ヘルマン・ケステン「ゲルニカの子供たち」
尊敬できる父と美しい母の下で7人兄弟の一人として幸福に育っていたカルロス少年。20年ぶりに帰郷したパブロ伯父が同居することになって家族間にきしみが出てくる。スペイン戦争が彼らの住むゲルニカにも迫ってくる。魚屋がつかの間の独裁者として町を支配し、パブロを敵だとして一家に圧力をかけ、ついには長女・長男・伯父そして父の営む薬屋の助手による魚屋殺害へと至る。しかしこの殺人事件も反乱軍のゲルニカ接近、そして爆撃という戦況の中で忘れ去られる。父は反乱軍の進攻を恐れて一家でフランスへ脱出しようとするが、母と伯父は反対し、夫婦の亀裂が露わとなる。だがゲルニカ爆撃で父と兄弟の半分は死んでしまい、母と伯父は生き残った子供二人を連れてどこかへ逃げ、カルロスだけが取り残されてしまう。カルロスはやがて赤十字の手配でパリに避難させられ養父母の下で暮らすことになったが、1年後に母と伯父が彼を捜し出し一緒に暮らそうとする。そんな折、カルロスは失恋で自殺を図る。
スペイン戦争。父母の夫婦関係の破綻、母と伯父との昔の恋愛関係の復活、兄弟間の確執というような家族問題。この二つを背景に、カルロスが子供から大人へと成長する姿を描いた小説といえる。ただしこの成長は、避けることができないものではあるが、というより避け難いがゆえに、苦いものになっている。カルロスはゲルニカ爆撃を経験して「死んだ人たちの、あんなにもむきだしの姿を見ても、神さまはわが身をはずかしく思わずにいられるんでしょうか?」と言う。そして自殺が未遂に終わったあとでは、「スペインの戦争はいつか終わるにちがいないって、そうお考えですね? もう2年の余もつづいています。スペイン人が死ぬだけ死んだら、たぶんいつか終わりますよ。そうしたら、ぼくらは国へ帰ります。死んだ人たちのところへ。そうして、それから?」「すべてよし、です! じっさい、ぼくはほんのちっぽけな子供なんですからね。それに、人間たちからこんなめにあわされたのはべつにぼくだけじゃない、って、思っています。それから、僕が自殺する気になったのは、じっさい、まちがいでした。でも、ぼくをようくごらんになってください! これからぼくはどうなるんでしょう?」
ユダヤ系ドイツ人だったヘルマン・ケステンが1938年に書いた小説。ナチス・ドイツ空軍によるゲルニカ爆撃は1937年の4月。
大部分は15歳のカルロスがあまりにも老成した語り口で物語るという形で進み、所々で幼さを現して語り手が少年だったことを読者に思い出させる。破綻しているようにも見えるこの作品の表現は、作者の意図したものなのか、作品の書かれた時期の制約によるものなのだろうか。
por Andres
https://dosperegrinos.net/2010/08/08/%e3%83%98%e3%83%ab%e3%83%9e%e3%83%b3%e3%83%bb%e3%82%b1%e3%82%b9%e3%83%86%e3%83%b3%e3%80%8c%e3%82%b2%e3%83%ab%e3%83%8b%e3%82%ab%e3%81%ae%e5%ad%90%e4%be%9b%e3%81%9f%e3%81%a1%e3%80%8d/書籍・雑誌尊敬できる父と美しい母の下で7人兄弟の一人として幸福に育っていたカルロス少年。20年ぶりに帰郷したパブロ伯父が同居することになって家族間にきしみが出てくる。スペイン戦争が彼らの住むゲルニカにも迫ってくる。魚屋がつかの間の独裁者として町を支配し、パブロを敵だとして一家に圧力をかけ、ついには長女・長男・伯父そして父の営む薬屋の助手による魚屋殺害へと至る。しかしこの殺人事件も反乱軍のゲルニカ接近、そして爆撃という戦況の中で忘れ去られる。父は反乱軍の進攻を恐れて一家でフランスへ脱出しようとするが、母と伯父は反対し、夫婦の亀裂が露わとなる。だがゲルニカ爆撃で父と兄弟の半分は死んでしまい、母と伯父は生き残った子供二人を連れてどこかへ逃げ、カルロスだけが取り残されてしまう。カルロスはやがて赤十字の手配でパリに避難させられ養父母の下で暮らすことになったが、1年後に母と伯父が彼を捜し出し一緒に暮らそうとする。そんな折、カルロスは失恋で自殺を図る。 スペイン戦争。父母の夫婦関係の破綻、母と伯父との昔の恋愛関係の復活、兄弟間の確執というような家族問題。この二つを背景に、カルロスが子供から大人へと成長する姿を描いた小説といえる。ただしこの成長は、避けることができないものではあるが、というより避け難いがゆえに、苦いものになっている。カルロスはゲルニカ爆撃を経験して「死んだ人たちの、あんなにもむきだしの姿を見ても、神さまはわが身をはずかしく思わずにいられるんでしょうか?」と言う。そして自殺が未遂に終わったあとでは、「スペインの戦争はいつか終わるにちがいないって、そうお考えですね? もう2年の余もつづいています。スペイン人が死ぬだけ死んだら、たぶんいつか終わりますよ。そうしたら、ぼくらは国へ帰ります。死んだ人たちのところへ。そうして、それから?」「すべてよし、です! じっさい、ぼくはほんのちっぽけな子供なんですからね。それに、人間たちからこんなめにあわされたのはべつにぼくだけじゃない、って、思っています。それから、僕が自殺する気になったのは、じっさい、まちがいでした。でも、ぼくをようくごらんになってください! これからぼくはどうなるんでしょう?」 ユダヤ系ドイツ人だったヘルマン・ケステンが1938年に書いた小説。ナチス・ドイツ空軍によるゲルニカ爆撃は1937年の4月。 大部分は15歳のカルロスがあまりにも老成した語り口で物語るという形で進み、所々で幼さを現して語り手が少年だったことを読者に思い出させる。破綻しているようにも見えるこの作品の表現は、作者の意図したものなのか、作品の書かれた時期の制約によるものなのだろうか。 por AndresAndres y Amelia SubscriberDos Peregrinos
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