Sexta Peregrinación 追記10(最終回)

カミーノで多くの人に助けられた。
配偶者の病気で病院に行った時、混雑した待合室で長時間待つことになり、診察と診察の間にも長い時間待たなければならなかったが、診察室に入る時に荷物(リュック2個)を見張っていてあげると言ってくれた他の患者の付き添いの人。
同じ待合室で荷物を車椅子に乗せていたら、最初は「車椅子は人間のためで荷物のためのものではない」と注意しに来たが、私達の様子を見て車椅子の使用を許可して場所まで指定してくれた看護師。
道路を横切る川の飛び石が水没していた時、ピックアップトラックの荷台に乗せて向こう岸に渡してくれた運転手。
小さな町で食べるところがなくて困っていた時に、唯一営業しているらしい小さなホテルに連れて行って、繰り返しインターフォンを押して従業員を呼び出して食事をとれるようにしてくれた女性。
数キロ先で行き止まりになってしまう道を進んでしまいそうになった時に、わざわざバックで戻ってきて正しい道を教えてくれた運転手。
目的の宿に着いて降りた時に、電話をかけて宿の人を呼んでくれたタクシーの運転手。
サンティアゴ・デ・コンポステーラのカテドラルでミサが始まる前から満席だった時に、席を譲ってくれた青年たち。
満員のバルでテーブルを譲ってくれた男性。
普段はぶっきらぼうで怒っているような表情が多いのだが、ふとした拍子に微笑んで優しく接してくれたガリシア人たち。
ロシアのウクライナ侵攻に世界中が批判の声をあげ制裁に動いた。日本でも田舎町に至るまでロシア批判の声が広がった。しかしイスラエルのガザ侵攻とそれに続くパレスチナ人に対するジェノサイドを批判する声は少なく、制裁に動いた国はほとんどない。日本でもイスラエル批判の声はごく一部で、田舎町ではそんな声はまったく聞こえない。これを見るとウクライナ侵攻に対する批判は、単なるロシア批判でしかないことが明らかで、二重基準を世界中が採用しているとしか言いようがない。そして何よりも、アウシュヴィッツを経験したユダヤ人の国であるイスラエルが、ナチスドイツと同じことをパレスチナ人に対して行っている。
人間というものは救いようのないものだと思わせられるこんな世界の中で、前述のような人々の親切や優しさは救いであり、Caminoを歩いたことの一番の収穫かもしれない。これらのCamino沿いの人々と同じように、ロシア人もユダヤ人も一人一人は親切で優しく、人を殺すなど思いもよらない人々だろう。しかし彼らがロシア国民やイスラエル国民となった時には大量虐殺も厭わなくなる。
人々が国家や集団の一員となった時、個人よりも国家や集団を上位に置いてしまい、国家のため、所属集団のためならどんなことにも手を染めてしまう。これを解くことができなければ戦争反対の声も現実的力を持ちえない。
遥かな道はどこまで続くのだろうか。
https://dosperegrinos.net/?p=22114/images/2025/08/image-700x700.webp/images/2025/08/image-150x150.webp銀の道 Camino de la PlataCamino,Camino de la Plata,Santiago,サンティアゴ,巡礼カミーノで多くの人に助けられた。 配偶者の病気で病院に行った時、混雑した待合室で長時間待つことになり、診察と診察の間にも長い時間待たなければならなかったが、診察室に入る時に荷物(リュック2個)を見張っていてあげると言ってくれた他の患者の付き添いの人。 同じ待合室で荷物を車椅子に乗せていたら、最初は「車椅子は人間のためで荷物のためのものではない」と注意しに来たが、私達の様子を見て車椅子の使用を許可して場所まで指定してくれた看護師。 道路を横切る川の飛び石が水没していた時、ピックアップトラックの荷台に乗せて向こう岸に渡してくれた運転手。 小さな町で食べるところがなくて困っていた時に、唯一営業しているらしい小さなホテルに連れて行って、繰り返しインターフォンを押して従業員を呼び出して食事をとれるようにしてくれた女性。 数キロ先で行き止まりになってしまう道を進んでしまいそうになった時に、わざわざバックで戻ってきて正しい道を教えてくれた運転手。 目的の宿に着いて降りた時に、電話をかけて宿の人を呼んでくれたタクシーの運転手。 サンティアゴ・デ・コンポステーラのカテドラルでミサが始まる前から満席だった時に、席を譲ってくれた青年たち。 満員のバルでテーブルを譲ってくれた男性。 普段はぶっきらぼうで怒っているような表情が多いのだが、ふとした拍子に微笑んで優しく接してくれたガリシア人たち。 ロシアのウクライナ侵攻に世界中が批判の声をあげ制裁に動いた。日本でも田舎町に至るまでロシア批判の声が広がった。しかしイスラエルのガザ侵攻とそれに続くパレスチナ人に対するジェノサイドを批判する声は少なく、制裁に動いた国はほとんどない。日本でもイスラエル批判の声はごく一部で、田舎町ではそんな声はまったく聞こえない。これを見るとウクライナ侵攻に対する批判は、単なるロシア批判でしかないことが明らかで、二重基準を世界中が採用しているとしか言いようがない。そして何よりも、アウシュヴィッツを経験したユダヤ人の国であるイスラエルが、ナチスドイツと同じことをパレスチナ人に対して行っている。 人間というものは救いようのないものだと思わせられるこんな世界の中で、前述のような人々の親切や優しさは救いであり、Caminoを歩いたことの一番の収穫かもしれない。これらのCamino沿いの人々と同じように、ロシア人もユダヤ人も一人一人は親切で優しく、人を殺すなど思いもよらない人々だろう。しかし彼らがロシア国民やイスラエル国民となった時には大量虐殺も厭わなくなる。 人々が国家や集団の一員となった時、個人よりも国家や集団を上位に置いてしまい、国家のため、所属集団のためならどんなことにも手を染めてしまう。これを解くことができなければ戦争反対の声も現実的力を持ちえない。 遥かな道はどこまで続くのだろうか。Andrés andres@nifty.comAdministratorDos Peregrinos







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