8/31(火)13:50

29日(日)朝7時20分定刻に列車はパリ・オーステルリッツ駅に到着。到着直前、列車が駅構内に入ったところで起床。降りてすぐトイレの方に行くが、ごく最近トイレは閉鎖されたらしく入口は塗り固められている。幸いその前の水道は残されているので、配偶者が他のトイレを使いに行っている間、私は洗面をすませる。その後駅のベンチで前日トゥールーズで買ったリンゴを1個ずつかじる。地下鉄でエトワール広場まで行き、ワグラム通りから少し脇に入ったところのホテル街で宿をさがす。日曜日の朝で人通りは非常に少ない。三ッ星や二つ星のホテルは沢山あるが、私達がさがすのは一つ星以下。一軒、星のマークのないきれいなホテルがあったのであたってみるか、満員。別の通りにやはりマークなしのきれいなホテル。しかし入ってみるとここは三ツ星で、工事の為にマークをとりはずしているとのこと。また別の通りにちょっと古びているがマークなしのホテルがあるので行ってみる。しかしフロントには誰もいない。ベルを押しても全く人の気配もしない。配偶者はこのフロントで待ち、私は他のホテルをさがしに行くが、特に適当なのがないのでまた戻る。しかしまだホテルの人は来ない。ベルを何度か押し、あきらめて他へ行こうかと思った時にやっとホテルの人が外から戻ってくる。空室があるので配偶者が部屋を見に行く。あまりきれいではないとのことだが、ここに決めることにする。部屋は3階で重い荷物を持って上がるのに苦労する。シャワー付きだが中に入ってみると、ベッドカバーは破れ、床の掃除もきちんとされておらず、気持ちの良いものではなく後悔するが、宿泊代2泊分を前払いしたのであきらめる。あまり部屋に長くいたくないので、すぐに出かけることにする。

この日の予定はまずエアーフランスの空港バスターミナルの確認をし、ポンピドー文化センターへ行くというもの。文化センターへ行く途中に毛糸屋がいくつかあるので、配偶者はそこで毛糸を買う予定。まずバスターミナルへ行く。地図では宿からすぐのような感じたが、実際に歩いてみると結構遠い。凱旋門からシャンゼリゼとは反対方向に歩いたところにある近代的建物。地下にバスターミナルがあり、時間を見ると15分間隔位で出ている模様。バスターミナルから来た道より北の広い通りを歩いてポンピドーセンターの方へ向かう。昼近くなっても人通りは非常に少なく、通りに面した店は全て閉まっている。途中にあった「オ・プランタン」デパートも閉まっていて、パリの日曜はシャンゼリゼあたりの商店以外はほとんど休むようだ。予定していたレストランの周辺だけは何故か開いている店が多く、比較的にぎわっている。レストランは安いということで行ったのだが、確かに他と比べて相当に安い。安いからか大変な混雑。大きな店で、店内の様子から見て古いものらしいが、戦前のフランス映画にでも出てきそうな下町のレストランという感じ。メニューを一つ一つ選ばなければならないので苦労するが、料理は安い割には味も悪くない。ただし混んでいるため相席になり、どうも落ちつかない。

食後、毛糸屋のある方へ行くが、その近辺の店がやはり全部閉まっているので、毛糸屋だけが開いているはずもないので、特にさがしもせずにポンピドーセンターへ向かう。

ポンピドーセンターはやはり石油化学工場。センター前の広場ではいくつかの輪ができ、ジャズ演奏、似護絵かき、彫刻制作、リズム演奏。

このリズム演奏は、1人が普通のドラム1個をたたき、他はナベのフタなどを地面に置いて木や鉄の棒でたたいたり、どこからか拾ってきた石油カンのようなものをたたいたりして、延々と同じリズムを繰り返している。その間に笛(フルートではなく交通整理などに使う笛)を吹き鳴らし、メンバーもちょっと入れ替わったりしている。何ということはないのだが、このリズムだけで成立している音楽が、それで様になっている。この演奏グループの中に1人の薄汚れた男が座り込み、ワインの栓ヌキの先を地面のコンクリートで研いでは腕を傷つけ、皮をつまんでそこに刺し、ブラ下げたりしている。

