13:50

19日(木)は8時半起床。仕度をして9時10分に宿を出て車でアルガマシージャ・デ・アルバの町中へ行く。車を停め、ツーリスモは休みだが、その隣が役場のような感じなので行ってみることにする。近くにオジサンがいたので「クエバ・デ・メデラーナ」はどこかと尋ねると、連れて行こうと一緒に歩き出す。すると向こうから掃除夫のオジサンがやって来て、先の男がこの掃除人に何か話し、今後はこの掃除人が私達を連れて行ってくれることになる。

ほんの数百mのところにクエバはあるが、入口の鍵が閉まっていて入れない。近くの家の前で老女と掃除人が何か話す。何かお祭りがあったためにクエバは閉められていて入れないとのこと。老女は家の中から箱を持ち出し、絵葉書と本を二冊見せてくれる。そこにはクエバの中の様子や町の様子が写されていて、昨日二度目に行って断わられた宿もあり、何か有名な建物らしい。本を一冊買ってから掃除人にチップを渡して別れ、クエバの入口だけでも写真に撮ろうと思ってクエバ前に行ってみると、ちょうど青年がやってきて入口のカギを開けてくれる。中に入ると広い中庭があり、沢山の椅子とテーブルがあってバルになっており、前夜の食べたり飲んだりした後のビンや食器が片づけられずに残っていて、またステージもあり、どうもここが前夜聞こえた音楽や騒ぎの源だったらしい。しばらくして先の老女が地下室への入口のカギを持ってきて開けてくれ、やっとクエバに入ることができた。

中はたぶん嘘ではあろうが、セルバンテスが入れられたということになっていて、机・椅子が置いてあり、さらにもう一つ下の地下にはドン・キホーテに関係する人物の像が置かれてあった。

クエバを出て車の所に戻る途中、案内してくれた掃除人を見かけるが、クエバの中を見られなかったと思って悪いことをしたと感じているのか、こちらをできるだけ見ないようにして公園の掃除をしていた。

10時半ごろアルガマシージャ・デ・アルバを出発して40分程でカンポ・デ・クリプターナに着く。

町から数km離れた所から、町の背後の丘の上に立つ風車がいくつも見える。町中に入ると風車の絵の矢印があって、それに従って進むと丘の上の風車にたどり着く。

一つの風車の影に車を停める。

入口が開いている風車は一つだけで、その影では村の老人(中年の男もいる)たちがベンチを置いてカードをしたりおしゃべりをしたりしている。この時間にやっているということは、恐らく一日中こうして暇をつぶしているのだろう。日影は丘の上ということもあって風が通り、過ごしやすい。風車の中はほんの少し土産物が並べられているだけで、粉ひきの道具があるわけでもなく、何ということはない。壁に外国の絵葉書が貼ってあったが、そのうちの半分位は雪まつり等の日本のもの。これらの風車は観光用に新しくつくったものだが、

300m程離れた所には崩れた風車小屋があるので行ってみる。壁は1mの厚さで、上半分は完全に崩れ落ちていて、もちろん風車はない。私達がそこにいた1時間近くの間に観光客は2組ほどしか来なかった。

カンポ・デ・クリプターナから今度は、アルカサール・デ・サンファンへ向かう。

14:30

 

18:00

アルカサール・デ・サンファンの町に入ると町の中心で祭りでもやるらしく、警官が出て交通規制をしている。一人の警官にアルカサールの場所を尋ねると、最初はこの町の名と勘違いしたらしく、しきりにここだと言うが、やがて分ってくれて、若い警官を呼び案内させてくれる。若い警官の歩く後ろを車でついて行くと、2~300mで広場に出、立派な建物の前に駐車させられ、建物の中に連れて行かれる。玄関を入って大きな階段を昇って1階(2階)のオフィスへ。そこの中年の女性職員に何か話してくれる。微笑で応対してしばらく待つようにと言われる。警官はそこで仕事に戻るので配偶者が紙人形をわたすとニッコリ喜んで握手をして別れる。オフィスの外でしばらく待つとヒョロリと背の高い青年が現れる。あやつり人形のような歩き方の男。この青年が私達を案内してくれる。4~500m歩いて最初に連れて行かれたのはモザイクを展示してあるところ。1世紀のローマ時代のものとのことで、机の上には復元中のものも置かれていて、作業場も兼ねているらしい。中庭にはブドウ棚があり、青年がまだ早くておいしくはないがと言って一つもいでくれる。その後、向い側にある塔に連れて行ってくれる。ここには絵や古い道具類が展示してあるが、大したものではない。塔の頂上まで登り見せてくれる。そこを出てその中央に戻り、図書館に入ってこの町のパンフレットをくれ、ポスターを見せてほしいかときくので、ほしいと言うと、また最初の大きな建物(市庁舎らしい)に行き、どこかでポスターを手に入れてきてくれる。

