合計距離: 21048 m
最高点の標高: 634 m
最低点の標高: 487 m
累積標高(上り): 1154 m
累積標高(下り): -1158 m
総所要時間: 07:47:43

18.7㎞ 39,900歩

6時半起床。電気ヒーターが効いて、夜中に暑くて一度目が覚め、効きを弱くしたくらい。

clip_image001外を見ると小雨が降っている。

clip_image002洗面等を済ませ、台所で牛乳を沸かしてインスタントコーヒーを入れ、昨夜もらったボーロ様のパンと台所にあったビスケットで朝食。今日も途中にBarなどなさそうなので、無理して食べるがそんなに量は行かない。

9時前に出発。鍵は昨日言われたように郵便受けに入れる。雨はほんのわずかな霧雨になっているし、空も雲が薄くなって明るくなってきているので、雨具は着けずに出かける。ただし昨日と違って寒いので防寒の服装にする。

隣村のFañanásまでは2㎞もなく、舗装道路を歩く。

clip_image003小さな村で、やはり店の類は何もない。

clip_image004村を出るといつもの田舎道で、昨日の雨でぬかるみも多い。靴が次第に汚れ、靴底に泥が付いて足が重い。昨日30㎞近く歩いての疲れもある。

clip_image005今日通過する二つ目で最後の村Olaはやはり小さな集落で、人っ子一人見かけない。

clip_image006今日の目的地Huescaを遠望する丘の上に監視塔のようなものが立っている。見晴らし台にしては奇妙。こんなものがなくてもこの丘からの展望は非常に良いので、何のための建造物なのか不明。

clip_image0071丘からの下りがとんでもなくひどい道。急坂なだけでなく道とは言えない代物。岩や土の斜面に雨水が流れてできた筋をそのまま道と言い張ったようなもの。Huescaの街までの最短ルートをつくったのかもしれないが、リュックを背負って雨の直後に下るのは危険極まりない。しかも丘を下って平地に出てからは道は最短ルートではなく大きくジグザグに折れ曲がって遠回りをさせられるのだから。

clip_image008Caseta redonda。元はブドウ園の監視のためのものだったようだが、スペイン戦争中は濠として使われたとのこと。

clip_image0091

clip_image0101外壁にはPOUM(Partido Obrero de Unificación Marxistaマルクス主義統一労働者党)というスペイン戦争時の「トロツキスト党派」の名が刻まれ、内壁にも1936とスペイン戦争の始まった年が記されている。

clip_image0111すぐ近くにあるように見えるのになかなかHuescaに着けないので、Santa Maria de Salas教会の回廊のベンチで休憩。この教会も閉じられている。

Huescaの街に入る手前で小川沿いの木立の中の道になり、またもや泥で靴が汚される。そんな道だがジョギングや自転車で通る人と何人かすれ違う。

ようやくHuescaに到着。

clip_image012面白味のない現代建築に迎えられる。すぐに旧市街になり、Caminoを進んで行くが、通りがかりには昼食に適したようなレストランが見当たらない。結局ホテルの方向に逸れたところで目についた店に入る。小さなレストランで、客は私たちしかいない。

久しぶりのまともな食事。

clip_image0131clip_image0141一皿目はかぼちゃのクリームスープとアスパラ入りサラダ。

clip_image015clip_image0161二皿目は鴨のステーキとマグロのステーキ。

clip_image0171デザートはプリンとヨーグルト。味も質も比較的良い。

clip_image018レストランを出るとホテルはほんの1~2分のところだった。

疲れを癒すためにちょっと贅沢なホテルにしてみたが、入室してみるとジュニアスイート。

clip_image0191大きなジェットバスがあり、居間スペースと大きなベッドのある、今まで泊まった中では最高の部類のものだった。

17時半ごろ出かける。ホテルではクレデンシャルにSelloはもらえないので、Turismoへ行く。

clip_image0201途中でIglesia San Vicente el Realに寄ってみる。中では数人が静かに祈っている。

TurismoではSelloのことが分かる係が戻ってくるまでしばらく待つ。Selloをもらう時に、もうクレデンシャルの余白が少ないのでどこで買えるか聞いてみる。Albergeで入手できるからと、AlbergueのHospitaleroに電話してくれる。15分後にAlbergueで待っているからとのことなので、街の端にあるAlbergueまで急ぐ。夕暮れて人通りも多くなっているが、中心街から外れるにしたがって通りは暗くなり、気がせく。

