原題 La Batalla de Chile
監督 パトリシオ・グスマン Patricio Guzmán
第1部「ブルジョワジーの叛乱」、第2部「クーデター」、第3部「民衆の力」の3部構成ドキュメンタリー。    第一部が1975年、第二部が1977年、第三部が1979年に公開されたが、日本での劇場公開は今回が初。
1970年に選挙によって社会主義政権が誕生し、アジェンデ大統領が改革政策を進めた。しかし国内保守勢力、多国籍企業などはアメリカ合衆国政府の支持・指示を得ながら経済社会の混乱を引き起こすことでアジェンデ政権に打撃を与えようとした。そして1973年9月11日、CIAの支援を受けたピノチェト将軍らが軍事クーデターを起こし、以後のチリはピノチェトがアメリカ合衆国政府の援助の下で独裁政治を続けることになった。
この作品は、クーデターまでの日々を記録したもの。

グスマン監督はクーデター後に逮捕されたが、何とかフランスに亡命し、記録フィルムも奇跡的に国外に持ち出された。

第1部は保守勢力がアジェンデ政権を窮地に追い込むために、経済活動を麻痺させようとサボタージュなどに力を入れる様子。

第2部は軍事クーデターに向かっての軍部や保守政治家たちの活動。

第3部は保守勢力による経済妨害などに対抗する民衆の活動が描かれている。

合計4時間半の作品なので、まず2時間近い第1部だけを見、他日2部と3部を見た。
チリ国内の動きを追った記録なので、後から振り返って取材が不十分と感じられるのは仕方のないことだろう。

半世紀近く前の出来事で遠く感じられることもあるが、一方では現在も変わらない部分も多い。

遠く感じられるのは、社会主義の夢がまだ信じられた時代だったこと。

今も変わらないのは、アメリカ合衆国の姿勢。民主主義の守護神を装いながら、利益のためなら民主的政権を打倒して独裁政権を打ち立てることも躊躇しない。

サブタイトルにLa lucha de un pueblo sin armas(武器なき民衆の闘い)とある。軍部のクーデターが十分予想される状況にあっても、結局政府は民衆に武器を渡して対抗しようとはしなかった。スペイン戦争時に、軍部の叛乱を受けても共和国政府が民衆の武装を拒否して初期段階で反乱を鎮圧できず、やがて敗北していったのと同様の道をチリも歩んでしまった。武装した民衆が軍部に打ち勝てただろうと楽観することはできないし、アジェンデ政権が継続していたらチリは明るかっただろうと思うこともできないのだが。

por Andrés

/images/2016/10/25f613b264bdb1d54b42c9ee63f8ac77-644x911.jpg/images/2016/10/25f613b264bdb1d54b42c9ee63f8ac77-150x150.jpgAndrés映画・テレビ原題 La Batalla de Chile 監督 パトリシオ・グスマン Patricio Guzmán 第1部「ブルジョワジーの叛乱」、第2部「クーデター」、第3部「民衆の力」の3部構成ドキュメンタリー。    第一部が1975年、第二部が1977年、第三部が1979年に公開されたが、日本での劇場公開は今回が初。 1970年に選挙によって社会主義政権が誕生し、アジェンデ大統領が改革政策を進めた。しかし国内保守勢力、多国籍企業などはアメリカ合衆国政府の支持・指示を得ながら経済社会の混乱を引き起こすことでアジェンデ政権に打撃を与えようとした。そして1973年9月11日、CIAの支援を受けたピノチェト将軍らが軍事クーデターを起こし、以後のチリはピノチェトがアメリカ合衆国政府の援助の下で独裁政治を続けることになった。 この作品は、クーデターまでの日々を記録したもの。 グスマン監督はクーデター後に逮捕されたが、何とかフランスに亡命し、記録フィルムも奇跡的に国外に持ち出された。 第1部は保守勢力がアジェンデ政権を窮地に追い込むために、経済活動を麻痺させようとサボタージュなどに力を入れる様子。 第2部は軍事クーデターに向かっての軍部や保守政治家たちの活動。 第3部は保守勢力による経済妨害などに対抗する民衆の活動が描かれている。 合計4時間半の作品なので、まず2時間近い第1部だけを見、他日2部と3部を見た。 チリ国内の動きを追った記録なので、後から振り返って取材が不十分と感じられるのは仕方のないことだろう。 半世紀近く前の出来事で遠く感じられることもあるが、一方では現在も変わらない部分も多い。 遠く感じられるのは、社会主義の夢がまだ信じられた時代だったこと。 今も変わらないのは、アメリカ合衆国の姿勢。民主主義の守護神を装いながら、利益のためなら民主的政権を打倒して独裁政権を打ち立てることも躊躇しない。 サブタイトルにLa lucha de un pueblo sin armas(武器なき民衆の闘い)とある。軍部のクーデターが十分予想される状況にあっても、結局政府は民衆に武器を渡して対抗しようとはしなかった。スペイン戦争時に、軍部の叛乱を受けても共和国政府が民衆の武装を拒否して初期段階で反乱を鎮圧できず、やがて敗北していったのと同様の道をチリも歩んでしまった。武装した民衆が軍部に打ち勝てただろうと楽観することはできないし、アジェンデ政権が継続していたらチリは明るかっただろうと思うこともできないのだが。 por Andrés退職者夫婦の旅と日常(スペイン・旅・留学・巡礼・映画・思索・本・・・)