センターの中に入るが、どこで何をやっているのか全く分らない。入った階は広いフロアーになっているが、椅子もなく、紙クズなどがあちこちに散乱している。1人18Fでセンター内1日フリーパスの券を買い、先ず最上階に行ってみる。ブラック展をやっている。このころから配偶者の体調が悪くなり、しきりにトイレに行きたがり、腹痛・腰痛を訴えはじめる。どうも腹をこわした模様。配偶者は椅子で休み、私1人でブラック展を見てくる。良い展示だったので配偶者にも見に行かせ、今度は私が椅子で休む。やはり夜行の疲れがあるのだろう。3時から映画があるが、あまりにも沢山並んでいるので次の5時からのものを見ることにする。二つ階を下りて、別の展示を見る。ここは常設展のようで絵画・彫刻の主に現代のものを展示している。二つの階にわたって多数の展示。ピカソなどもあるが、どういう展示方法をとっているのか、1人の作家のものがあちこちにとんでいて、どうにも分りにくい。ここを見ている時、私は強い眠気におそわれ、どうにもがまんできなくなって片隅の椅子で1時間程座って眠る。一通り見終わったのは6時ごろ。再び最上階に上がってカフェで休み、35分ごろに映画会場の入口に並ぶ。ちょうど私達の前に日本人男性2人が並んでいたので、今度やるのはどんな映画かたずねると、60年ごろのアメリカの科学映画だとのこと。ちょっと変わっているので見ることにする。45分ごろ前回の映画が終わって観衆が外に出、かわって私達が入場。ただしここは1日フリーパスではダメで1人10Fの入場券を買わされる。映画は「パニック・イン・ゼロ」というもので、ごく善通の親子4人がキャンピングカーで旅行に出て、核戦争がはじまったことによるパニックの中で食料品を手に入れたり銃を強奪したりして山中の洞窟にかくれて生きのびて行くというもので、話は単純だが、けっこう楽しめた。声は英語、字幕は仏語で、声さえ聞いていればよいものを、どうしても習慣で字幕の方を読もうとしてしまう。何度が気付いて字に目を向けないようにするのだが、またしばらくすると字幕を読んでいる。習慣とはそう簡単には消えないものだ。8時半ごろ映画が終わって会場の外に出るとちょうど落日。この建物は周囲のものより高いのでパリ市街のながめは良い。下を見ると広場の人々の数は大分少なくなっている。センター内にセルフサービスのレストランがあるので行ってみると、もう終了直前で料理も残り少なくなっているのでやめて下に下りる。2階で中国展をやっているのでついでに見ることにする。現代中国の生活を写真や模型で紹介したもので、特に一般住宅の室内模型やナベカマなどの生活用具に力を入れた展示。もう一つ写真展をちょっとのぞいて外に出る。

このポンピドーセンターの全体の印象は非常に悪い。先ず何よりも建物が悪い。外見は石油化学工場だが、中に入っても空調等のパイプ・ダクト類が全てむき出しで、まさに工場内にパネルを立てて展示しているような感じ。しかも屋外の部分を見ると早くもあちこちにサビが出ていてこの建物の寿命が長くないことを物語っている。現代文明を象徴するつもりでこの建物が設計されたとするのなら、それは大成功となってはいるのだが。このセンターの利用者の質も問題。特にトイレの使い方がメチャクチャで、小便器内にトイレットペーパーを入れてつまらせてあったり、トイレの外側にまで多数のトイレットペーパーが散乱している。前の広場も空カンを含めた多数のゴミ。全てが荒廃していて汚ない。ここが現代、という意味ではまさにこのセンターの存在は大きな価値ではあろうが、もう一度行ってみようという気にはなれない。入場者及びこのセンター周辺には黒人が非常に目立ち、また周囲の町にはベトナム人が目立った。