この日、このアルカサール・デ・サンファンの町では自転車競技大会が開かれている。市庁舎を出た所で青年は私達に何か言って去って行った。わけも分らず見ていると彼は広場の反対側の人波の中に入り、レースのコースを見ている。

やがてパトカーや白バイがコースを走って来たので、私達もゴール付近に行ってみる。中継も行なわれており、ゴールの向こうにはミス何とからしい女性も待っている。やがてすごいスピードで自転車の一団がゴールイン。先頭と最後の間には1分の差もなかったよう。その数は数十台。私達を案内してくれた青年は恐らくこの町の図書館か博物館の職員なのだろうが、自転車レースのことが気になっているにもかかわらず、親切に、誰も訪れることがなくすべて鍵のかかっている所を案内してくれた。道すがら配偶者が日本のことを何か知っているかときくと、原爆のことを知っていると言っていた。

次にエル・トボソに向かう。30分程でエル・トボソの村に着くが何の表示もなく、「ベンタ・ドン・キホーテ」への表示があったので行ってみる。5km先。 ベンタは見つかったが、閉まっているので再びエル・トボソへ戻る。もう一度村を一回りしてみるが、閑散として寂れた村。ここにあるという「ドゥルシネアの家」は当然偽物なので特にさがそうという気にもなれず、村を去る。アランフェスへ向かい、途中のキンタナールの町の近くのドライブインで昼食。

昼食後、再び走り始めるが、眠くて仕方がない。何とか走っていれば眠気も去るだろうと思っていたが、時速100㎞で走っていてもウトウトしてくる。

これでは危険なので、道端に車で入れるオリーブ畑があったので中に入り込み、オリーブの樹陰に車を停めて仮眠する。ずい分眠った様な気がしたが、眠っていたのはほんの20分ほどらしい。日向の猛烈な暑さに比べて樹陰は何とか眠れる程度には涼しい。しかし回りにゴミが沢山捨てられていて、ハエが多くてかなわない。

再び走り、やがてNⅣ号線に出てアランフェスに着く。ここは王宮内を国道が通り抜けている。着いたのは6時ごろ。王宮内で駐車場があったので停めると、老人がやってきていくらでもいいから払えというので50pts わたし、歩き出す。どこがどうなっているか分らずに歩いて行くと庭園に出る。ここを見るのは後にして反対側に回ると、宮殿の出入口がある。しかし扉は閉まっていて、開いたと思ったらゾロゾロ観光客が出てきて、もう終わりらしい。内部の見学はあきらめ、光の庭園(イスラの庭園)に行く。タホ川が豊富な水を流し、堰になっている所では何人かが泳いだり、堰の斜面を滑って遊んだりしている。しかし公園内の噴水はほとんど水が止めてある。しばらく歩き回るが、水の出ていない噴水を見てもつまらないし、これから出発すればマドリーに8時前に着けそうなので帰ることにする。

国道でスピードを上げ、迷うことなくマドリーのATESAの事務所に着いたのは7時45分。しかし8時までだと思った事務所は7時半までで、もう職員は帰ってしまっている。車を借りる時は、裏の地下駐車場から車を出してきたので、そこに車を置くことにする。入って行くと駐車場の職員が、ATESAの手続きもここでできると私達が誤解していると思ったのか、少々もめるが、何とか了解してもらって翌朝まで駐車することができる。近くのカフェでクーラーで涼み、宿に戻る。大きな荷物は前々日に置いた所にそのままある。前の隣の部屋に入り、シャワーを浴びる。10時半ごろマヨール広場に行き、カフェで配偶者はビール、私はカフェ・コン・イエロとジャガイモのトマトケチャップかけとイカリングで夕食にする。ここで夜中の12時過ぎまで日記を書き、宿に戻ってからも又、日記を書いて、1時15分に就寝。