clip_image0211Albergueに着くが、入口にはカギがかかりベルを押しても応答はなく、中には誰もいない模様。入口に連絡先が貼りだされているので電話をかける。最初の番号では誰も出ない。二番目ので電話は通じたが、Turismoから連絡があったはずだがと言っても、話が通じない。泊まるのではなくクレデンシャルを買いたいだけだなどと言っているところに別のHospitaleroがやって来た。彼がTurismoからの電話を受けた人だった。

鍵を開けて中に入れてくれ、クレデンシャルを売ってくれるとともに、ここをあらためて出発点としてSelloを押してくれる。

Andrésさん。ついでに色々と今後のコースについて説明してくれ、特にHuescaからBoleaは急坂の下りがあって雨の後は危険だからCarreteraを行った方が良いとアドバイスしてくれる。BoleaのHospitaleroの電話も教えてくれる。彼は5回もSantiagoまで様々なコースで巡礼し、今は72歳だが退職後にここのHospitaleroをしているそうだ。いろんな話をしてくれたうえで、最後に蝋印と証明書の用紙をプレゼントしてくれた。

Albergueを一緒に出て少し歩いたところで別れ、私たちはホテルの向かう。

clip_image0221ホテルの近くのBarでTortillaとCafé con lecheで軽い夕食の代わり。

小さなスーパーで水や清涼飲料を買ってホテルに戻る。

部屋にはジェットバスがあるので使うことにする。ところがお湯の出が少なく、湯船に溜まるまで1時間以上かかってしまう。

clip_image0231ようやく湯が張れてジェット水流を出すためのスイッチを押すが全く反応しない。

clip_image0241説明書を見てみると、重要事項として乾いた手でスイッチを押すようにとある。風呂桶の縁にあるスイッチを濡れた手では操作できないとは、設計者は何を考えているのだろうか。それでも何とかジェットバスを使えたが、苦労が報われたとはとても言えない。

