朝食は宿で。コーヒーはデロンギのエスプレッソマシーンで。パンは4種類用意してあって好きなだけとれる。それにオレンジジュース。これらをフロント前でトレーにとって、部屋まで持って行って食べる。悪くはない。
8時半ごろ出発。宿を出て車の通りのほとんどない道を進むと、左手に田植えが済んだばかりの光景が広がる。
右手に大きな工場が広がっていたが、これは大和ハウス工業。高速道路のインターチェンジから少し離れているのに。
国道四号線に出て奥州街道に戻るが、間も無く街道は国道から離れる。福現寺でトイレ休憩。立派な寺だが、トイレの手入れは悪い。
国道に戻るところにも大きな工場。こちらは伊藤ハム。
少し国道を歩いてから再び国道を離れて進む。奥州街道は舗装道路から左にそれることになっているのだが、その道を見つけることができない。少し遠回りして舗装路を進み、地図で奥州街道と交差しているところに進むと道標があった。「旧奥州街道まわり道」と記されていて、「まわり道」の意味がわからないが、今回初めての街道のしるし。道は小さな森と田畑を抜けてきていた。
地図では少し先で奥州街道が再び舗装路を離れることになっているので、そちらへ進みはじめると、後ろから走ってきた小型トラックが私たちの横に停まり運転席の男性がペットボトルのお茶を掲げながら声をかけてくる。ドアを開けると、「冷えているから持って行きなさい」と2本渡してくれた。今日は涼しくて絶好の街道歩き日和だったが、その上に地元の人の親切に接することができてありがたかった。
間も無く奥州街道の道標。軽トラックの轍が微かの残っているだけで、人が歩いた形跡は感じ取ることができない。
舗装道に出たところにも道標があるので、間違いなく旧街道。
これらの道標は栗原市が設置しているようで、私たちにはあありがたいが、ここを歩く人は非常に少ないだろうから道そのものの整備は十分でないのも仕方ない。
間も無くもう一度舗装路を外れる。今度も軽トラックの跡が僅かの残っているだけ。道標の写真を撮ろうとしてぬかるみに片足を突っ込んでしまい、右の靴が泥だらけに汚れる。
やっと国道に出て築館インター傍で1軒だけ営業中のレストランがあったので昼食にする。その前にガソリンスタンドで洗車ブラシと水を使わせてもらって靴をきれいにする。
ここはレストラン、土産物屋、地場の野菜売り場の入った小さめの道の駅のようなもの。味はまずまず。何より付近のラーメン屋は廃業、焼肉屋は定休日だったので助かった。
国道には東京から414kmの表示。奥州街道を歩き始めたのはいつだっただろうか。
国道を離れて住宅街を抜け、築館(栗原市)の中心街を掠めて国道に戻ったり離れたりしながら市街地を抜け、今日の宿「ホテルグランドプラザ浦島」に到着。事前に計算していたのと違って20km近くの行程になってしまったが、曇天で気温も低めだったために比較的楽に歩き終えることができた。心配していた脚も、支障を感じることもなく,以前と同じような調子を今日1日は維持できた。
ホテルは結婚式場がメインになっているようで、客室は和室で設備も古い。手入れはちゃんと行われているようで不満はない。
夕食は1階レストランで豚しゃぶ、鉄火巻き、稲荷、そばなど。旅館料理としては少なめだが、私たちには十分な量。
他に2組の泊り客がいるようだ。
明日のためにダメを承知で有壁駅近くの旅館に電話してみるが、地震の影響で宿泊客を受け入れていないとのこと。やはり明日は当初の予定通り有壁駅から東北本線で一関へ移動することにして、一関のホテルを予約した。
