戦後日本を1973年までの高度成長期、1974年から1990年までの相対安定期、1991年以降のグローバル化の時代と3段階に区分してとらえた上で、2006年をピークに人口急減期に入ったことが有史以来の新しい局面として考察した著作。人口減や高齢化への対策は無効だとして、人口減少自体は問題ではなく、人口調節が完了するまでの数十年間の移行期的混乱への対策が必要だと説いている。

ほとんどの政治家、経済人、経済学者が景気回復策や少子高齢化対策を経済発展の観点から論じている時、著者の観点は貴重であると共にようやく納得できる論に出会えたと思う。

無限の経済発展、無限の人口増、無限の消費拡大が不可能なことは誰もがわかっていることだが、多くはそれに目を瞑って従来の歴史や論の延長上で議論しようとしている。現実主義者を自称する人々が単なる近視眼的思考の持ち主でしかなく、現政権の「異次元の少子化対策」なるものも従来の政策に金額を上積みしたにすぎない。そんな中で、著者は言葉の本来の意味での現実主義から事態を把握している。

10年以上前の著作だが、そこで指摘された問題がいまだに全く変わることなく放置されていることが最大の悲劇だ。

/images/2023/03/image-7-700x996.jpg/images/2023/03/image-7-150x150.jpgAndrés書籍・雑誌人口,平川克美,減少,移行期的混乱,経済成長神話戦後日本を1973年までの高度成長期、1974年から1990年までの相対安定期、1991年以降のグローバル化の時代と3段階に区分してとらえた上で、2006年をピークに人口急減期に入ったことが有史以来の新しい局面として考察した著作。人口減や高齢化への対策は無効だとして、人口減少自体は問題ではなく、人口調節が完了するまでの数十年間の移行期的混乱への対策が必要だと説いている。 ほとんどの政治家、経済人、経済学者が景気回復策や少子高齢化対策を経済発展の観点から論じている時、著者の観点は貴重であると共にようやく納得できる論に出会えたと思う。 無限の経済発展、無限の人口増、無限の消費拡大が不可能なことは誰もがわかっていることだが、多くはそれに目を瞑って従来の歴史や論の延長上で議論しようとしている。現実主義者を自称する人々が単なる近視眼的思考の持ち主でしかなく、現政権の「異次元の少子化対策」なるものも従来の政策に金額を上積みしたにすぎない。そんな中で、著者は言葉の本来の意味での現実主義から事態を把握している。 10年以上前の著作だが、そこで指摘された問題がいまだに全く変わることなく放置されていることが最大の悲劇だ。退職者夫婦の旅と日常(スペイン・旅・留学・巡礼・映画・思索・本・・・)