昨夜はシャワー(湯)を浴び、頭を洗って1時に就寝。今朝は8時前に起床。昨日買ったサンドイッチを食べ、レオンへ。
煙草について。昨日買ったのはDIAMANTE negro。これは固い箱で、箱のデザインも黒と灰(銀)で感じの良いもの。しかし味の方はちょっと臭みが強く、あまりいただけない。値段は12pts.約40円弱と非常に安い。今日買ったのはExtra JAEN 20pts.。こちらは紙箱(やわらかい)で赤(橙)。デザインはあまり良くないが、味はまあまあ、日本で一度喫ったスペイン煙草があまりにまずかったので心配していたが、これなら何とか喫えそう。パリを発つ時に買ったフランス煙草フランセーズはDIAMANTEと同じく、臭くてまずかった。
ミランダ・デ・エブロ9時50分発に乗るつもりて駅で待つが、列車がなかなか来ない。心配になってホームが違うのではないかと思い、売店の女の子にたずねるが、分からない様子。配偶者が駅員に聞くと、私達が待っていた1番線ではなく、2番線だとのこと。しかし2番線には電気機関車とディーゼル機関車が停まっている。やっと1時間程遅れて列車が来る。すると先程の駅員が来て、ブルゴスはこっちだと教えてくれる。なるほど列車はここで切り離されて二つに分かれる。10時57分に発車。一等車。コンパートメントではなく普通の座席。横は勿論、前後も非常にゆったりしていて脚が充分に伸ばせる。
昨日、今日と内陸部を南下するにしたがい、風景が変化してくる。海岸に近い方は緑も濃く樹木も多いので、山容も日本の本州と見分けがつかないほどで、ポツンとある村や家がスペインらしさを見せているだけ。やがて木が少なくなり、なだらかな丘を緑の草が覆うようになる。これは北海道に似ている。それを過ぎるともともとこんな色かどうかは分からないが、黄色の牧草が平原や丘の斜面を覆い、相当乾燥している様子になる。たまにスプリンクラーで水を撒いている所だけは緑の畑になっている。そして遠くの山も木がまばらになり、所々白い土あるいは岩が露出している。それでも川のそばには林があり、並木のようになっているところもある。
ブルゴスの町は通過しただけだが、何の変てつもない地方都市。Venta de Banosに着いたのは12時30分頃。
駅前のレストランで食事。ワインを頼むと大ビンが1本出てきてとても2人では飲みきれないので、水筒に入れる。水筒満杯。食事が次々に出てくるというわけには行かず、13時50分の列車に乗れるかどうか心配になり、ウェイターの老人にその旨話し、急いでもらう。勘定をしてもらうが、計算が合わない。紙には 716pts.と書いてあるのに、1000pts.札を出すと500pts.札と15ペセタのおつりが返ってくる。チップに用意した25ペセタと15ペセタを渡し札をもらうが、どんな計算をしたのだろうか。
駅に戻るとホームに列車が入っており、ギリギリで間に合う。座席は満員。デッキに立って行く。
定刻通り15時12分にレオン着。駅で荷物を預けようとするが、荷物預かり所はあるのに営業していない。しかもコインロッカーもあるのにこれも使用していない。重い荷物を持って歩き回るのかと思うと頭に来て、一度に疲れが出る。駅は町はずれにあるようで、1km程歩いて中心に行き、カテドラル近くのツーリスモで案内図をもらう。ツーリスモのおじさんは同じ仕事の繰り返しに飽き飽きした様子で応対。
カテドラル。ここはステンドグラスの美しさで有名なものだが、中に入ると確かにその美しさ、規模の大きさ、精巧さに圧倒される。一巡りしてから三脚を使って写真を撮る。ところがカメラは列車の中でフィルムを1本撮り終えたのでフィルムの入れ替をやったのだが、フィルムを抜いても枚数を表示する部分が元に戻らず「36」になりっぱなしなのだ。何回かやり直してみたがどうにもならない。仕方がないのでそのまま新しいフィルムを入れる。これで枚数を覚えておかなければならなくなる。
