スペイン旅行 1980/08/06
早朝ボルドー着。ここで乗り換え。日暮れが遅い(パリで9時ごろ日没、10時ごろやっと夜らしくなる)ため夜明けも遅く、7時ごろにやっと明るくなる。
イルンからまた電車に乗り、サン・セバスチャンへ。昼前に着。
すぐに歩いて旧市街へ行き、ツーリスモをさがす。私がベンチで待つ間に配偶者がツーリスモへ行き地図を手に入れてくる。それから宿さがし。ブルーガイドに記されている安宿街へ行く。1軒目は留守。2軒目は満員。3軒目、部屋狭く圧迫されるようだが、とにかく疲れているのでそこに決める。オスタル・マリーナ。畳4枚程の部屋にセミダブルのベッド1つ。ベッドはスプリングがきしみ、真中がやけに沈み込む代物。共同のバス、トイレは清潔だが、シャワーは水しか出ない。この水の冷たいこと。とてもシャワーは浴びられないので、タオルで身体をふくだけにする。
バスクの民俗、絵画を展示。ゴヤやグレコの絵数点もあるが、それが他の無名の画家の中に何気なく架けられている。又、古いバスクの民家を再現してある部屋も、暗く不気味な感じもあるが、よい。その他展示物は全て手で触れられるような形で置いてある。
この博物館に行く途中、及び帰路の街中で建物の壁に多数の落書。ETA(バスク祖国と自由)、CNT等々。
博物館からオスタルに戻り(17時頃)眠る。19時か20時に起きて夕食をとりモンテ・ウルグルに登るつもりていたが、目が覚めたのが何と夜中の1時過ぎ。仕方がないのでそのまま又眠る。
https://dosperegrinos.net/2021/01/24/%e3%82%b9%e3%83%9a%e3%82%a4%e3%83%b3%e6%97%85%e8%a1%8c%e3%80%801980-08-06/スペイン旅行早朝ボルドー着。ここで乗り換え。日暮れが遅い(パリで9時ごろ日没、10時ごろやっと夜らしくなる)ため夜明けも遅く、7時ごろにやっと明るくなる。
アンダイ駅を過ぎ、国境を越えてイルンで9時44分下車。
しかしどこが国境かは分からない。イルンで検査、とは言ってもフランスとスペインの警官にパスポートをチラッと見せるだけ。
イルンからまた電車に乗り、サン・セバスチャンへ。昼前に着。
すぐに歩いて旧市街へ行き、ツーリスモをさがす。私がベンチで待つ間に配偶者がツーリスモへ行き地図を手に入れてくる。それから宿さがし。ブルーガイドに記されている安宿街へ行く。1軒目は留守。2軒目は満員。3軒目、部屋狭く圧迫されるようだが、とにかく疲れているのでそこに決める。オスタル・マリーナ。畳4枚程の部屋にセミダブルのベッド1つ。ベッドはスプリングがきしみ、真中がやけに沈み込む代物。共同のバス、トイレは清潔だが、シャワーは水しか出ない。この水の冷たいこと。とてもシャワーは浴びられないので、タオルで身体をふくだけにする。
旧市街に出て簡単な食事をし、海岸通り近くのカフェテラスでアイスコーヒー。ツーリスモに行って翌日のゲルニカ行の件をたずねる。その後サン・テルモ博物館を見学。
バスクの民俗、絵画を展示。ゴヤやグレコの絵数点もあるが、それが他の無名の画家の中に何気なく架けられている。又、古いバスクの民家を再現してある部屋も、暗く不気味な感じもあるが、よい。その他展示物は全て手で触れられるような形で置いてある。
この博物館に行く途中、及び帰路の街中で建物の壁に多数の落書。ETA(バスク祖国と自由)、CNT等々。
博物館からオスタルに戻り(17時頃)眠る。19時か20時に起きて夕食をとりモンテ・ウルグルに登るつもりていたが、目が覚めたのが何と夜中の1時過ぎ。仕方がないのでそのまま又眠る。Andrés
andres@nifty.comAdministratorDos Peregrinos
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