メトロでエトワールに戻る。センターの近くの駅もやはり汚れている。何だかこの日は宿からはじまってパリの汚れた面ばかりを見たようで1日気分が悪く、2人でパりの悪口を言い合い、バルセローナに帰りたい気持ちになる。前回の旅行ではフランスよりスペインの方が汚れた印象を受けたのだが、今回の旅行でそれが逆転。確かにスペインにはゴミクズが散乱しているが、スペインは基本的な点、特に食事に関する部分は清潔にしている。だからそこにいて気分が悪くなったり、食欲がなくなったりすることはなかった。しかしこのパリは、そこに居たくない、逃げ出したい、という気を起こさせる町なのだ。これはおそらく、前回の旅が表通りばかりを歩いたのに対し、今日は裏通りを歩いたことによるのだろう。配偶者の不調も原因はその辺にあるのかも知れない。

エトワールに戻り、ワグラム通りに面した中華料理店に入る。ワンタンメン2つとマーボ豆腐を注文。日本の中華料理屋の感覚で注文したら、出されたものは量が非常に少なく、これでは足りなくなって、芙蓉蚕とゴハンを追加注文。味は全体に薄味で非常に良いが、中華料理としては少し物足りない。ゴハンは黄色ぽく細長い。いわゆる外米で、ちょっとクサミがありボロボロでうまくない。店は高級な方で清潔にしてあり、最後には香りのついたおしぼりまで出てサービスも良い。11時ごろ店を出、歩いて1分もかからない宿に戻り、シャワーを浴びて就寝。

21:40

 

23:35

昨日(30日)は9時45分起床。配偶者の腹の調子はまだ良くならず下痢が続いている。10時半ごろ宿を出てシャンゼリゼを歩き、コンコルド広場を左折して「ヨーロッパ・マイ・ツアー」事務所へ行く。歩いてみると、これも結構遠い。地図を見ながら行って簡単に事務所は見つかる。日本人男女2人がおり、奥の方には何人かの仏人が働いている。女性が応対してくれ、翌日の航空券も渡してくれる。ブリュッセルまでエア・フランスで、そこでサベナに乗りかえるが、グループは私達2人だけなのでド・ゴール空港で集合する必要がなくなり、それだけ翌朝の時間に余裕ができる。

空港バス・空港での諸注意をきき、12時過ぎに事務所を出る。事務所に着く前に降っていた雨はもう止んでいる。来る途中に見つけたケーキ屋で昼食をとることにして行くと、ちょうど会社の昼休みと重なって列が出来る程の混雑。こんなに混んでいるのは安くてうまい証拠だと思い、私達も列に加わる。サンドイッチなどのパン類とケーキを買い、同じ店内のカウンターでカフェ・オレを飲みながら食べる。パンを買うのに並び、またカウンターにつくまでにも10分程待つような混雑。なるほどこうして食べると安く上がるし、確かにこの店のパンはまずまずの味。この近辺のサラリーマンやOLはこうして2~30分で昼食をすませ、残りの時間はどのようにして過ごしているのだろうか。商店などの様子から考えると昼休みは2時間とってあるようなのだが。ケーキとボカディージョは食べ残して持って出る。

東京へ国際電話をかけるため公衆電話ボックスをさがして歩くが、なかなか見つからない。前日、ポンピドーセンターの電話でかけようとしたら、5F硬貨が使えずに延期していたもの。やっとルーブルの脇の方まで来たところで見つかる。まず配偶者がK氏にかける。最初はダイヤルの回し方を間違えたらしく二度程失敗し、やっとかかる。26F使って9/1欠勤の件を伝える。1/2F・1F・5Fの硬貨を入れておくと、小窓から残金が見えるのだが、1/2Fや1F硬貨はバタバタと落ちて行く。次に私がM氏にかける。最初は「番号をもう一度」という日本語の声が出て失敗。2度目にかかるが留守らしく誰も出ない。番号の分るところでI氏にかけることにする。今度はかかる。最初に奥さんが出てかわってもらう。パリからだと言うと、「え、パリから?!」というスットンキョウな叫び。あとは驚いたのかアー・アーとくりかえすだけ。1日欠勤を伝え終わってやっと「元気で」という声が出ただけだった。相当に驚いた模様。私は20Fですんだが、自分の声がエコーになって返ってくるので話しにくかった。電話を終わってチェイルリー公園に行き、ベンチで残っていたケーキを食べる。うまい。