カテドラルを出てサン・イシドロ寺院へ。こちらは正面の壁画が良い。カテドラルは観光客が沢山いたが、イシドロの方は実際に祈っている人が多く、見物しにくい雰囲気。イシドロの横の建物の壁にCNTの落書。今までではサン・セバスチャンが落書は一番多いような気がする。
広場に戻り、カフェテラスでレモネードを飲み、ノートを書く。写真の枚数は現在12~13枚位だろう。この広場の噴水は大量の水を勢いよく出しており、いかにも涼しそう。このレオンの町は暑い。昨日まで歩いた北海岸の日向と比べて一段と日差しが強い。それでも日陰は過ごしやすいので助かるし、汗もほとんどかかない。
道を歩く人々。背はそんなに高くはない。平均すれば日本人より高いだろうが、大男がぞろぞろというわけではないので、圧倒されることもない。私と同程度の人が多い。髪は金、黒、茶と色々。全体に男も女も太った人が多く、中年前、もう20代では太り出している。特に女性は。
ガウディの建物を見に行く。外見だけだがそれ程異様な感じは受けなかった。
歩いてサンタ・アナ区へ。広場からはちょっとある。歩くうちに少しずつ町並みがみすぼらしくなり、歩く人々の様子も労働者風になり、観光客などは見かけなくなる。サンタ・アナ区はそんな町はずれの一画にある、朽ちかけたアパートの見られる所。
サンタ・アナ区のボロアパート群。ここがドゥルティの生まれた所。確かにそこはドゥルティが生まれたに相応しく見える。今もそこに住む人々は労働者である。ドゥルティの生地をこんなにはっきりと確認出来るとは思っていなかった。サンタ・アナ区と言ってももっと広い一画だと予想していたら、本当に狭い所で、アパートもほんの数軒。これなら「ここだ」という実感を持てる。ついに来た。来られるとは思えなかったところに来られた。そこはドゥルティの生まれた時代からずっと労働者街だったのだろう。
しかしそこも近代化の波の中に飲まれようとしている。すぐ裏の方には新しいアパートが建てられており、またサンタ・アナ区の一つのアパートは廃屋となって取り壊しを待っている。それでもそこは町はずれの、まさに町の尽きようとするところであり、その先は荒廃の地のように見える。
駅方向へ戻る途中、公園で休む。夕方の公園には家族連れが沢山出て、大人達はベンチで休み、子供達は遊び回っている。男の子達は陣取り合戦、女の子達は縄跳び、ゴム跳び、赤ん坊はヨチヨチ歩き。暑く汚れたアパートを出て、公園で涼もうというのだろう。
駅方向へ戻り、橋を渡ってすぐのホテルのレストランで夕食。スペイン人の団体さんが食事中。食後、駅に行って列車の時刻を確認し、再び橋近くの公園に行ってベンチで休む。街灯が点いて明るいが川の臭いが強烈で、人はほとんどいない。他に移動しようかとも考えたが、疲れているので我慢する。臭いなどはすぐ慣れるはず。水筒に入れたワインを少し飲む。ドイツ人らしき二人連れが寄って来て英語で話しかけてきたが、あまりよく分からない。彼らはすぐに離れて行き、向こうの芝生に寝転がった模様。
ベンチで列車の時間まで眠ろうとするが、寒くなってきてとても眠れたものではない。仕方ないので駅に行く。駅のベンチをさがすがホームにしかなく、しかもみんなふさがっているので、待合室で待つことにする。ここは外と比べて暖かいが、ベンチがないのでコンクリートの床に座り込む。冷たいコンクリートから冷気が伝わり、固さでおしりが痛くなるが、どう仕様もない。アノラックを着込んでいても寒い。それでも時々はウトウト出来る。午前2時23分の列車まで3時間程をこうして過ごす。真夜中だというのにレオン駅は結構人が多い。
