台湾旅行で感じたことを列記してみる。

台湾の歴史についての予備知識はなかった。疑問だったのは台湾の人たちに親日感情が強いという情報。行ってみてそれが本当らしいことを感じた。恐らく、戦後の国民党支配が酷かったためにその前の日本による支配が実際以上に美化された思い出となっているのだろう。それに加えて近年の日本文化ブームやその前の日本の経済発展へのあこがれなども、親日に寄与しているのだろう。さらに北京政府への反感もあるのだろう。だからと言って日本が行った植民地支配を正当化するこができないのは当然だが。その好例が「二二八紀年館」で会い、翌々日「総統府」でガイドをしてくれた男性。祈念館では、いきなり旧日本軍の第一連隊は東京、第四連隊は仙台、第六連隊は名古屋、などと日本語で話しかけてきた人だ。私より少し年上にしか見えなかったので、父親から聞き知ったことを日本人観光客に話しているのかと思ったが、昭和7年生まれだとのこと。少年時代に皇民化教育を受けた世代だ。彼の中で少年時代へのノスタルジー、戦後の国民党独裁時代への反感、現在の北京政府への不信などが混ざりあって、台湾独立への思いと日本への親近感が醸成されているのだろう。

日本語の通用度については、思っていたほどではないとも言え、思っていた以上とも言える。戦前世代が少なくなっているせいもあり、また戦前が遠くなっているためもあって、戦前の教育の結果として日本語を流暢に話せるという人は少ない。ホテルの従業員のように日本人観光客を相手にする人たちが話す日本語は、当然ながら旅行者である私たちと最低限必要なコミュニケーションをとるためのもので、それ以上ではない場合がほとんどだろう。一方、路地の奥の店の人でも、ほんの片言ではあっても日本語を使える人がいるのはありがたかった。全体としてみると日本での英語の通用度より高いのではないだろうか。もちろん日本語が全くできない人も少なくないのは当然。それにしても旅行するにあたって日本語だけでもなんとかなるのは事実だし、日本語が全く通じないところでは英語も通じないと思った方が良いだろう。

漢字は大陸とは違って繁体字が使われているので概ね理解できるような気がするが、読み方は分からないので、道を尋ねたりするのは難しい。漢字とアルファベットが併記されているとつい漢字の方を日本読みにしてしまうのは、困った習性だ。

台湾は清潔なところだった。大都市だけでの印象だが、通りにごみが落ちていることはほとんどないし、何よりもトイレの清掃が良く行き届いているのに驚いた。レストランなどだけでなく街中の公衆トイレもきれいで、頻繁に掃除されていて日本よりも清潔だったように思う。

交通機関や入館料などが安い。台鉄、地下鉄、バス、タクシーなどを利用したが、どれも日本よりはるかに安い。台鉄、地下鉄、バスはヨーヨーカという、日本のスイカなどのようなプリペイドカードが利用できるのだが、高雄空港に到着してすぐに入手し、高雄、台南、台中、台北と移動する際の台鉄、各地での地下鉄やバスの運賃はすべてヨーヨーカで支払ったが、1,000NT$(4,000円弱)で済んでしまった。また、入館料も無料のところが多く、有料でも50NT$(200円弱)程度だった。故宮博物院だけは1,000円ほどだったが。

道路交通ではバイク(スクーター)が非常に多い。信号で一斉にスタートする様子はまるでレースのようだった。2人乗り3人乗りも珍しくない。父親が運転し、子供が前のステップに立ち、母親が赤ん坊を抱くか背負うかして後ろに座るなどと言う姿を見かけたのも一度や二度ではない。四輪車の整備状態は悪くなさそうだが、バイクが多いためか排気ガスのにおいが強い。そのせいかマスクをしている人が多い。日本と違って黒いマスクの人が多いのは、やはり排ガス対策が主だからだろうか。白いマスクでは口や鼻腔の形にすぐに黒くなってしまうのかもしれない。

中華料理は性に合わないと改めて感じた。嫌いではないのだが、どこで食べても不味くもないが特別美味しくもないと感じてしまうのだ。スペインでは3か月でも特に飽きたという気はしないのだが、台湾では10日間で飽きてしまった。日本国内でも年々中華料理を食べる頻度が減ってきていることを考え合わせると、やはり好みではないと言うことなのだろう。