メトロでピカソ展をやっているギャラリーへ何かう。これは6月ごろ朝日新聞にのった記事でやっていることを知り、場所も何も分らなかったが、パリに来てからこちらのピアのような雑誌で会場を見つけたもの。会場は街角のギャラリーで、場内は一寸変わったつくり。広い部屋の外周から中央に向かってラセン状のスロープが下り、それにそって展示してある。展示作品に特に目を奪うようなものはないが、無署名のものが目立つ。初期のものからはじまり、特に晩年のものが多い。前回、バルセロナのピカソ美術館で観たものと違う作品ではあるが、傾向は同じ。展示数もあまり多くなく一時間程で見終わる。このギャラリーの従業員は全員ベトナム人。恐らく難民なのであろう。出口に寄付金箱が置かれ、相当な金額が入っていたが、あれも難民救済のものと思われる。

再びメトロで下水道見学へ向かう。これは月・水曜と月末の土曜しかやっていないもの。運良くこの日は月曜なので見られる。

アルマ橋の左岸のたもとに入口がある。中に入った途端に下水の臭い。入場料を払い、まず小博物館を見学。下水道の歴史や仕組が絵や写真で説明してある。次にスライド。英語用のイヤホンを貸してくれる。これもパリ下水道の歴史と仕組み。それからいよいよ下水道見学。

案内人がついて入口から4~50mの範囲でいろいろと見せてくれる。パリの下水道は現在の総延長が2,100kmあるとのことで、その長さもさることながら1400年ごろからつくられ、19世紀に充実したというその歴史の長さ、及び、その維持の為の仕事の大変さに驚く。単に下水道設備をつくればよいとうものではなく、常に汚泥の除去作業を行なわねばならないのだ。

見学後、セーヌ河畔の公園で一休み。昼の残りのパンを食べる。それからシャンゼリゼに戻るが、途中でまた雨が降る。今度は一寸雨宿りをしている間に止む。シャンゼリゼのスーパーやアーケードの商店をいくつか見るが、配偶者の目当ての毛糸はどこにもない。デパートまで行けばあるのだが遠いのでやめる。エトワールの方へ歩き、カフェに入ろうとするが、右側は混んでいるので道をわたって左側のカフェに入り、ゆっくりと日記を書く。久し振りにカフェで休息。ところがここのカフェ、請求書をみるとカフェ・オーレとショコラで34F。日本にして1300円程。確かに場所もよく、コーヒーも1.5杯分位持ってきたが、それにしても高い。全く暴利をむさぼっているという感じ。シャクなので夜8時まで3時間位ねばって日記を書き続けた。

夕食はセーヌ左岸の学生街、サン・ミッシェルに行って食べることにし、メトロで向かう。この辺で前回の最後の夕食もとった。ガイド・ブックで知ったレストランはつぶれたのか休みなのか、閉まっている。その周囲にはモロッコ料理屋が沢山並んでいるので、その中で安くて良さそうな店を選んで入る。串刺しの焼肉。モロッコ料理だとばかり思っていたら、これがギリシア料理。店内は大変な混雑。ワインのロゼを頼むとギリシアワインが出てくる。味はまずまず。最後にコーヒーを頼むとこれまたギリシアコーヒー。トルココーヒーに似ているだろうと予想していたらその通りで、カップの底1/3位に粉がたまっている。しかしコーヒーそのものはそれ程濃くはない。はじめから砂糖を入れて煮つめてあるので大変に甘い。満足して店を出、近くのクレープ屋でクレープを買って食べる。

サン・ミッシェル広場は相変わらず暴走族のたまり場で、二年前と同じくオートバイが沢山とめられている。

シテ島を通って右岸まで歩く。セーヌにはいつものバトー・ムッシューがライトを照らしながら走っている。これがこの旅最後の夜だが、今度はバリが気に入らないからか、あまり感傷はない。