昨日(20日)は8時半起床。すぐに仕度をすませ、9時ごろ出発。ATESAに行って車の返却手続をする。15,000pts預けていたうちから3,000ptsほど返ってくる。本屋の近くのZAHARAというカフェに行く。

朝食セットがあり、65、80、100、140ptsの 4種のセットのうち100ものを頼む。オレンジジュース、カフェ・コン・レーチェ、パンのセット。

朝食後、シベーレス広場近くのRENFE事務所に行き、バルセローナ行きの切符を買う。今度は日付を間違えないようによく確かめてやる。時刻表が手に入っていたので簡単にすむ。ここは窓口も多く、しかもその大部分が開いているので、ほとんど並んで待つこともなく買える。それから待望のプラド美術館別館にゲルニカを見に行く。別館に着いてみると切符は本館・別館・ゲルニカの三つ一組のものしかなく、200ptsで購入。別館は19世代絵画の展示であまり見るべきものはなかったのでサッと回って終わり、裏に回って「ゲルニカ」館に入る。ここではカメラはもちろん預けさせられるが、私のバッグも三脚が入っていたためか預けさせられる。入口には空港と同様の関門があり、警備が厳しい。入るとまず「ゲルニカ」制作のためにピカソが描いた下絵・スケッチ類が順を追って展示してある。これを見るとピカソがどのように構想を練り、変えていったか、どの部分に力を入れたかがよく分る。その奥の広い部屋に「ゲルニカ」が展示してある。すばらしい。一番後方に椅子はあるが、そこからでは見えないので、一番前の方に出、床に座り込んでしばらく見続ける。無彩色のみで描かれた絵。思っていたよりも線などが雑な描かれ方をしているが、そこに描かれた死んだ子供もそれを抱く母も、傷ついた女も灯を差し出す女も死んだ兵士も最後のいななきをあげている馬も皆、悲しみ、苦しみ、灯を差し出す女はこれを見よと訴えている。そして牛だけが何とも言い様のない表情で突っ立っている。この牛の眼は、遠くの理想をみつめているようでもあり、絶望の空虚を現わしているようでもあり、「あなたはどうなのか?」と問いかけるようにこちらを見ているようでもある。次の部屋に行って再び「ゲルニカ」制作過程のデッサンや「フランコの夢と嘘」を見て、もう一度「ゲルニカ」 を見に戻る。ここはことのほか警備が厳重で「ゲルニカ」は絵から3m以上も間を置いた厚いガラスに囲まれ、いくつものテレビカメラが監視し、ガラスの横には警備員がいて、このガラスから3m以内まで近づくとすぐにこの警備員が近づいてきて離れるようにと言われる。フランコ派の連中による襲撃を警戒しているのだろうが、ゴヤでもベラスケスでも触れようと思えば簡単に触れられるような形で展示してあるこのスペインで、この「ゲルニカ」はあまりにも特別である。

私が前の方で「ゲルニカ」をゆっくり見ている間に配偶者は後方の椅子に座り日本人の女性と話をはじめている。スペインのフリータイム10日間のツアーで来た人で、トレド、バルセローナを見てきたとのこと。「ゲルニカ」は大阪万博、ニューヨーク以来3回目とのこと。ゴヤのパンテオンを教えて別れる。

やっとめぐり会えた「ゲルニカ」は期待通りの感動を得られた。あれはやはり屋外を描いたもの。

グランビアへ戻る途中の安いレストランで昼食をすませ、道のベンチに座って太った人の数をかぞえたりしてから4時に「カサ・デ・リブロ」という本屋へ行くが、4時半まで昼休み。近くのデパートに行って売場を見て回り、4時40分ごろ本屋へ行く。ロルカの詩集を買い、1階(2階)で幼児向けの本や性教育の本を買い、2階でスペイン戦争時の「ABC」紙の縮刷版全10巻とマンガ等を買って船便で送る。店員の態度が悪く、イヤな感じだ。

