スペイン旅行 1982/08/28
8/28(土)0:05
夜10時を過ぎたのでカフェを出て帰ることにする。私達がカフェに入った8時ごろは席もほとんど満員で、ラングラスの人通りも多かったが、出るころには客もほとんどいなくなり、人通りも減っている。9時ごろにはもう暗くなり、空気も秋の気配。2年前に泊まったオスタル・カリフォルニアの近くを通り、カテドラルの裏通りからカテドラル前に出る。最後なので宿に入る前に王の広場に行ってみることにする。王の広場の入口に着くと人だかりがしており、広場から拍手がきこえ、入口には柵が置かれて警備員が立っている。何かと思って近付くと、やがて広場からギターの音。見るとアタワルパ・ユパンキのコンサートをやっているのだ。外で少しだけ聴いて帰ろうと思ったが、聴き出すとどうしても入りたくなったので1人400ptsを払って入る。安い。王の広場の階段の左側の隅に小さな舞台がつくられ、そこにユパンキー人が座ってギターを弾きながら歌ったり、詩を唱したり。
十五分に一度はカテドラルの鐘。広場を囲んだ窓のいくつかには住人の顔。広場には木の折りたたみ椅子に千人近い観衆。椅子に座れない客は王の階段へ。言葉は分らないが、そのリズムとギターの音はすばらしい。こうした街中の広場で、こんなに日常的に、こんなに安い料金で音業を聴けるとはすばらしいことだ。はじめてのコンサートであったが非常に気持ちの良い夜だった。スペイン最後の日を買い物だけで終わるところが、偶然にもコンサートに出会い、幸運であった。
コンサートは12時ちょうどに終わる。ユパンキは階段から奥の扉に消え、観客の拍手でしばらくしてからもう一度姿を現すが、少し話してすぐに引き返す。ちょっと疲れている様子。出てからポスターを見てみると、一週間位このコンサートを続けるらしい。
宿には12時10分ごろ帰る。昼もそうだったが、部屋のカギをカギ箱から私達の8号室のすぐ下になっている15号室の人が間違って持って行っているらしく、女主人が15号のカギをわたしてくれる。これでもカギが開くのだから不思議。翌日の出発時間を告げると、7時にドアをノックして起こしてくれるとのこと。支払いをすませてから部屋に戻り、荷物を整理して出発準備をする。いらない地図をできるだけ捨て、一寸でも荷を少なくして詰める。本を一番下に。次に食物。上に衣類。何とか黒バッグも含めて整理ができる。これに1時間程かかり、1時半に就寝。
今日(27日)は7時に宿の人のノックで起き、仕度をして7時40分ごろに宿を出る。カテドラル前からPl. Cataluñaを通り、Pl. Univercidadへ行く。バスはもうきて停まっていて乗客らしい人がその周囲に集まっているが、まだ乗車はできないようなので、JULIA事務所横のカフェでカフェ・コン・レーチェとクロワッサンの朝食。8時半になってバスのところへ行く。荷を横腹に積んでから乗り込む。しかし切符に記された席には他の人が座り、しかもその人の切符にも私達のと同じ座席が指定されている。ちょっとあわてるが、一番前の席が空いているのでそこに座る。指定がめちゃくちゃになっているらしく、結果的には自由席で、私達は一番後ろだったのが一番前になり得をする。バスは一直線にトゥールーズへ行くのかと思っていたら一時間半に一回位の割で停車しては数人ずつ乗せたり降ろしたりし、その度に高速道路から降りては町中に入る。一つの駅では定員オーバーで切符を売っていたらしく、父子との間にモメゴト。結局、子供は後方の子供連れがあづかり、父は助手席にということで15分程モメた後に出発。
国境では運転手が名簿を検査官の所へ持って行っただけで、何の検査もなく通過。フランスに入ったとたんに雨が降り出し、しばらくしてからはバカンス帰りの車で道が町を通過する度に渋滞。ヨーロッパでの車の渋滞はこれがはじめて。昼食はフランスに入ってからちょっと長い休憩時にドライブ・インでボカディージョを食べてすます。物価が急に高くなる。
6時半にトゥールーズ着。駅前に着いたので、すぐに駅に行って明日のパリ行夜行寝台の予約。手持ちフランのほとんどがこれでなくなる。残金43フラン。駅内に銀行があることが分り行ってみると15分前に閉まったところ。駅前の通りにホテルが並んでいるのでまずは宿を決めることにする。二つ星がいくつかあるが、一つ星に行くことにして数十m歩いたところで手頃なものが見つかり入る。2人で69F。シャワー付でけっこう清潔そう。
残金43Fで食べるにはバルもカフェも無理なので、どこかのパン屋で買ってきて紅茶をわかしてすませることにして外出。カピトル広場へ向かう。結局パン屋などは開いておらず、マクドナルドのハンバーガーを買い、広場の売店でボカディージョを買う。帰り道にパン屋の開いているのが宿の近くでみつかり、クロワッサンを買って宿へ戻る。ここの水は日本と同じ味。紅茶をわかしてわびしい夕食。満腹にはなるが、貧しいもの。残金はサンチーム貨のみ。シャワーを浴び日記を書く。
今朝のバルセローナは風が吹き、枯れ葉がPl. Cataluñaに散って秋であった。今年の秋は早いようだ。フランスはもう肌寒く、行く人々のほとんどは長袖で、夕方にはコート姿の人々も何人か見られた。1時半就寝。
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