メトロの更に下を走る快速電車のようなRERに乗ってエトワールに戻ることにする。駅で長い動く歩道に乗り、RERの駅につく。車両も外見はメトロと同じだがが、内部が少し違う。

宿には11時半ごろ着き、シャワーを浴び、出発準備をして1時ごろ就寝。しかし翌朝6時に起きねばならず、しかも遅れると東京に帰れなくなるので一寸緊張してなかなか寝つけない。しかも隣室はじめ同じホテル内の客が夜中に部屋や廊下で大声で話し、ドアをバタンドタン開閉し、歩き回り、また他の部屋に行ってしゃべり、廊下に出てしゃべりとやりはじめたので、完全に眠れなくなる。このさわざは3時過ぎまで続く。全く非常識で、よほどどなり込んでやろうかと思ったほど。3時過ぎから6時位までウトウトしては目覚めることの繰り返し。睡眠不足の夜になった。

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この日の予定はまずエアーフランスの空港バスターミナルの確認をし、ポンピドー文化センターへ行くというもの。文化センターへ行く途中に毛糸屋がいくつかあるので、配偶者はそこで毛糸を買う予定。まずバスターミナルへ行く。地図では宿からすぐのような感じたが、実際に歩いてみると結構遠い。凱旋門からシャンゼリゼとは反対方向に歩いたところにある近代的建物。地下にバスターミナルがあり、時間を見ると15分間隔位で出ている模様。バスターミナルから来た道より北の広い通りを歩いてポンピドーセンターの方へ向かう。昼近くなっても人通りは非常に少なく、通りに面した店は全て閉まっている。途中にあった「オ・プランタン」デパートも閉まっていて、パリの日曜はシャンゼリゼあたりの商店以外はほとんど休むようだ。予定していたレストランの周辺だけは何故か開いている店が多く、比較的にぎわっている。レストランは安いということで行ったのだが、確かに他と比べて相当に安い。安いからか大変な混雑。大きな店で、店内の様子から見て古いものらしいが、戦前のフランス映画にでも出てきそうな下町のレストランという感じ。メニューを一つ一つ選ばなければならないので苦労するが、料理は安い割には味も悪くない。ただし混んでいるため相席になり、どうも落ちつかない。 食後、毛糸屋のある方へ行くが、その近辺の店がやはり全部閉まっているので、毛糸屋だけが開いているはずもないので、特にさがしもせずにポンピドーセンターへ向かう。 ポンピドーセンターはやはり石油化学工場。センター前の広場ではいくつかの輪ができ、ジャズ演奏、似護絵かき、彫刻制作、リズム演奏。 このリズム演奏は、1人が普通のドラム1個をたたき、他はナベのフタなどを地面に置いて木や鉄の棒でたたいたり、どこからか拾ってきた石油カンのようなものをたたいたりして、延々と同じリズムを繰り返している。その間に笛(フルートではなく交通整理などに使う笛)を吹き鳴らし、メンバーもちょっと入れ替わったりしている。何ということはないのだが、このリズムだけで成立している音楽が、それで様になっている。この演奏グループの中に1人の薄汚れた男が座り込み、ワインの栓ヌキの先を地面のコンクリートで研いでは腕を傷つけ、皮をつまんでそこに刺し、ブラ下げたりしている。 センターの中に入るが、どこで何をやっているのか全く分らない。入った階は広いフロアーになっているが、椅子もなく、紙クズなどがあちこちに散乱している。1人18Fでセンター内1日フリーパスの券を買い、先ず最上階に行ってみる。ブラック展をやっている。このころから配偶者の体調が悪くなり、しきりにトイレに行きたがり、腹痛・腰痛を訴えはじめる。どうも腹をこわした模様。配偶者は椅子で休み、私1人でブラック展を見てくる。良い展示だったので配偶者にも見に行かせ、今度は私が椅子で休む。やはり夜行の疲れがあるのだろう。3時から映画があるが、あまりにも沢山並んでいるので次の5時からのものを見ることにする。