パウロ・コエーリョ「星の巡礼」
読み通すのが苦痛だった。
「星の巡礼」と題して、サンティアゴ巡礼が主題と思わせているが、内容は安っぽいロール・プレーイング・ゲームのような課題を安直にこなして行くといったものでしかない。主人公には上昇志向の臭いが漂い、「教えを知的に理解することばかりに興味を持っていた」とか「知性を鼻にかけていた」などと書いてあっても彼からは知性は全くと言っていいほど感じ取れない。結末も安易。
訳者あとがきによると、主人公の属するRAM教団は実在するもので、パウロ・コエーリョもその一員であり、これは自伝的作品のようだ。
宗教の宣伝文書だろうが信仰告白だろうが、それだけで作品の価値がなくなるわけではない。しかしこの作品は宣伝文書でしかなく、単なる信仰告白から一歩も出てはいない。
por Andres
https://dosperegrinos.net/2010/09/07/%e3%83%91%e3%82%a6%e3%83%ad%e3%83%bb%e3%82%b3%e3%82%a8%e3%83%bc%e3%83%aa%e3%83%a7%e3%80%8c%e6%98%9f%e3%81%ae%e5%b7%a1%e7%a4%bc%e3%80%8d/書籍・雑誌読み通すのが苦痛だった。 「星の巡礼」と題して、サンティアゴ巡礼が主題と思わせているが、内容は安っぽいロール・プレーイング・ゲームのような課題を安直にこなして行くといったものでしかない。主人公には上昇志向の臭いが漂い、「教えを知的に理解することばかりに興味を持っていた」とか「知性を鼻にかけていた」などと書いてあっても彼からは知性は全くと言っていいほど感じ取れない。結末も安易。 訳者あとがきによると、主人公の属するRAM教団は実在するもので、パウロ・コエーリョもその一員であり、これは自伝的作品のようだ。 宗教の宣伝文書だろうが信仰告白だろうが、それだけで作品の価値がなくなるわけではない。しかしこの作品は宣伝文書でしかなく、単なる信仰告白から一歩も出てはいない。 por AndresAndres y Amelia SubscriberDos Peregrinos
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