユダヤ教の宗教的権威や政治権力に抗して活動した一人障害との人間として描いた著作。しかもこれは文学作品でもなければ「ローマ帝国からの解放を目指した革命家」というような政治的プロパガンダでもない。新約聖書、なかでも4福音書を読み解きながら、福音書著者や原始キリスト教団の宗派的偏向を排して、1世紀のイスラエルの地に生きた一人の男の活動と思想を甦らそうとしている。
田川氏はイエスを歴史の先駆者であるがゆえに現状を拒否した人間だととらえる。歴史は、直接的には権威権力はそうした人間を抹殺しようとする。抹殺されたがゆえに私たちはその存在を知ることはできない。しかし抹殺されてもその思い出や痕跡が残ってしまうほど強烈な存在もある。その場合に歴史はこれを抱え込み体制化して無害なものにしようとする。イエスはまさに、まず十字架刑で抹殺され、それでも消え去らなかったために「キリスト教」として抱え込まれ体制化され、やがては体制そのものとされた。だからキリスト教はイエスの教えの実現ではなく イエスの抹殺の継続なのだ。こうした視点から田川氏はイエスの生涯を描いている。
1980年に三一書房から刊行された第一版を読んでいたため、この第二版は購入後積読状態だった。ここでようやく手に取ることができたが、あらためて私のなかのイエス像が田川氏によって形作られていることを確認させられた。田川氏のイエス像が実像にどれほど近いものかを検証する能力も材料も私は持ち合わせていない。しかし私にはこのイエス像が最も魅力的であることは間違いない。
por Andrés
https://dosperegrinos.net/2017/08/19/%e3%80%8c%e3%82%a4%e3%82%a8%e3%82%b9%e3%81%a8%e3%81%84%e3%81%86%e7%94%b7-%e7%ac%ac%e4%ba%8c%e7%89%88%ef%bc%bb%e5%a2%97%e8%a3%9c%e6%94%b9%e8%a8%82%e7%89%88%ef%bc%bd%e3%80%8d%e7%94%b0%e5%b7%9d%e5%bb%ba//images/2017/08/P8192291-644x966.jpg/images/2017/08/P8192291-150x150.jpg書籍・雑誌イエスをキリスト教の教祖や先駆者としてではなく、ユダヤ教の宗教的権威や政治権力に抗して活動した一人障害との人間として描いた著作。しかもこれは文学作品でもなければ「ローマ帝国からの解放を目指した革命家」というような政治的プロパガンダでもない。新約聖書、なかでも4福音書を読み解きながら、福音書著者や原始キリスト教団の宗派的偏向を排して、1世紀のイスラエルの地に生きた一人の男の活動と思想を甦らそうとしている。 田川氏はイエスを歴史の先駆者であるがゆえに現状を拒否した人間だととらえる。歴史は、直接的には権威権力はそうした人間を抹殺しようとする。抹殺されたがゆえに私たちはその存在を知ることはできない。しかし抹殺されてもその思い出や痕跡が残ってしまうほど強烈な存在もある。その場合に歴史はこれを抱え込み体制化して無害なものにしようとする。イエスはまさに、まず十字架刑で抹殺され、それでも消え去らなかったために「キリスト教」として抱え込まれ体制化され、やがては体制そのものとされた。だからキリスト教はイエスの教えの実現ではなく イエスの抹殺の継続なのだ。こうした視点から田川氏はイエスの生涯を描いている。 1980年に三一書房から刊行された第一版を読んでいたため、この第二版は購入後積読状態だった。ここでようやく手に取ることができたが、あらためて私のなかのイエス像が田川氏によって形作られていることを確認させられた。田川氏のイエス像が実像にどれほど近いものかを検証する能力も材料も私は持ち合わせていない。しかし私にはこのイエス像が最も魅力的であることは間違いない。 por AndrésAndrés andres@nifty.comAdministratorDos Peregrinos
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