二つ階を下りて、別の展示を見る。ここは常設展のようで絵画・彫刻の主に現代のものを展示している。二つの階にわたって多数の展示。ピカソなどもあるが、どういう展示方法をとっているのか、1人の作家のものがあちこちにとんでいて、どうにも分りにくい。ここを見ている時、私は強い眠気におそわれ、どうにもがまんできなくなって片隅の椅子で1時間程座って眠る。一通り見終わったのは6時ごろ。再び最上階に上がってカフェで休み、35分ごろに映画会場の入口に並ぶ。ちょうど私達の前に日本人男性2人が並んでいたので、今度やるのはどんな映画かたずねると、60年ごろのアメリカの科学映画だとのこと。ちょっと変わっているので見ることにする。45分ごろ前回の映画が終わって観衆が外に出、かわって私達が入場。ただしここは1日フリーパスではダメで1人10Fの入場券を買わされる。映画は「パニック・イン・ゼロ」というもので、ごく善通の親子4人がキャンピングカーで旅行に出て、核戦争がはじまったことによるパニックの中で食料品を手に入れたり銃を強奪したりして山中の洞窟にかくれて生きのびて行くというもので、話は単純だが、けっこう楽しめた。声は英語、字幕は仏語で、声さえ聞いていればよいものを、どうしても習慣で字幕の方を読もうとしてしまう。何度が気付いて字に目を向けないようにするのだが、またしばらくすると字幕を読んでいる。習慣とはそう簡単には消えないものだ。8時半ごろ映画が終わって会場の外に出るとちょうど落日。この建物は周囲のものより高いのでパリ市街のながめは良い。下を見ると広場の人々の数は大分少なくなっている。センター内にセルフサービスのレストランがあるので行ってみると、もう終了直前で料理も残り少なくなっているのでやめて下に下りる。2階で中国展をやっているのでついでに見ることにする。現代中国の生活を写真や模型で紹介したもので、特に一般住宅の室内模型やナベカマなどの生活用具に力を入れた展示。もう一つ写真展をちょっとのぞいて外に出る。 このポンピドーセンターの全体の印象は非常に悪い。先ず何よりも建物が悪い。外見は石油化学工場だが、中に入っても空調等のパイプ・ダクト類が全てむき出しで、まさに工場内にパネルを立てて展示しているような感じ。しかも屋外の部分を見ると早くもあちこちにサビが出ていてこの建物の寿命が長くないことを物語っている。現代文明を象徴するつもりでこの建物が設計されたとするのなら、それは大成功となってはいるのだが。このセンターの利用者の質も問題。特にトイレの使い方がメチャクチャで、小便器内にトイレットペーパーを入れてつまらせてあったり、トイレの外側にまで多数のトイレットペーパーが散乱している。前の広場も空カンを含めた多数のゴミ。全てが荒廃していて汚ない。ここが現代、という意味ではまさにこのセンターの存在は大きな価値ではあろうが、もう一度行ってみようという気にはなれない。入場者及びこのセンター周辺には黒人が非常に目立ち、また周囲の町にはベトナム人が目立った。 メトロでエトワールに戻る。センターの近くの駅もやはり汚れている。何だかこの日は宿からはじまってパリの汚れた面ばかりを見たようで1日気分が悪く、2人でパりの悪口を言い合い、バルセローナに帰りたい気持ちになる。前回の旅行ではフランスよりスペインの方が汚れた印象を受けたのだが、今回の旅行でそれが逆転。確かにスペインにはゴミクズが散乱しているが、スペインは基本的な点、特に食事に関する部分は清潔にしている。だからそこにいて気分が悪くなったり、食欲がなくなったりすることはなかった。しかしこのパリは、そこに居たくない、逃げ出したい、という気を起こさせる町なのだ。これはおそらく、前回の旅が表通りばかりを歩いたのに対し、今日は裏通りを歩いたことによるのだろう。配偶者の不調も原因はその辺にあるのかも知れない。 エトワールに戻り、ワグラム通りに面した中華料理店に入る。ワンタンメン2つとマーボ豆腐を注文。