2月24日に予定されている辺野古新基地建設の是非を問う沖縄県民投票で、宜野湾市、沖縄市、うるま市、石垣市、宮古島市の5市が不参加を表明し、県民の30%以上が投票できない事態になろうとしている。

不参加の理由として「賛成」「反対」の二者択一では民意を反映できないというようなことを挙げているが、彼らは議会での採決でどのような方法をとっているのだろうか。現在の政権や自民党に論理整合性を求めるのは、全くのない物ねだりなのはこの数年で明白になっている。こうした批判が彼らに響かないことは分かり切っているので、これ以上は延べない。

そもそも辺野古新基地建設に対する県民の意思は、あらためて問うまでもなくこれまでの数々の議会選挙、首長選挙、国会議員選挙で明白に示されている。だからこそ政府自民党は沖縄での選挙では辺野古に関して徹頭徹尾沈黙してきたのだ。昨秋の県知事選挙もその典型だった。

しかし問題は県民投票の行方以前に、これほどまでに繰り返し新基地建設反対の民意が表明されてきたにもかかわらず、建設を強行する安倍政権の姿勢だが、それ以上に安倍政権を支持し続けている日本国民の半数の姿勢だ。世論調査で個別に問われれば、沖縄県民の意思を尊重すべきだと答え、森友・加計学園問題での安倍政権のやり方はおかしいと考え、安全保障法制には反対と回答し…とその政策に賛成できない人が過半数を占めている。しかし一方では安倍政権を半数の人が支持し、選挙では与党に3分の2以上の議席を与えている。

結局、沖縄は本土の人には遠い問題だということなのだろう。フクシマも遠いのだろう。やがて放射性廃棄物最終処分場が建設されても、そこが自分の住む場所や故郷でなければ遠いこととなるのだろうし、自衛隊員が戦死しても自分の家族でなければ遠い話になってしまうのだろう。

「世界のどこかである不正が誰かに対して犯されたならば、それがどんなものであれ、それを心の底から深く悲しむことのできる人間になりなさい」

チェ・ゲバラが子どもたちに残したこの言葉の正反対の位置に私たちはいる。

Andrés政治・経済・国際日記・コラム・つぶやき2月24日に予定されている辺野古新基地建設の是非を問う沖縄県民投票で、宜野湾市、沖縄市、うるま市、石垣市、宮古島市の5市が不参加を表明し、県民の30%以上が投票できない事態になろうとしている。不参加の理由として「賛成」「反対」の二者択一では民意を反映できないというようなことを挙げているが、彼らは議会での採決でどのような方法をとっているのだろうか。現在の政権や自民党に論理整合性を求めるのは、全くのない物ねだりなのはこの数年で明白になっている。こうした批判が彼らに響かないことは分かり切っているので、これ以上は延べない。そもそも辺野古新基地建設に対する県民の意思は、あらためて問うまでもなくこれまでの数々の議会選挙、首長選挙、国会議員選挙で明白に示されている。だからこそ政府自民党は沖縄での選挙では辺野古に関して徹頭徹尾沈黙してきたのだ。昨秋の県知事選挙もその典型だった。しかし問題は県民投票の行方以前に、これほどまでに繰り返し新基地建設反対の民意が表明されてきたにもかかわらず、建設を強行する安倍政権の姿勢だが、それ以上に安倍政権を支持し続けている日本国民の半数の姿勢だ。世論調査で個別に問われれば、沖縄県民の意思を尊重すべきだと答え、森友・加計学園問題での安倍政権のやり方はおかしいと考え、安全保障法制には反対と回答し…とその政策に賛成できない人が過半数を占めている。しかし一方では安倍政権を半数の人が支持し、選挙では与党に3分の2以上の議席を与えている。結局、沖縄は本土の人には遠い問題だということなのだろう。フクシマも遠いのだろう。やがて放射性廃棄物最終処分場が建設されても、そこが自分の住む場所や故郷でなければ遠いこととなるのだろうし、自衛隊員が戦死しても自分の家族でなければ遠い話になってしまうのだろう。「世界のどこかである不正が誰かに対して犯されたならば、それがどんなものであれ、それを心の底から深く悲しむことのできる人間になりなさい」チェ・ゲバラが子どもたちに残したこの言葉の正反対の位置に私たちはいる。退職者夫婦の旅と日常(スペイン・旅・留学・巡礼・映画・思索・本・・・)