デパート・コルテ・イングレスに行って配偶者は土産にと変な安物の化粧品を買う。最上階のカフェで休憩。チョコラーテを飲む。ここのチョコラーテはバルセローナのコルテ・イングレス同様、ドロッとしていて大変に濃い。デパート脇の道は歩行者専用になっていて、ここにはジプシーの子供達が何組も、それぞれ下手なフラメンコのギターや踊りでお金をかせいでいる。またヒッピーの様な連中が小間物屋を開いたりしていて、以前のマヨール広場がこちらに移ったような感じになっている。

この日は曇っていて、朝にはほんの微かだが雨まで降ってあまり暑くならず過ごしやすかったのだが、疲れがひどいので早目に宿に帰って一眠りすることにする。8時ごろ宿に着き、すぐにベッドに入る。2時間ほどで起きるつもりだったが、目がさめれて時計を見たら夜中の1時半。外は相変わらず騒がしいが、起きて外出する気にもならず、そのまま眠り続ける。

19:50

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町から数km離れた所から、町の背後の丘の上に立つ風車がいくつも見える。町中に入ると風車の絵の矢印があって、それに従って進むと丘の上の風車にたどり着く。 一つの風車の影に車を停める。 入口が開いている風車は一つだけで、その影では村の老人(中年の男もいる)たちがベンチを置いてカードをしたりおしゃべりをしたりしている。この時間にやっているということは、恐らく一日中こうして暇をつぶしているのだろう。日影は丘の上ということもあって風が通り、過ごしやすい。風車の中はほんの少し土産物が並べられているだけで、粉ひきの道具があるわけでもなく、何ということはない。壁に外国の絵葉書が貼ってあったが、そのうちの半分位は雪まつり等の日本のもの。これらの風車は観光用に新しくつくったものだが、 300m程離れた所には崩れた風車小屋があるので行ってみる。壁は1mの厚さで、上半分は完全に崩れ落ちていて、もちろん風車はない。私達がそこにいた1時間近くの間に観光客は2組ほどしか来なかった。 カンポ・デ・クリプターナから今度は、アルカサール・デ・サンファンへ向かう。 14:30   18:00 アルカサール・デ・サンファンの町に入ると町の中心で祭りでもやるらしく、警官が出て交通規制をしている。一人の警官にアルカサールの場所を尋ねると、最初はこの町の名と勘違いしたらしく、しきりにここだと言うが、やがて分ってくれて、若い警官を呼び案内させてくれる。若い警官の歩く後ろを車でついて行くと、2~300mで広場に出、立派な建物の前に駐車させられ、建物の中に連れて行かれる。玄関を入って大きな階段を昇って1階(2階)のオフィスへ。そこの中年の女性職員に何か話してくれる。微笑で応対してしばらく待つようにと言われる。警官はそこで仕事に戻るので配偶者が紙人形をわたすとニッコリ喜んで握手をして別れる。オフィスの外でしばらく待つとヒョロリと背の高い青年が現れる。あやつり人形のような歩き方の男。この青年が私達を案内してくれる。4~500m歩いて最初に連れて行かれたのはモザイクを展示してあるところ。1世紀のローマ時代のものとのことで、机の上には復元中のものも置かれていて、作業場も兼ねているらしい。中庭にはブドウ棚があり、青年がまだ早くておいしくはないがと言って一つもいでくれる。その後、向い側にある塔に連れて行ってくれる。ここには絵や古い道具類が展示してあるが、大したものではない。塔の頂上まで登り見せてくれる。そこを出てその中央に戻り、図書館に入ってこの町のパンフレットをくれ、ポスターを見せてほしいかときくので、ほしいと言うと、また最初の大きな建物(市庁舎らしい)に行き、どこかでポスターを手に入れてきてくれる。 この日、このアルカサール・デ・サンファンの町では自転車競技大会が開かれている。市庁舎を出た所で青年は私達に何か言って去って行った。わけも分らず見ていると彼は広場の反対側の人波の中に入り、レースのコースを見ている。 やがてパトカーや白バイがコースを走って来たので、私達もゴール付近に行ってみる。