旧日光街道歩き旅 4日目(10/16)
粕壁宿~杉戸宿~幸手宿
「春日部市郷土資料館」は市民ホールの片隅。展示スペースも狭く、宿場町を町興しに生かそうとしているのかと思っていたので、肩透かしだった。
関宿往還との追分にある日光道標の先、杉戸町に入ると国道4号線の幅が広がり「歩道すきすきすぎーと36」と名付けられた歩道が続く。「36」の数字は北緯36度地点を表し、36度線上に位置している世界の都市と杉戸町を示した地球儀のモニュメントが設置されていた。ところが、背伸びをしても見えない位置に杉戸町があり、何のために作ったのか意図が伝わらない。町の人は気にもとめずに通り過ぎていた。歩道は1車線分の幅が確保されていて、歩道と自転車道に区分けされていた。確かにゆったり歩けるがベンチも並木もなく、だだっ広いだけの道。もう一工夫ほしい。意気込みが尻すぼみで終わってしまったのだろうか。
「斬髪や」の看板発見。ルパン三世では斬鉄剣だったっけ?
宝性院を過ぎると一直線の道が御成街道追分まで続く。ところどころ昭和22年のカスリーン台風で実績浸水深0.5mなどと電柱に表示されていた。
この辺りでやっと東京から45km。しばらく行くと源頼朝が奥州征伐の折、戦勝を祈願して開基したという神宮寺。参道には無縁墓が無雑作に置かれている。この先はどう扱うのだろう。
神明神社には英国式水準点(几号高低標)を刻んだ石がある。眼の病に効くという「たにし不動」(菅谷不動尊)の絵馬を探したが、みつけられなかった。
幸手駅間近の交差点で幸手市商工会青年部が「手から手へ幸せを伝えたい」をキャッチフレーズにスポーツ選手の手形を通り沿いにいくつも展示しているのを発見。自分の手とつい比較したくなる。小谷実可子さんの手は意外と小さかった。
幸手宿本陣「知久家跡」に着いた時にはすっかり日暮れ、足取りも重い。交差点で信号待ちをしていた女性が「どこまで行かれるの?がんばって下さいね。」とねぎらってくれた。
25,000歩 16.44km
por Amelia
https://dosperegrinos.net/2012/10/25/%e6%97%a7%e6%97%a5%e5%85%89%e8%a1%97%e9%81%93%e6%ad%a9%e3%81%8d%e6%97%85%e3%80%804%e6%97%a5%e7%9b%ae1016/日光道中粕壁宿~杉戸宿~幸手宿 「春日部市郷土資料館」は市民ホールの片隅。展示スペースも狭く、宿場町を町興しに生かそうとしているのかと思っていたので、肩透かしだった。 関宿往還との追分にある日光道標の先、杉戸町に入ると国道4号線の幅が広がり「歩道すきすきすぎーと36」と名付けられた歩道が続く。「36」の数字は北緯36度地点を表し、36度線上に位置している世界の都市と杉戸町を示した地球儀のモニュメントが設置されていた。ところが、背伸びをしても見えない位置に杉戸町があり、何のために作ったのか意図が伝わらない。町の人は気にもとめずに通り過ぎていた。歩道は1車線分の幅が確保されていて、歩道と自転車道に区分けされていた。確かにゆったり歩けるがベンチも並木もなく、だだっ広いだけの道。もう一工夫ほしい。意気込みが尻すぼみで終わってしまったのだろうか。 「斬髪や」の看板発見。ルパン三世では斬鉄剣だったっけ? 宝性院を過ぎると一直線の道が御成街道追分まで続く。ところどころ昭和22年のカスリーン台風で実績浸水深0.5mなどと電柱に表示されていた。 この辺りでやっと東京から45km。しばらく行くと源頼朝が奥州征伐の折、戦勝を祈願して開基したという神宮寺。参道には無縁墓が無雑作に置かれている。この先はどう扱うのだろう。 神明神社には英国式水準点(几号高低標)を刻んだ石がある。眼の病に効くという「たにし不動」(菅谷不動尊)の絵馬を探したが、みつけられなかった。 幸手駅間近の交差点で幸手市商工会青年部が「手から手へ幸せを伝えたい」をキャッチフレーズにスポーツ選手の手形を通り沿いにいくつも展示しているのを発見。自分の手とつい比較したくなる。小谷実可子さんの手は意外と小さかった。 幸手宿本陣「知久家跡」に着いた時にはすっかり日暮れ、足取りも重い。交差点で信号待ちをしていた女性が「どこまで行かれるの?がんばって下さいね。」とねぎらってくれた。 ...Andres y Amelia SubscriberDos Peregrinos
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