パウロ・コエーリョ「ピエドラ川のほとりで私は泣いた」
自信を失い人生に迷う29歳の女性ピラール。奇蹟の治癒力を持つ修道士の幼馴染と12年ぶりに会い、真実の愛と信仰心を取り戻して行く。聖母に導かれ啓示を受けながら二人は愛を育て信仰の道、人々を救う道を共に歩む決意に至るのだが、ピラールが何にどう迷っているのかはさっぱりわからない。
ピラールは幼馴染も属する「カリスマ派」の祈りに参加するのだが、それは一心不乱に歌って踊り、円陣を組んで順にそれぞれの神への願いを言うというもの。傍から見れば怪しげな宗教団体の(カトリックも含めて凡そ宗教団体はすべて怪しげなのだが)儀式でしかないもの。
作品全体がこの儀式と同様で、作者と信仰を同じくする者や、何者かから救ってもらいたくて仕方のない者にとっては深く頷きながら読み進められるのだろう。しかしそうでない者には、これは街で配られたり家のポストに入れられている宗教勧誘のビラ以上のものではない。
この作品そのものには問題にするに値するような価値はどこにも見出せないが、これがベストセラーになるような世界は問題にしなければならないだろう。
por Andres
https://dosperegrinos.net/2010/08/27/%e3%83%91%e3%82%a6%e3%83%ad%e3%83%bb%e3%82%b3%e3%82%a8%e3%83%bc%e3%83%aa%e3%83%a7%e3%80%8c%e3%83%94%e3%82%a8%e3%83%89%e3%83%a9%e5%b7%9d%e3%81%ae%e3%81%bb%e3%81%a8%e3%82%8a%e3%81%a7%e7%a7%81%e3%81%af/書籍・雑誌自信を失い人生に迷う29歳の女性ピラール。奇蹟の治癒力を持つ修道士の幼馴染と12年ぶりに会い、真実の愛と信仰心を取り戻して行く。聖母に導かれ啓示を受けながら二人は愛を育て信仰の道、人々を救う道を共に歩む決意に至るのだが、ピラールが何にどう迷っているのかはさっぱりわからない。 ピラールは幼馴染も属する「カリスマ派」の祈りに参加するのだが、それは一心不乱に歌って踊り、円陣を組んで順にそれぞれの神への願いを言うというもの。傍から見れば怪しげな宗教団体の(カトリックも含めて凡そ宗教団体はすべて怪しげなのだが)儀式でしかないもの。 作品全体がこの儀式と同様で、作者と信仰を同じくする者や、何者かから救ってもらいたくて仕方のない者にとっては深く頷きながら読み進められるのだろう。しかしそうでない者には、これは街で配られたり家のポストに入れられている宗教勧誘のビラ以上のものではない。 この作品そのものには問題にするに値するような価値はどこにも見出せないが、これがベストセラーになるような世界は問題にしなければならないだろう。 por AndresAndres y Amelia SubscriberDos Peregrinos
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