https://dosperegrinos.net/2022/05/16/%e5%a5%a5%e5%b7%9e%e9%81%93%e6%ad%a9%e3%81%8d%e6%97%85%e3%80%80%e9%95%b7%e8%80%85%e5%8e%9f%e3%80%9c%e6%a0%97%e5%8e%9f/Andrés奥州道中奥州街道,旧街道,栗原,築館,長者原朝食は宿で。コーヒーはデロンギのエスプレッソマシーンで。パンは4種類用意してあって好きなだけとれる。それにオレンジジュース。これらをフロント前でトレーにとって、部屋まで持って行って食べる。悪くはない。
8時半ごろ出発。宿を出て車の通りのほとんどない道を進むと、左手に田植えが済んだばかりの光景が広がる。
右手に大きな工場が広がっていたが、これは大和ハウス工業。高速道路のインターチェンジから少し離れているのに。
国道四号線に出て奥州街道に戻るが、間も無く街道は国道から離れる。福現寺でトイレ休憩。立派な寺だが、トイレの手入れは悪い。
国道に戻るところにも大きな工場。こちらは伊藤ハム。
少し国道を歩いてから再び国道を離れて進む。奥州街道は舗装道路から左にそれることになっているのだが、その道を見つけることができない。少し遠回りして舗装路を進み、地図で奥州街道と交差しているところに進むと道標があった。「旧奥州街道まわり道」と記されていて、「まわり道」の意味がわからないが、今回初めての街道のしるし。道は小さな森と田畑を抜けてきていた。
地図では少し先で奥州街道が再び舗装路を離れることになっているので、そちらへ進みはじめると、後ろから走ってきた小型トラックが私たちの横に停まり運転席の男性がペットボトルのお茶を掲げながら声をかけてくる。ドアを開けると、「冷えているから持って行きなさい」と2本渡してくれた。今日は涼しくて絶好の街道歩き日和だったが、その上に地元の人の親切に接することができてありがたかった。
間も無く奥州街道の道標。軽トラックの轍が微かの残っているだけで、人が歩いた形跡は感じ取ることができない。
舗装道に出たところにも道標があるので、間違いなく旧街道。
これらの道標は栗原市が設置しているようで、私たちにはあありがたいが、ここを歩く人は非常に少ないだろうから道そのものの整備は十分でないのも仕方ない。
間も無くもう一度舗装路を外れる。今度も軽トラックの跡が僅かの残っているだけ。道標の写真を撮ろうとしてぬかるみに片足を突っ込んでしまい、右の靴が泥だらけに汚れる。
やっと国道に出て築館インター傍で1軒だけ営業中のレストランがあったので昼食にする。その前にガソリンスタンドで洗車ブラシと水を使わせてもらって靴をきれいにする。
ここはレストラン、土産物屋、地場の野菜売り場の入った小さめの道の駅のようなもの。味はまずまず。何より付近のラーメン屋は廃業、焼肉屋は定休日だったので助かった。
国道には東京から414kmの表示。奥州街道を歩き始めたのはいつだっただろうか。
国道を離れて住宅街を抜け、築館(栗原市)の中心街を掠めて国道に戻ったり離れたりしながら市街地を抜け、今日の宿「ホテルグランドプラザ浦島」に到着。事前に計算していたのと違って20km近くの行程になってしまったが、曇天で気温も低めだったために比較的楽に歩き終えることができた。心配していた脚も、支障を感じることもなく,以前と同じような調子を今日1日は維持できた。
ホテルは結婚式場がメインになっているようで、客室は和室で設備も古い。手入れはちゃんと行われているようで不満はない。
夕食は1階レストランで豚しゃぶ、鉄火巻き、稲荷、そばなど。旅館料理としては少なめだが、私たちには十分な量。
他に2組の泊り客がいるようだ。
明日のためにダメを承知で有壁駅近くの旅館に電話してみるが、地震の影響で宿泊客を受け入れていないとのこと。やはり明日は当初の予定通り有壁駅から東北本線で一関へ移動することにして、一関のホテルを予約した。Andrés
andres@nifty.comAdministratorDos Peregrinos
関連
コメントを残す