Andrésスペイン旅行昨夜はシャワー(湯)を浴び、頭を洗って1時に就寝。今朝は8時前に起床。昨日買ったサンドイッチを食べ、レオンへ。 煙草について。昨日買ったのはDIAMANTE negro。これは固い箱で、箱のデザインも黒と灰(銀)で感じの良いもの。しかし味の方はちょっと臭みが強く、あまりいただけない。値段は12pts.約40円弱と非常に安い。今日買ったのはExtra JAEN 20pts.。こちらは紙箱(やわらかい)で赤(橙)。デザインはあまり良くないが、味はまあまあ、日本で一度喫ったスペイン煙草があまりにまずかったので心配していたが、これなら何とか喫えそう。パリを発つ時に買ったフランス煙草フランセーズはDIAMANTEと同じく、臭くてまずかった。 ミランダ・デ・エブロ9時50分発に乗るつもりて駅で待つが、列車がなかなか来ない。心配になってホームが違うのではないかと思い、売店の女の子にたずねるが、分からない様子。配偶者が駅員に聞くと、私達が待っていた1番線ではなく、2番線だとのこと。しかし2番線には電気機関車とディーゼル機関車が停まっている。やっと1時間程遅れて列車が来る。すると先程の駅員が来て、ブルゴスはこっちだと教えてくれる。なるほど列車はここで切り離されて二つに分かれる。10時57分に発車。一等車。コンパートメントではなく普通の座席。横は勿論、前後も非常にゆったりしていて脚が充分に伸ばせる。 昨日、今日と内陸部を南下するにしたがい、風景が変化してくる。海岸に近い方は緑も濃く樹木も多いので、山容も日本の本州と見分けがつかないほどで、ポツンとある村や家がスペインらしさを見せているだけ。やがて木が少なくなり、なだらかな丘を緑の草が覆うようになる。これは北海道に似ている。それを過ぎるともともとこんな色かどうかは分からないが、黄色の牧草が平原や丘の斜面を覆い、相当乾燥している様子になる。たまにスプリンクラーで水を撒いている所だけは緑の畑になっている。そして遠くの山も木がまばらになり、所々白い土あるいは岩が露出している。それでも川のそばには林があり、並木のようになっているところもある。 ブルゴスの町は通過しただけだが、何の変てつもない地方都市。Venta de Banosに着いたのは12時30分頃。 駅前のレストランで食事。ワインを頼むと大ビンが1本出てきてとても2人では飲みきれないので、水筒に入れる。水筒満杯。食事が次々に出てくるというわけには行かず、13時50分の列車に乗れるかどうか心配になり、ウェイターの老人にその旨話し、急いでもらう。勘定をしてもらうが、計算が合わない。紙には 716pts.と書いてあるのに、1000pts.札を出すと500pts.札と15ペセタのおつりが返ってくる。チップに用意した25ペセタと15ペセタを渡し札をもらうが、どんな計算をしたのだろうか。 駅に戻るとホームに列車が入っており、ギリギリで間に合う。座席は満員。デッキに立って行く。 定刻通り15時12分にレオン着。駅で荷物を預けようとするが、荷物預かり所はあるのに営業していない。しかもコインロッカーもあるのにこれも使用していない。重い荷物を持って歩き回るのかと思うと頭に来て、一度に疲れが出る。駅は町はずれにあるようで、1km程歩いて中心に行き、カテドラル近くのツーリスモで案内図をもらう。ツーリスモのおじさんは同じ仕事の繰り返しに飽き飽きした様子で応対。 カテドラル。ここはステンドグラスの美しさで有名なものだが、中に入ると確かにその美しさ、規模の大きさ、精巧さに圧倒される。一巡りしてから三脚を使って写真を撮る。ところがカメラは列車の中でフィルムを1本撮り終えたのでフィルムの入れ替をやったのだが、フィルムを抜いても枚数を表示する部分が元に戻らず「36」になりっぱなしなのだ。何回かやり直してみたがどうにもならない。