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13世紀のヨーロッパを舞台に、浮浪者のヨナ・デ・ロッタが英国公使一行、法王の密命でトレドへ向かった僧、さらには法王付大秘書官の伯爵などにつき従って旅する。その中で修道院の腐敗、修行僧のような生き方をする者の苦悩、アルビジョア十字軍によって滅ぼされようとしているカタリ派とカトリック教会の仲介をしようとした伯爵の失意を共有する、どこにも所属しないヨナの姿に中世の底辺で生きた人の一つの典型を描いているようだ。

著者の堀田善衛は「僕は、現代の国家体制については、もういい加減にしてもらいたいと思っているから。そうして国家のない時代に遡ってみたら、国家のかわりにキリスト教があった。国家がない世界を考えるとそこにはすでに宗教が君臨していて、人間とはなんともしようがないものだ」と語っている。

1985年、今から35年前の言葉だが、ここで「国家」と「宗教」を入れ替えても、あるいは並列してみても同じことが言える。全くもって「人間とはなんともしようがないものだ」。

堀田善衛を久しぶりに読み直したが、「堀田節」が意外なほどしっくり来たことに驚いている。

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