4月27日、沖縄関係の二つのイベントに触れることができた。

法政大学で行われている『総合講座「沖縄を考える」』。今週は明田川融氏が講師で、『日米「同盟」と沖縄』と題して行われた。

第二次大戦中、沖縄は「皇土」防衛のための「縦深作戦遂行上の前縁」とされた。米軍の本土進攻を遅らせるための捨て石とされたのである。沖縄の米軍基地は「日本の平和憲法への保険」という側面があった、つまりマッカーサーは沖縄に十分な空軍力と原爆があれば日本防衛は可能と考えていた。しかし中国の軍事力増大にともなって、日本全体が米国防衛のため「縦深作戦遂行上の前縁」となってきているのではないか。

このような内容だった。米国にとって日本は重要な同盟国なのだろうが、それはあくまでも米国の「国益」に適う限りのことであり、対中防衛も当然その範囲内でのことだ。一方で政治的・経済的な面での米中関係の緊密化は進んでおり、米国と中国は互いに「敵」であると同時に「不可欠な存在」にもなってきている。もちろん「国益」とは「国家の利益」であって「国民の利益」ではないし、経済的利益追求も企業のであって人々のではない。

沖縄の基地問題を考えるとき、中国を仮想敵国とした日本防衛上の必要を説く人は多い。日本政府はそれを明言しているし、辺野古移転に反対する人たちでさえ内心は中国の脅威を前にして沖縄の米軍基地撤去や大幅削減を要求するのを躊躇している。これは尖閣をめぐる石原都知事の発言やそれに対する反応で明らかだろう。

しかし私たちと中国の人々とは敵ではない。日本の企業と中国の企業を見ても、敵対関係もあれば競争関係もあれば協力関係もある、というにすぎない。こうした多様な関係があるという当たり前の状況を敵対関係と見てしまう石原のような単細胞的発想、あるいは敵対関係と見せかけてしまおうという詐術的手法に私たちも中国の人々も乗せられてしまっているのではないか。

「そんな甘っちょろいことを言ってると尖閣は中国に取られてしまう」という声が方々から聞こえてきそうだが、領土問題の解決という視点そのものが「国益」という幻想に囚われている証拠だろう。「国益」から考えている限り、領土は力関係で決着するというところにしか至らないし、その先にあるのは軍備拡張競争であり、最終的には戦争であって、私たちにはいずれにしても生活や生命の破壊しかもたらされない。

 

青山のイメージフォーラムで上映されている『誰も知らない基地のこと』

2010年のイタリア映画。イタリアのビチェンツァ、インド洋のディエゴ・ガルシア、沖縄の普天間を主な対象としたドキュメンタリー。
ビチェンツァの米軍基地増設反対運動に触発されて製作されたものだが、普天間が最も大きく扱われている。各地の基地周辺住民、米軍人、国防総省関係者、さらにチョムスキーなどへのインタビューと何人かの米大統領の演説映像で構成されている。この作品は、世界各地の米軍基地は「帝国」の拡張・維持と軍産複合体の利益拡大をはかるために設置されており、東西冷戦終結後はそれを合理化するために麻薬との戦い、テロとの戦い、イラン・イラク・北朝鮮と次々に敵を作り上げてきたのだ、と主張する。
内容に特段の異論はないが、主張にも手法にも新しさはなく、作品としては平凡である。

por Andrés

Andres y Amelia日記・コラム・つぶやき映画・テレビ4月27日、沖縄関係の二つのイベントに触れることができた。 法政大学で行われている『総合講座「沖縄を考える」』。今週は明田川融氏が講師で、『日米「同盟」と沖縄』と題して行われた。 第二次大戦中、沖縄は「皇土」防衛のための「縦深作戦遂行上の前縁」とされた。米軍の本土進攻を遅らせるための捨て石とされたのである。沖縄の米軍基地は「日本の平和憲法への保険」という側面があった、つまりマッカーサーは沖縄に十分な空軍力と原爆があれば日本防衛は可能と考えていた。しかし中国の軍事力増大にともなって、日本全体が米国防衛のため「縦深作戦遂行上の前縁」となってきているのではないか。 このような内容だった。米国にとって日本は重要な同盟国なのだろうが、それはあくまでも米国の「国益」に適う限りのことであり、対中防衛も当然その範囲内でのことだ。一方で政治的・経済的な面での米中関係の緊密化は進んでおり、米国と中国は互いに「敵」であると同時に「不可欠な存在」にもなってきている。もちろん「国益」とは「国家の利益」であって「国民の利益」ではないし、経済的利益追求も企業のであって人々のではない。 沖縄の基地問題を考えるとき、中国を仮想敵国とした日本防衛上の必要を説く人は多い。日本政府はそれを明言しているし、辺野古移転に反対する人たちでさえ内心は中国の脅威を前にして沖縄の米軍基地撤去や大幅削減を要求するのを躊躇している。これは尖閣をめぐる石原都知事の発言やそれに対する反応で明らかだろう。 しかし私たちと中国の人々とは敵ではない。日本の企業と中国の企業を見ても、敵対関係もあれば競争関係もあれば協力関係もある、というにすぎない。こうした多様な関係があるという当たり前の状況を敵対関係と見てしまう石原のような単細胞的発想、あるいは敵対関係と見せかけてしまおうという詐術的手法に私たちも中国の人々も乗せられてしまっているのではないか。 「そんな甘っちょろいことを言ってると尖閣は中国に取られてしまう」という声が方々から聞こえてきそうだが、領土問題の解決という視点そのものが「国益」という幻想に囚われている証拠だろう。「国益」から考えている限り、領土は力関係で決着するというところにしか至らないし、その先にあるのは軍備拡張競争であり、最終的には戦争であって、私たちにはいずれにしても生活や生命の破壊しかもたらされない。   青山のイメージフォーラムで上映されている『誰も知らない基地のこと』 2010年のイタリア映画。イタリアのビチェンツァ、インド洋のディエゴ・ガルシア、沖縄の普天間を主な対象としたドキュメンタリー。 ビチェンツァの米軍基地増設反対運動に触発されて製作されたものだが、普天間が最も大きく扱われている。各地の基地周辺住民、米軍人、国防総省関係者、さらにチョムスキーなどへのインタビューと何人かの米大統領の演説映像で構成されている。この作品は、世界各地の米軍基地は「帝国」の拡張・維持と軍産複合体の利益拡大をはかるために設置されており、東西冷戦終結後はそれを合理化するために麻薬との戦い、テロとの戦い、イラン・イラク・北朝鮮と次々に敵を作り上げてきたのだ、と主張する。 内容に特段の異論はないが、主張にも手法にも新しさはなく、作品としては平凡である。 por Andrés退職者夫婦の旅と日常(スペイン・旅・留学・巡礼・映画・思索・本・・・)