高橋たか子の著書を読むのは2冊目。1冊目は「高橋和巳の思い出」だが特に印象に残っていない。今回のは2004年に書かれたもの。彼女に何があったのか詳しくは知らないが、この作品の出来はあまりにもひどい。内容以前に日本語が非常に不自然なのだ。外国の有名観光地で売られているガイドブックの一部に見られる日本語、おそらくそれらは日本語の学習がまだ不十分な学生が訳したものなのだろうが、そんなレベルの日本語なのだ。この本の内容の多くもフランス各地のマリア出現の聖地を紹介するもので、大部分は現地で売られている案内書を訳したもの。それはまだ許せるとしても、高橋たか子は作家なのだ。作家なら真っ当な日本語を書けるはずだろう。種本はフランス語なのだろうが、たとえ彼女がフランス語に堪能でなかったとしても、その結果として誤訳が多かったとしても、訳した日本語そのものは真っ当なものになるはずだ。
彼女に何があったのだろうか。老いか、諦めか、限界か、精神の荒廃か。編集者は何故このようなものの出版を許容したのか。
後味の悪い読後だった。

Andrés書籍・雑誌高橋たか子の著書を読むのは2冊目。1冊目は「高橋和巳の思い出」だが特に印象に残っていない。今回のは2004年に書かれたもの。彼女に何があったのか詳しくは知らないが、この作品の出来はあまりにもひどい。内容以前に日本語が非常に不自然なのだ。外国の有名観光地で売られているガイドブックの一部に見られる日本語、おそらくそれらは日本語の学習がまだ不十分な学生が訳したものなのだろうが、そんなレベルの日本語なのだ。この本の内容の多くもフランス各地のマリア出現の聖地を紹介するもので、大部分は現地で売られている案内書を訳したもの。それはまだ許せるとしても、高橋たか子は作家なのだ。作家なら真っ当な日本語を書けるはずだろう。種本はフランス語なのだろうが、たとえ彼女がフランス語に堪能でなかったとしても、その結果として誤訳が多かったとしても、訳した日本語そのものは真っ当なものになるはずだ。 彼女に何があったのだろうか。老いか、諦めか、限界か、精神の荒廃か。編集者は何故このようなものの出版を許容したのか。 後味の悪い読後だった。退職者夫婦の旅と日常(スペイン・旅・留学・巡礼・映画・思索・本・・・)