今日は念願の、インカ帝国時代の道を歩く。最初は3泊4日のコースをとも考えたのだが、野宿で4,000mを超える峠越えもあるので、そこまでの自信はなく、1日コースとした。
ところが昨日、ホテルに着いて急に寒気がし激しい下痢までしてしまったので、これはとてもダメかと思った。それでもとにかく眠れば回復するかもしれないと、夕方5時にはベッドに入った。今朝までよく眠ったので寒気はほぼなくなったが、気分は良くなく下痢も続いている。当前、朝食は全くと言っていいほど食べられない。

6時過ぎにガイドさんが迎えに来てオリャンタイタンボ駅まで車で行き、そこから列車で移動する。

列車内はテーブルがセットされていて、発車後飲物とエンパナーダのサービスがある。

お茶は熱くておいしかったが、ケーキはひとかけら口にできただけ。このまま列車でマチュピチュまで行ってホテルに入ってしまおうかとも思ったが、何とか気分の悪さは治ったので歩くことにする。

104km地点で列車を降り、つり橋でウルバンバ川を渡って対岸のチェックポイントへ。そこでインカ古道ハイクの許可証とパスポートのチェック。そしてガイドさんと3人で歩きはじめる。

上方に遺跡が見えるが、何かを考える余裕もないこのあたりの標高は2,145m。私たちはマチュピチュに2泊するので、そのための着替えや洗面具などを入れたリュックと小さなカバンをそれぞれ持ち、ガイドさんは3人分の昼食の弁当を持っている。

歩きはじめて間もなくきつい上り坂の連続となる。ガイドさんは数百メートル歩いては立ち止まっては小休止し、水を飲むように指示してくれる。しかし間も無く私は数十メートルごとに立ち止まることになる。何しろ昨夜からほとんど食べていないので力が入らないのだ。それでもガイドさんは嫌な顔一つせず、私の小さい方のカバンを自分のリュックに入れてくれ、ゆっくり行こうと言ってくれる。

 

徐々に高度が上がり、ウルバンバ川と、それに沿って走る鉄道が下に小さくなって行く。やがて便意を我慢できなくなって来たので近くにトイレはないかと尋ねると、1時間くらい先だとのこと。左右は崖の急な山道の連続で、わき道にそれることもできない場所で困っていると、ガイドさんは茂みの隙間を見つけてくれ、草を少し払ってBaño de Inka(インカのトイレ)と冗談を言いながら用を足せる場所を作ってくれた。

用を済ませることができ少し楽にはなったが、力の入らないことに変わりはなく、その後も数十メートルごとの小休止を繰り返しながら歩くことになった。

正午にWiñay Waynaに到着。標高は2,650m。ここは4日コースの野営地にもなっているところで、テントが張られ昼食の準備が進められていた。標高が高いため、煮炊きは圧力釜が使われている。私たちは弁当の昼食。私は全く食欲がなく、バナナを1本とミカンを一つ食べられただけ。

食事が終わって、ガイドさんがここから15分くらいのところに遺跡があるがどうするかと尋ねてきた。2度と来れないところなので行ってみることにする。無理して行ってみてよかった。

少し歩くと視界が開け、アンデネス(段々畑)と、その先には建物の跡も見える。

あらためて、こんな山奥の細いインカ道しか通じていない場所に、石垣を積み上げて急坂に畑をつくり貯蔵庫を建て並べた人々の営みに驚く。向こうの山の斜面にはインカ道が続いているのが見えた。

元の道を野営地まで戻り、そこからマチュピチュへの道を歩きはじめる。

それまでの登りの連続とは違って、下りや平坦な部分もあるのでずいぶん楽になった。

道端の花に目をやる余裕も出てきたと思ったら、ヘビに遭遇。

この辺りは毒ヘビも多いので少し気を付けるようにとのこと。

最後に、よじ登ような石段をどうにか越えてIntipunku(太陽の門)に到達。

そしてその先の眼下にはマチュピチュの姿が。時折フラフラしながら、ようやくたどり着いて目にした光景は、これまでに何度も写真やテレビで見たものではあっても、直接自分の眼に入れば、増してや体調の悪い中を歩き続けた後とあれば、やはり息をのむほかなかった。ガイドさんから、おめでとうの握手をしてもらい、私の方からもガイドさんの助けに感謝した。暫く景色を楽しむ。インカ道を歩いてきた人、マチュピチュから登ってきた人たちが、それぞれに眼下の光景を楽しんでいた。

道を下り、遺跡をかすめるようにしてバス停へ。遺跡の見学は明日。バスは次々の発車している。2台目のバスに乗れた。20分ほどで村に到着。

以外に大きな村で、にぎわっている。ガイドさんがホテルへの道筋を少し迷ったが、間もなくホテルに到着。バスルームは日本のビジネスホテルの最も狭い部類と同程度の狭さ。暖房が入るのだけはありがたかった。

