吉本隆明『開店休業』プレジデント社

帯には「最後の自筆連載」と記されているが、晩年の吉本は視力の衰えが激しかったため、多くの著作が「聞き書き」になっていた。したがって、本書はもちろん遺作ではない。しかし内容はまさに「食エッセイ」であり、かつての吉本に慣れ親しんだ者にとっては、「老い」を感じさせられてしまう。非常に厳しい言い方をすれば、「老醜」と言えなくもない。ただしそれは、あくまでも「吉本思想」を基準にした見方であり、単独の著として読めば、かつての「吉本節」とはまったく異なる文体で、時に太宰を思い起こさせるようなリズムが感じられ、さすがと思わせられるところもあった。
長女のハルノ宵子は、吉本の各文章に対して同一テーマで、また吉本が扱っているテーマにまつわる家族の思い出を記しており、併せて読むことで吉本家の空気に触れることができる。吉本の思想にのみ興味があり、伝記的事実には関心のない者にとっては、無用の一冊と切り捨てても構わないものだろう。
それにしても、「老い」を見事に通り抜けることがいかに難しいか、つくづく実感させられる。吉本隆明もそうだが、近年では、たとえば村上春樹や中島みゆきも、自己模倣に陥っているように思う。それを避けるには、まったく違う方向へ転身するか、あるいは「筆を折る」しかないのだろうが、それもまた本人にとっては難しいに違いない。「老い」も自分の一部だとして、批判を覚悟のうえで提示し続けるという道もあるのだが。
https://dosperegrinos.net/?p=22350/images/2026/02/IMG_2852-700x1036.webp/images/2026/02/IMG_2852-150x150.webp書籍・雑誌ハルノ宵子,吉本隆明,開店休業帯には「最後の自筆連載」と記されているが、晩年の吉本は視力の衰えが激しかったため、多くの著作が「聞き書き」になっていた。したがって、本書はもちろん遺作ではない。しかし内容はまさに「食エッセイ」であり、かつての吉本に慣れ親しんだ者にとっては、「老い」を感じさせられてしまう。非常に厳しい言い方をすれば、「老醜」と言えなくもない。ただしそれは、あくまでも「吉本思想」を基準にした見方であり、単独の著として読めば、かつての「吉本節」とはまったく異なる文体で、時に太宰を思い起こさせるようなリズムが感じられ、さすがと思わせられるところもあった。 長女のハルノ宵子は、吉本の各文章に対して同一テーマで、また吉本が扱っているテーマにまつわる家族の思い出を記しており、併せて読むことで吉本家の空気に触れることができる。吉本の思想にのみ興味があり、伝記的事実には関心のない者にとっては、無用の一冊と切り捨てても構わないものだろう。 それにしても、「老い」を見事に通り抜けることがいかに難しいか、つくづく実感させられる。吉本隆明もそうだが、近年では、たとえば村上春樹や中島みゆきも、自己模倣に陥っているように思う。それを避けるには、まったく違う方向へ転身するか、あるいは「筆を折る」しかないのだろうが、それもまた本人にとっては難しいに違いない。「老い」も自分の一部だとして、批判を覚悟のうえで提示し続けるという道もあるのだが。Andrés andres@nifty.comAdministratorDos Peregrinos


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