中継も行なわれており、ゴールの向こうにはミス何とからしい女性も待っている。やがてすごいスピードで自転車の一団がゴールイン。先頭と最後の間には1分の差もなかったよう。その数は数十台。私達を案内してくれた青年は恐らくこの町の図書館か博物館の職員なのだろうが、自転車レースのことが気になっているにもかかわらず、親切に、誰も訪れることがなくすべて鍵のかかっている所を案内してくれた。道すがら配偶者が日本のことを何か知っているかときくと、原爆のことを知っていると言っていた。 次にエル・トボソに向かう。30分程でエル・トボソの村に着くが何の表示もなく、「ベンタ・ドン・キホーテ」への表示があったので行ってみる。5km先。 ベンタは見つかったが、閉まっているので再びエル・トボソへ戻る。もう一度村を一回りしてみるが、閑散として寂れた村。ここにあるという「ドゥルシネアの家」は当然偽物なので特にさがそうという気にもなれず、村を去る。アランフェスへ向かい、途中のキンタナールの町の近くのドライブインで昼食。 昼食後、再び走り始めるが、眠くて仕方がない。何とか走っていれば眠気も去るだろうと思っていたが、時速100㎞で走っていてもウトウトしてくる。 これでは危険なので、道端に車で入れるオリーブ畑があったので中に入り込み、オリーブの樹陰に車を停めて仮眠する。ずい分眠った様な気がしたが、眠っていたのはほんの20分ほどらしい。日向の猛烈な暑さに比べて樹陰は何とか眠れる程度には涼しい。しかし回りにゴミが沢山捨てられていて、ハエが多くてかなわない。 再び走り、やがてNⅣ号線に出てアランフェスに着く。ここは王宮内を国道が通り抜けている。着いたのは6時ごろ。王宮内で駐車場があったので停めると、老人がやってきていくらでもいいから払えというので50pts わたし、歩き出す。どこがどうなっているか分らずに歩いて行くと庭園に出る。ここを見るのは後にして反対側に回ると、宮殿の出入口がある。しかし扉は閉まっていて、開いたと思ったらゾロゾロ観光客が出てきて、もう終わりらしい。内部の見学はあきらめ、光の庭園(イスラの庭園)に行く。タホ川が豊富な水を流し、堰になっている所では何人かが泳いだり、堰の斜面を滑って遊んだりしている。しかし公園内の噴水はほとんど水が止めてある。しばらく歩き回るが、水の出ていない噴水を見てもつまらないし、これから出発すればマドリーに8時前に着けそうなので帰ることにする。 国道でスピードを上げ、迷うことなくマドリーのATESAの事務所に着いたのは7時45分。しかし8時までだと思った事務所は7時半までで、もう職員は帰ってしまっている。車を借りる時は、裏の地下駐車場から車を出してきたので、そこに車を置くことにする。入って行くと駐車場の職員が、ATESAの手続きもここでできると私達が誤解していると思ったのか、少々もめるが、何とか了解してもらって翌朝まで駐車することができる。近くのカフェでクーラーで涼み、宿に戻る。大きな荷物は前々日に置いた所にそのままある。前の隣の部屋に入り、シャワーを浴びる。10時半ごろマヨール広場に行き、カフェで配偶者はビール、私はカフェ・コン・イエロとジャガイモのトマトケチャップかけとイカリングで夕食にする。ここで夜中の12時過ぎまで日記を書き、宿に戻ってからも又、日記を書いて、1時15分に就寝。 昨日(20日)は8時半起床。すぐに仕度をすませ、9時ごろ出発。ATESAに行って車の返却手続をする。15,000pts預けていたうちから3,000ptsほど返ってくる。本屋の近くのZAHARAというカフェに行く。 朝食セットがあり、65、80、100、140ptsの 4種のセットのうち100ものを頼む。オレンジジュース、カフェ・コン・レーチェ、パンのセット。 朝食後、シベーレス広場近くのRENFE事務所に行き、バルセローナ行きの切符を買う。今度は日付を間違えないようによく確かめてやる。時刻表が手に入っていたので簡単にすむ。ここは窓口も多く、しかもその大部分が開いているので、ほとんど並んで待つこともなく買える。