ジェットバスに時間をとられ、日記を書くのにも手間取ったため眠りについたのは午前1時を過ぎていた。

/images/2018/11/clip_image008-11-644x430.png/images/2018/11/clip_image008-11-150x150.pngAndrésカタルーニャの道 Camino CatalánCamino,Catalan,Santiago,カタルーニャ,カタロニア,サンティアゴ,巡礼18.7㎞ 39,900歩 6時半起床。電気ヒーターが効いて、夜中に暑くて一度目が覚め、効きを弱くしたくらい。 外を見ると小雨が降っている。 洗面等を済ませ、台所で牛乳を沸かしてインスタントコーヒーを入れ、昨夜もらったボーロ様のパンと台所にあったビスケットで朝食。今日も途中にBarなどなさそうなので、無理して食べるがそんなに量は行かない。 9時前に出発。鍵は昨日言われたように郵便受けに入れる。雨はほんのわずかな霧雨になっているし、空も雲が薄くなって明るくなってきているので、雨具は着けずに出かける。ただし昨日と違って寒いので防寒の服装にする。 隣村のFañanásまでは2㎞もなく、舗装道路を歩く。 小さな村で、やはり店の類は何もない。 村を出るといつもの田舎道で、昨日の雨でぬかるみも多い。靴が次第に汚れ、靴底に泥が付いて足が重い。昨日30㎞近く歩いての疲れもある。 今日通過する二つ目で最後の村Olaはやはり小さな集落で、人っ子一人見かけない。 今日の目的地Huescaを遠望する丘の上に監視塔のようなものが立っている。見晴らし台にしては奇妙。こんなものがなくてもこの丘からの展望は非常に良いので、何のための建造物なのか不明。 丘からの下りがとんでもなくひどい道。急坂なだけでなく道とは言えない代物。岩や土の斜面に雨水が流れてできた筋をそのまま道と言い張ったようなもの。Huescaの街までの最短ルートをつくったのかもしれないが、リュックを背負って雨の直後に下るのは危険極まりない。しかも丘を下って平地に出てからは道は最短ルートではなく大きくジグザグに折れ曲がって遠回りをさせられるのだから。 Caseta redonda。元はブドウ園の監視のためのものだったようだが、スペイン戦争中は濠として使われたとのこと。 外壁にはPOUM(Partido Obrero de Unificación Marxistaマルクス主義統一労働者党)というスペイン戦争時の「トロツキスト党派」の名が刻まれ、内壁にも1936とスペイン戦争の始まった年が記されている。 すぐ近くにあるように見えるのになかなかHuescaに着けないので、Santa Maria de Salas教会の回廊のベンチで休憩。この教会も閉じられている。 Huescaの街に入る手前で小川沿いの木立の中の道になり、またもや泥で靴が汚される。そんな道だがジョギングや自転車で通る人と何人かすれ違う。 ようやくHuescaに到着。 面白味のない現代建築に迎えられる。すぐに旧市街になり、Caminoを進んで行くが、通りがかりには昼食に適したようなレストランが見当たらない。結局ホテルの方向に逸れたところで目についた店に入る。小さなレストランで、客は私たちしかいない。 久しぶりのまともな食事。 一皿目はかぼちゃのクリームスープとアスパラ入りサラダ。 二皿目は鴨のステーキとマグロのステーキ。 デザートはプリンとヨーグルト。味も質も比較的良い。 レストランを出るとホテルはほんの1~2分のところだった。 疲れを癒すためにちょっと贅沢なホテルにしてみたが、入室してみるとジュニアスイート。 大きなジェットバスがあり、居間スペースと大きなベッドのある、今まで泊まった中では最高の部類のものだった。 17時半ごろ出かける。ホテルではクレデンシャルにSelloはもらえないので、Turismoへ行く。 途中でIglesia San Vicente el Realに寄ってみる。中では数人が静かに祈っている。 TurismoではSelloのことが分かる係が戻ってくるまでしばらく待つ。Selloをもらう時に、もうクレデンシャルの余白が少ないのでどこで買えるか聞いてみる。Albergeで入手できるからと、AlbergueのHospitaleroに電話してくれる。15分後にAlbergueで待っているからとのことなので、街の端にあるAlbergueまで急ぐ。夕暮れて人通りも多くなっているが、中心街から外れるにしたがって通りは暗くなり、気がせく。 Albergueに着くが、入口にはカギがかかりベルを押しても応答はなく、中には誰もいない模様。入口に連絡先が貼りだされているので電話をかける。最初の番号では誰も出ない。二番目ので電話は通じたが、Turismoから連絡があったはずだがと言っても、話が通じない。泊まるのではなくクレデンシャルを買いたいだけだなどと言っているところに別のHospitaleroがやって来た。彼がTurismoからの電話を受けた人だった。 鍵を開けて中に入れてくれ、クレデンシャルを売ってくれるとともに、ここをあらためて出発点としてSelloを押してくれる。 Andrésさん。ついでに色々と今後のコースについて説明してくれ、特にHuescaからBoleaは急坂の下りがあって雨の後は危険だからCarreteraを行った方が良いとアドバイスしてくれる。BoleaのHospitaleroの電話も教えてくれる。彼は5回もSantiagoまで様々なコースで巡礼し、今は72歳だが退職後にここのHospitaleroをしているそうだ。いろんな話をしてくれたうえで、最後に蝋印と証明書の用紙をプレゼントしてくれた。 Albergueを一緒に出て少し歩いたところで別れ、私たちはホテルの向かう。 ホテルの近くのBarでTortillaとCafé con lecheで軽い夕食の代わり。 小さなスーパーで水や清涼飲料を買ってホテルに戻る。 部屋にはジェットバスがあるので使うことにする。ところがお湯の出が少なく、湯船に溜まるまで1時間以上かかってしまう。 ようやく湯が張れてジェット水流を出すためのスイッチを押すが全く反応しない。 説明書を見てみると、重要事項として乾いた手でスイッチを押すようにとある。風呂桶の縁にあるスイッチを濡れた手では操作できないとは、設計者は何を考えているのだろうか。それでも何とかジェットバスを使えたが、苦労が報われたとはとても言えない。 ジェットバスに時間をとられ、日記を書くのにも手間取ったため眠りについたのは午前1時を過ぎていた。退職者夫婦の旅と日常(スペイン・旅・留学・巡礼・映画・思索・本・・・)