日本の中華料理屋の感覚で注文したら、出されたものは量が非常に少なく、これでは足りなくなって、芙蓉蚕とゴハンを追加注文。味は全体に薄味で非常に良いが、中華料理としては少し物足りない。ゴハンは黄色ぽく細長い。いわゆる外米で、ちょっとクサミがありボロボロでうまくない。店は高級な方で清潔にしてあり、最後には香りのついたおしぼりまで出てサービスも良い。11時ごろ店を出、歩いて1分もかからない宿に戻り、シャワーを浴びて就寝。 21:40   23:35 昨日(30日)は9時45分起床。配偶者の腹の調子はまだ良くならず下痢が続いている。10時半ごろ宿を出てシャンゼリゼを歩き、コンコルド広場を左折して「ヨーロッパ・マイ・ツアー」事務所へ行く。歩いてみると、これも結構遠い。地図を見ながら行って簡単に事務所は見つかる。日本人男女2人がおり、奥の方には何人かの仏人が働いている。女性が応対してくれ、翌日の航空券も渡してくれる。ブリュッセルまでエア・フランスで、そこでサベナに乗りかえるが、グループは私達2人だけなのでド・ゴール空港で集合する必要がなくなり、それだけ翌朝の時間に余裕ができる。 空港バス・空港での諸注意をきき、12時過ぎに事務所を出る。事務所に着く前に降っていた雨はもう止んでいる。来る途中に見つけたケーキ屋で昼食をとることにして行くと、ちょうど会社の昼休みと重なって列が出来る程の混雑。こんなに混んでいるのは安くてうまい証拠だと思い、私達も列に加わる。サンドイッチなどのパン類とケーキを買い、同じ店内のカウンターでカフェ・オレを飲みながら食べる。パンを買うのに並び、またカウンターにつくまでにも10分程待つような混雑。なるほどこうして食べると安く上がるし、確かにこの店のパンはまずまずの味。この近辺のサラリーマンやOLはこうして2~30分で昼食をすませ、残りの時間はどのようにして過ごしているのだろうか。商店などの様子から考えると昼休みは2時間とってあるようなのだが。ケーキとボカディージョは食べ残して持って出る。 東京へ国際電話をかけるため公衆電話ボックスをさがして歩くが、なかなか見つからない。前日、ポンピドーセンターの電話でかけようとしたら、5F硬貨が使えずに延期していたもの。やっとルーブルの脇の方まで来たところで見つかる。まず配偶者がK氏にかける。最初はダイヤルの回し方を間違えたらしく二度程失敗し、やっとかかる。26F使って9/1欠勤の件を伝える。1/2F・1F・5Fの硬貨を入れておくと、小窓から残金が見えるのだが、1/2Fや1F硬貨はバタバタと落ちて行く。次に私がM氏にかける。最初は「番号をもう一度」という日本語の声が出て失敗。2度目にかかるが留守らしく誰も出ない。番号の分るところでI氏にかけることにする。今度はかかる。最初に奥さんが出てかわってもらう。パリからだと言うと、「え、パリから?!」というスットンキョウな叫び。あとは驚いたのかアー・アーとくりかえすだけ。1日欠勤を伝え終わってやっと「元気で」という声が出ただけだった。相当に驚いた模様。私は20Fですんだが、自分の声がエコーになって返ってくるので話しにくかった。電話を終わってチェイルリー公園に行き、ベンチで残っていたケーキを食べる。うまい。 メトロでピカソ展をやっているギャラリーへ何かう。これは6月ごろ朝日新聞にのった記事でやっていることを知り、場所も何も分らなかったが、パリに来てからこちらのピアのような雑誌で会場を見つけたもの。会場は街角のギャラリーで、場内は一寸変わったつくり。広い部屋の外周から中央に向かってラセン状のスロープが下り、それにそって展示してある。展示作品に特に目を奪うようなものはないが、無署名のものが目立つ。初期のものからはじまり、特に晩年のものが多い。前回、バルセロナのピカソ美術館で観たものと違う作品ではあるが、傾向は同じ。展示数もあまり多くなく一時間程で見終わる。このギャラリーの従業員は全員ベトナム人。