それから待望のプラド美術館別館にゲルニカを見に行く。別館に着いてみると切符は本館・別館・ゲルニカの三つ一組のものしかなく、200ptsで購入。別館は19世代絵画の展示であまり見るべきものはなかったのでサッと回って終わり、裏に回って「ゲルニカ」館に入る。ここではカメラはもちろん預けさせられるが、私のバッグも三脚が入っていたためか預けさせられる。入口には空港と同様の関門があり、警備が厳しい。入るとまず「ゲルニカ」制作のためにピカソが描いた下絵・スケッチ類が順を追って展示してある。これを見るとピカソがどのように構想を練り、変えていったか、どの部分に力を入れたかがよく分る。その奥の広い部屋に「ゲルニカ」が展示してある。すばらしい。一番後方に椅子はあるが、そこからでは見えないので、一番前の方に出、床に座り込んでしばらく見続ける。無彩色のみで描かれた絵。思っていたよりも線などが雑な描かれ方をしているが、そこに描かれた死んだ子供もそれを抱く母も、傷ついた女も灯を差し出す女も死んだ兵士も最後のいななきをあげている馬も皆、悲しみ、苦しみ、灯を差し出す女はこれを見よと訴えている。そして牛だけが何とも言い様のない表情で突っ立っている。この牛の眼は、遠くの理想をみつめているようでもあり、絶望の空虚を現わしているようでもあり、「あなたはどうなのか?」と問いかけるようにこちらを見ているようでもある。次の部屋に行って再び「ゲルニカ」制作過程のデッサンや「フランコの夢と嘘」を見て、もう一度「ゲルニカ」 を見に戻る。ここはことのほか警備が厳重で「ゲルニカ」は絵から3m以上も間を置いた厚いガラスに囲まれ、いくつものテレビカメラが監視し、ガラスの横には警備員がいて、このガラスから3m以内まで近づくとすぐにこの警備員が近づいてきて離れるようにと言われる。フランコ派の連中による襲撃を警戒しているのだろうが、ゴヤでもベラスケスでも触れようと思えば簡単に触れられるような形で展示してあるこのスペインで、この「ゲルニカ」はあまりにも特別である。 私が前の方で「ゲルニカ」をゆっくり見ている間に配偶者は後方の椅子に座り日本人の女性と話をはじめている。スペインのフリータイム10日間のツアーで来た人で、トレド、バルセローナを見てきたとのこと。「ゲルニカ」は大阪万博、ニューヨーク以来3回目とのこと。ゴヤのパンテオンを教えて別れる。 やっとめぐり会えた「ゲルニカ」は期待通りの感動を得られた。あれはやはり屋外を描いたもの。 グランビアへ戻る途中の安いレストランで昼食をすませ、道のベンチに座って太った人の数をかぞえたりしてから4時に「カサ・デ・リブロ」という本屋へ行くが、4時半まで昼休み。近くのデパートに行って売場を見て回り、4時40分ごろ本屋へ行く。ロルカの詩集を買い、1階(2階)で幼児向けの本や性教育の本を買い、2階でスペイン戦争時の「ABC」紙の縮刷版全10巻とマンガ等を買って船便で送る。店員の態度が悪く、イヤな感じだ。 デパート・コルテ・イングレスに行って配偶者は土産にと変な安物の化粧品を買う。最上階のカフェで休憩。チョコラーテを飲む。ここのチョコラーテはバルセローナのコルテ・イングレス同様、ドロッとしていて大変に濃い。デパート脇の道は歩行者専用になっていて、ここにはジプシーの子供達が何組も、それぞれ下手なフラメンコのギターや踊りでお金をかせいでいる。またヒッピーの様な連中が小間物屋を開いたりしていて、以前のマヨール広場がこちらに移ったような感じになっている。 この日は曇っていて、朝にはほんの微かだが雨まで降ってあまり暑くならず過ごしやすかったのだが、疲れがひどいので早目に宿に帰って一眠りすることにする。8時ごろ宿に着き、すぐにベッドに入る。2時間ほどで起きるつもりだったが、目がさめれて時計を見たら夜中の1時半。外は相変わらず騒がしいが、起きて外出する気にもならず、そのまま眠り続ける。 19:50 < p id='cmpYnvj'> 退職者夫婦の旅と日常(スペイン・旅・留学・巡礼・映画・思索・本・・・)