夕食は、ガイドさんに教えてもらったレストランで。土産物屋がひしめく一角を抜けて行く。

おなかの調子は悪いままで、食欲もあまりないので、私は野菜スープだけにする。

Ameliaはあまり疲れも見せずに歩き通し、食欲もあって元気だ。助かる。

水分補給にと、帰りがけにアクエリアスを買うが、スポーツ飲料ではなく甘いだけのものだった。部屋に戻ってシャワーを浴び、早めにベッドに入った。
por Andrés
/images/2017/04/P4040590.jpg/images/2017/04/P4040590-150x150.jpgAndrésペルー旅行今日は念願の、インカ帝国時代の道を歩く。最初は3泊4日のコースをとも考えたのだが、野宿で4,000mを超える峠越えもあるので、そこまでの自信はなく、1日コースとした。 ところが昨日、ホテルに着いて急に寒気がし激しい下痢までしてしまったので、これはとてもダメかと思った。それでもとにかく眠れば回復するかもしれないと、夕方5時半にはベッドに入った。今朝までよく眠ったので寒気はほぼなくなったが、気分は良くなく下痢も続いている。当前、朝食は全くと言っていいほど食べられない。 6時過ぎにガイドさんが迎えに来てオリャンタイタンボ駅まで車で行き、そこから列車で移動する。 列車内はテーブルがセットされていて、発車後飲物とエンパナーダのサービスがある。 お茶は熱くておいしかったが、ケーキはひとかけら口にできただけ。このまま列車でマチュピチュまで行ってホテルに入ってしまおうかとも思ったが、何とか気分の悪さは治ったので歩くことにする。 104km地点で列車を降り、つり橋でウルバンバ川を渡って対岸のチェックポイントへ。そこでインカ古道ハイクの許可証とパスポートのチェック。そしてガイドさんと3人で歩きはじめる。 上方に遺跡が見えるが、何かを考える余裕もないこのあたりの標高は2,145m。私たちはマチュピチュに2泊するので、そのための着替えや洗面具などを入れたリュックと小さなカバンをそれぞれ持ち、ガイドさんは3人分の昼食の弁当を持っている。 歩きはじめて間もなくきつい上り坂の連続となる。ガイドさんは数百メートル歩いては立ち止まっては小休止し、水を飲むように指示してくれる。しかし間も無く私は数十メートルごとに立ち止まることになる。何しろ昨夜からほとんど食べていないので力が入らないのだ。それでもガイドさんは嫌な顔一つせず、私の小さい方のカバンを自分のリュックに入れてくれ、ゆっくり行こうと言ってくれる。   徐々に高度が上がり、ウルバンバ川と、それに沿って走る鉄道が下に小さくなって行く。やがて便意を我慢できなくなって来たので近くにトイレはないかと尋ねると、1時間くらい先だとのこと。左右は崖の急な山道の連続で、わき道にそれることもできない場所で困っていると、ガイドさんは茂みの隙間を見つけてくれ、草を少し払ってBaño de Inka(インカのトイレ)と冗談を言いながら用を足せる場所を作ってくれた。 用を済ませることができ少し楽にはなったが、力の入らないことに変わりはなく、その後も数十メートルごとの小休止を繰り返しながら歩くことになった。 正午にWiñay Waynaに到着。標高は2,650m。ここは4日コースの野営地にもなっているところで、テントが張られ昼食の準備が進められていた。標高が高いため、煮炊きは圧力釜が使われている。私たちは弁当の昼食。私は全く食欲がなく、バナナを1本とミカンを一つ食べられただけ。 食事が終わって、ガイドさんがここから15分くらいのところに遺跡があるがどうするかと尋ねてきた。2度と来れないところなので行ってみることにする。無理して行ってみてよかった。 少し歩くと視界が開け、アンデネス(段々畑)と、その先には建物の跡も見える。 あらためて、こんな山奥の細いインカ道しか通じていない場所に、石垣を積み上げて急坂に畑をつくり貯蔵庫を建て並べた人々の営みに驚く。向こうの山の斜面にはインカ道が続いているのが見えた。 元の道を野営地まで戻り、そこからマチュピチュへの道を歩きはじめる。 それまでの登りの連続とは違って、下りや平坦な部分もあるのでずいぶん楽になった。 道端の花に目をやる余裕も出てきたと思ったら、ヘビに遭遇。 この辺りは毒ヘビも多いので少し気を付けるようにとのこと。 最後に、よじ登ような石段をどうにか越えてIntipunku(太陽の門)に到達。 そしてその先の眼下にはマチュピチュの姿が。時折フラフラしながら、ようやくたどり着いて目にした光景は、これまでに何度も写真やテレビで見たものではあっても、直接自分の眼に入れば、増してや体調の悪い中を歩き続けた後とあれば、やはり息をのむほかなかった。ガイドさんから、おめでとうの握手をしてもらい、私の方からもガイドさんの助けに感謝した。暫く景色を楽しむ。インカ道を歩いてきた人、マチュピチュから登ってきた人たちが、それぞれに眼下の光景を楽しんでいた。 道を下り、遺跡をかすめるようにしてバス停へ。遺跡の見学は明日。バスは次々の発車している。2台目のバスに乗れた。20分ほどで村に到着。 以外に大きな村で、にぎわっている。ガイドさんがホテルへの道筋を少し迷ったが、間もなくホテルに到着。バスルームは日本のビジネスホテルの最も狭い部類と同程度の狭さ。暖房が入るのだけはありがたかった。 夕食は、ガイドさんに教えてもらったレストランで。土産物屋がひしめく一角を抜けて行く。 おなかの調子は悪いままで、食欲もあまりないので、私は野菜スープだけにする。 Ameliaはあまり疲れも見せずに歩き通し、食欲もあって元気だ。助かる。 水分補給にと、帰りがけにアクエリアスを買うが、スポーツ飲料ではなく甘いだけのものだった。部屋に戻ってシャワーを浴び、早めにベッドに入った。 por Andrés退職者夫婦の旅と日常(スペイン・旅・留学・巡礼・映画・思索・本・・・)