旅行先としての台湾は、私にはあまり魅力的ではなかった。食事のせいもあるし、見学地に私が興味の持てるものが少なかったせいもある。建築物なども歴史を感じさせられるものは少ないし、美的にも好みではないものがほとんどだったからだ。しかし住むとしたら、台湾は良い場所だと思う。蒸し暑いのが嫌いで台湾料理が好みに合わない私は住みたいとは思はないが、客観的には非常に住みやすい場所だろう。

por Andrés

Andrés台湾旅行台湾旅行で感じたことを列記してみる。 台湾の歴史についての予備知識はなかった。疑問だったのは台湾の人たちに親日感情が強いという情報。行ってみてそれが本当らしいことを感じた。恐らく、戦後の国民党支配が酷かったためにその前の日本による支配が実際以上に美化された思い出となっているのだろう。それに加えて近年の日本文化ブームやその前の日本の経済発展へのあこがれなども、親日に寄与しているのだろう。さらに北京政府への反感もあるのだろう。だからと言って日本が行った植民地支配を正当化するこができないのは当然だが。その好例が「二二八紀年館」で会い、翌々日「総統府」でガイドをしてくれた男性。祈念館では、いきなり旧日本軍の第一連隊は東京、第四連隊は仙台、第六連隊は名古屋、などと日本語で話しかけてきた人だ。私より少し年上にしか見えなかったので、父親から聞き知ったことを日本人観光客に話しているのかと思ったが、昭和7年生まれだとのこと。少年時代に皇民化教育を受けた世代だ。彼の中で少年時代へのノスタルジー、戦後の国民党独裁時代への反感、現在の北京政府への不信などが混ざりあって、台湾独立への思いと日本への親近感が醸成されているのだろう。 日本語の通用度については、思っていたほどではないとも言え、思っていた以上とも言える。戦前世代が少なくなっているせいもあり、また戦前が遠くなっているためもあって、戦前の教育の結果として日本語を流暢に話せるという人は少ない。ホテルの従業員のように日本人観光客を相手にする人たちが話す日本語は、当然ながら旅行者である私たちと最低限必要なコミュニケーションをとるためのもので、それ以上ではない場合がほとんどだろう。一方、路地の奥の店の人でも、ほんの片言ではあっても日本語を使える人がいるのはありがたかった。全体としてみると日本での英語の通用度より高いのではないだろうか。もちろん日本語が全くできない人も少なくないのは当然。それにしても旅行するにあたって日本語だけでもなんとかなるのは事実だし、日本語が全く通じないところでは英語も通じないと思った方が良いだろう。 漢字は大陸とは違って繁体字が使われているので概ね理解できるような気がするが、読み方は分からないので、道を尋ねたりするのは難しい。漢字とアルファベットが併記されているとつい漢字の方を日本読みにしてしまうのは、困った習性だ。 台湾は清潔なところだった。大都市だけでの印象だが、通りにごみが落ちていることはほとんどないし、何よりもトイレの清掃が良く行き届いているのに驚いた。レストランなどだけでなく街中の公衆トイレもきれいで、頻繁に掃除されていて日本よりも清潔だったように思う。 交通機関や入館料などが安い。台鉄、地下鉄、バス、タクシーなどを利用したが、どれも日本よりはるかに安い。台鉄、地下鉄、バスはヨーヨーカという、日本のスイカなどのようなプリペイドカードが利用できるのだが、高雄空港に到着してすぐに入手し、高雄、台南、台中、台北と移動する際の台鉄、各地での地下鉄やバスの運賃はすべてヨーヨーカで支払ったが、1,000NT$(4,000円弱)で済んでしまった。また、入館料も無料のところが多く、有料でも50NT$(200円弱)程度だった。故宮博物院だけは1,000円ほどだったが。 道路交通ではバイク(スクーター)が非常に多い。信号で一斉にスタートする様子はまるでレースのようだった。2人乗り3人乗りも珍しくない。父親が運転し、子供が前のステップに立ち、母親が赤ん坊を抱くか背負うかして後ろに座るなどと言う姿を見かけたのも一度や二度ではない。四輪車の整備状態は悪くなさそうだが、バイクが多いためか排気ガスのにおいが強い。そのせいかマスクをしている人が多い。日本と違って黒いマスクの人が多いのは、やはり排ガス対策が主だからだろうか。白いマスクでは口や鼻腔の形にすぐに黒くなってしまうのかもしれない。 中華料理は性に合わないと改めて感じた。嫌いではないのだが、どこで食べても不味くもないが特別美味しくもないと感じてしまうのだ。スペインでは3か月でも特に飽きたという気はしないのだが、台湾では10日間で飽きてしまった。日本国内でも年々中華料理を食べる頻度が減ってきていることを考え合わせると、やはり好みではないと言うことなのだろう。 旅行先としての台湾は、私にはあまり魅力的ではなかった。食事のせいもあるし、見学地に私が興味の持てるものが少なかったせいもある。建築物なども歴史を感じさせられるものは少ないし、美的にも好みではないものがほとんどだったからだ。しかし住むとしたら、台湾は良い場所だと思う。蒸し暑いのが嫌いで台湾料理が好みに合わない私は住みたいとは思はないが、客観的には非常に住みやすい場所だろう。 por Andrés退職者夫婦の旅と日常(スペイン・旅・留学・巡礼・映画・思索・本・・・)