恐らく難民なのであろう。出口に寄付金箱が置かれ、相当な金額が入っていたが、あれも難民救済のものと思われる。 再びメトロで下水道見学へ向かう。これは月・水曜と月末の土曜しかやっていないもの。運良くこの日は月曜なので見られる。 アルマ橋の左岸のたもとに入口がある。中に入った途端に下水の臭い。入場料を払い、まず小博物館を見学。下水道の歴史や仕組が絵や写真で説明してある。次にスライド。英語用のイヤホンを貸してくれる。これもパリ下水道の歴史と仕組み。それからいよいよ下水道見学。 案内人がついて入口から4~50mの範囲でいろいろと見せてくれる。パリの下水道は現在の総延長が2,100kmあるとのことで、その長さもさることながら1400年ごろからつくられ、19世紀に充実したというその歴史の長さ、及び、その維持の為の仕事の大変さに驚く。単に下水道設備をつくればよいとうものではなく、常に汚泥の除去作業を行なわねばならないのだ。 見学後、セーヌ河畔の公園で一休み。昼の残りのパンを食べる。それからシャンゼリゼに戻るが、途中でまた雨が降る。今度は一寸雨宿りをしている間に止む。シャンゼリゼのスーパーやアーケードの商店をいくつか見るが、配偶者の目当ての毛糸はどこにもない。デパートまで行けばあるのだが遠いのでやめる。エトワールの方へ歩き、カフェに入ろうとするが、右側は混んでいるので道をわたって左側のカフェに入り、ゆっくりと日記を書く。久し振りにカフェで休息。ところがここのカフェ、請求書をみるとカフェ・オーレとショコラで34F。日本にして1300円程。確かに場所もよく、コーヒーも1.5杯分位持ってきたが、それにしても高い。全く暴利をむさぼっているという感じ。シャクなので夜8時まで3時間位ねばって日記を書き続けた。 夕食はセーヌ左岸の学生街、サン・ミッシェルに行って食べることにし、メトロで向かう。この辺で前回の最後の夕食もとった。ガイド・ブックで知ったレストランはつぶれたのか休みなのか、閉まっている。その周囲にはモロッコ料理屋が沢山並んでいるので、その中で安くて良さそうな店を選んで入る。串刺しの焼肉。モロッコ料理だとばかり思っていたら、これがギリシア料理。店内は大変な混雑。ワインのロゼを頼むとギリシアワインが出てくる。味はまずまず。最後にコーヒーを頼むとこれまたギリシアコーヒー。トルココーヒーに似ているだろうと予想していたらその通りで、カップの底1/3位に粉がたまっている。しかしコーヒーそのものはそれ程濃くはない。はじめから砂糖を入れて煮つめてあるので大変に甘い。満足して店を出、近くのクレープ屋でクレープを買って食べる。 サン・ミッシェル広場は相変わらず暴走族のたまり場で、二年前と同じくオートバイが沢山とめられている。 シテ島を通って右岸まで歩く。セーヌにはいつものバトー・ムッシューがライトを照らしながら走っている。これがこの旅最後の夜だが、今度はバリが気に入らないからか、あまり感傷はない。 メトロの更に下を走る快速電車のようなRERに乗ってエトワールに戻ることにする。駅で長い動く歩道に乗り、RERの駅につく。車両も外見はメトロと同じだがが、内部が少し違う。 宿には11時半ごろ着き、シャワーを浴び、出発準備をして1時ごろ就寝。しかし翌朝6時に起きねばならず、しかも遅れると東京に帰れなくなるので一寸緊張してなかなか寝つけない。しかも隣室はじめ同じホテル内の客が夜中に部屋や廊下で大声で話し、ドアをバタンドタン開閉し、歩き回り、また他の部屋に行ってしゃべり、廊下に出てしゃべりとやりはじめたので、完全に眠れなくなる。このさわざは3時過ぎまで続く。全く非常識で、よほどどなり込んでやろうかと思ったほど。3時過ぎから6時位までウトウトしては目覚めることの繰り返し。睡眠不足の夜になった。 < p lang='en-US'>24:55退職者夫婦の旅と日常(スペイン・旅・留学・巡礼・映画・思索・本・・・)