仕方がないのでそのまま新しいフィルムを入れる。これで枚数を覚えておかなければならなくなる。 カテドラルを出てサン・イシドロ寺院へ。こちらは正面の壁画が良い。カテドラルは観光客が沢山いたが、イシドロの方は実際に祈っている人が多く、見物しにくい雰囲気。イシドロの横の建物の壁にCNTの落書。今までではサン・セバスチャンが落書は一番多いような気がする。 広場に戻り、カフェテラスでレモネードを飲み、ノートを書く。写真の枚数は現在12~13枚位だろう。この広場の噴水は大量の水を勢いよく出しており、いかにも涼しそう。このレオンの町は暑い。昨日まで歩いた北海岸の日向と比べて一段と日差しが強い。それでも日陰は過ごしやすいので助かるし、汗もほとんどかかない。 道を歩く人々。背はそんなに高くはない。平均すれば日本人より高いだろうが、大男がぞろぞろというわけではないので、圧倒されることもない。私と同程度の人が多い。髪は金、黒、茶と色々。全体に男も女も太った人が多く、中年前、もう20代では太り出している。特に女性は。 ガウディの建物を見に行く。外見だけだがそれ程異様な感じは受けなかった。 歩いてサンタ・アナ区へ。広場からはちょっとある。歩くうちに少しずつ町並みがみすぼらしくなり、歩く人々の様子も労働者風になり、観光客などは見かけなくなる。サンタ・アナ区はそんな町はずれの一画にある、朽ちかけたアパートの見られる所。 サンタ・アナ区のボロアパート群。ここがドゥルティの生まれた所。確かにそこはドゥルティが生まれたに相応しく見える。今もそこに住む人々は労働者である。ドゥルティの生地をこんなにはっきりと確認出来るとは思っていなかった。サンタ・アナ区と言ってももっと広い一画だと予想していたら、本当に狭い所で、アパートもほんの数軒。これなら「ここだ」という実感を持てる。ついに来た。来られるとは思えなかったところに来られた。そこはドゥルティの生まれた時代からずっと労働者街だったのだろう。 しかしそこも近代化の波の中に飲まれようとしている。すぐ裏の方には新しいアパートが建てられており、またサンタ・アナ区の一つのアパートは廃屋となって取り壊しを待っている。それでもそこは町はずれの、まさに町の尽きようとするところであり、その先は荒廃の地のように見える。 駅方向へ戻る途中、公園で休む。夕方の公園には家族連れが沢山出て、大人達はベンチで休み、子供達は遊び回っている。男の子達は陣取り合戦、女の子達は縄跳び、ゴム跳び、赤ん坊はヨチヨチ歩き。暑く汚れたアパートを出て、公園で涼もうというのだろう。 駅方向へ戻り、橋を渡ってすぐのホテルのレストランで夕食。スペイン人の団体さんが食事中。食後、駅に行って列車の時刻を確認し、再び橋近くの公園に行ってベンチで休む。街灯が点いて明るいが川の臭いが強烈で、人はほとんどいない。他に移動しようかとも考えたが、疲れているので我慢する。臭いなどはすぐ慣れるはず。水筒に入れたワインを少し飲む。ドイツ人らしき二人連れが寄って来て英語で話しかけてきたが、あまりよく分からない。彼らはすぐに離れて行き、向こうの芝生に寝転がった模様。 ベンチで列車の時間まで眠ろうとするが、寒くなってきてとても眠れたものではない。仕方ないので駅に行く。駅のベンチをさがすがホームにしかなく、しかもみんなふさがっているので、待合室で待つことにする。ここは外と比べて暖かいが、ベンチがないのでコンクリートの床に座り込む。冷たいコンクリートから冷気が伝わり、固さでおしりが痛くなるが、どう仕様もない。アノラックを着込んでいても寒い。それでも時々はウトウト出来る。午前2時23分の列車まで3時間程をこうして過ごす。真夜中だというのにレオン駅は結構人が多い。退職者夫婦の旅と日常(スペイン・旅・留学・巡礼・映画・思索・本・・・)